志村けんさんの死は「最後の功績」なのか
「最後の功績」。東京都の小池百合子知事が志村けんさんの死をそう表現したことで批判を集めた。
私は志村けんさんの特別なファンでもなければ身近に感じたこともないし、この発言についてもどうこう言う気持ちにはならないけど、
それでも今回の「志村けんさんの死」には私なりにいろいろ思うところがあって、
それは、
「志村けんさんの死」自体は今のところ何の功績でもないひとつの「死」だけれど、これからたどる未来によっては、
「志村けんさんの死」は功績になるうるということ。
*功績・・・あることを成し遂げた手柄。すぐれた働きや成果。
まず、「志村けんさんの死」をきっかけに、コロナに関心を持ち始めた人や、
事の重大さに気づいたり、コロナが私たちの身に迫っていることを意識し始めた人は、確実にいる。
私の父や母は、「身近な親戚がなくなったような気持ち。コロナの恐怖が増したしもっと気をつけなきゃ、、、」となっていたし、
いろんな著名人やインフルエンサーからの、コロナへの注意喚起がSNS上で一斉に起こったこと、
テレビでも数字じゃなくて、「コロナに感染した一人の人間」としてフォーカスしてより詳しい様子が報道されたし、(例えば、コロナ感染者がなくなった場合、死に目に会えないことやお葬式もまともにできないことなど、志村けんさんという一個人の家族もフォーカスされることによって初めてこの事実を知った人も多いと思う。)
志村けんさん本人が「よし、バカ殿として自らを犠牲にしてでも日本国民の意識を変えてやるぞ!」という意志を持って命を落としたわけではないにしろ、
「志村けんさんの死」が与えた影響は確実に大きい。そしてそれは、確実にプラスに働いていると感じている。
私は、4月に海外に渡航を控えていたこともあって、2月末くらいからずっと海外メディアを追ってきて、
世界からの情報をいち早く手に入れようと自分からコロナ関連のニュースを調べまくったし、
最新情報がアップデートされるたびに関連記事を読んだし、
「自分から情報を集める」という意識をもっていたのだけど、
普通に過ごしている日本人が、日本のニュースを見て知る情報はかなり限られていて、
世界各国の首相がどういう指揮をとってどういう対策をしているか、
アウトブレイクのピークが起こっているヨーロッパやイタリアはどういう経路をたどり、実際何が起こっているのか、
っていうニュースは、現地ニュースを見ない限りかなり限られていて、
そんな中にいる日本人に「コロナに対して危機意識を持て!」といっても
それが伝わるのは半数にも満たなくて、しかもそれをふまえた行動ができるのはほんの一握りなんじゃないかなと思う。
人は情報の中でしか判断ができなくて、しかもその情報には人によってかなり偏りがあって、
持っている情報が少ない人に対して何かの意識を芽生えさせることは、「想像力を働かせろ!」って言っているようなものでそのお願いには無理があるし、
私はというと、
「私は自分が意識をもって調べているから情報が入ってくるけどそうじゃない人はコロナの実態を知りようがないよな、、、政府もまだ大したことしてないしみんなに情報を知ってもらうにはどうしたらいいんだ、、、、」
「『コロナ?大丈夫でしょそんなの~居酒屋行ってきまっす!』みたいなノリの人には世界で実際に起きていることはどうやったら実感を持って伝えられるんだ、、、」
ということをずっと考えていて、
そんな時に入ってきたのが「志村けんさんの死」を伝えるニュースだった。
どんな数が大きい死者数よりも、身近な人の死が与えるインパクトは強烈で、
『コロナの世界死者数4万人』<『志村けん死去』
で衝撃や恐怖を覚えたり、意識改革が起こった人は間違いなく存在していて、
さらにそれに関して数々の著名人がコメントを出したことは、
かなり影響力があったと思う。
私を含め、「コロナに危機意識がない人にどうか事実が伝わってほしい、、」と願っていた人たちの望みは「志村けんさんの死」によって叶えられた。
今の「人々の意識を変えた」ぐらいじゃ、「最後の功績」には程遠いと思うけど、
意識が変わったことで、行動が変わって、それが将来結果的にいい未来が作り出せていたら、
「志村けんさんの死」は、確かにあることを成し遂げているし、すぐれた成果として現れているし、
3年後くらいには、
「志村けんさんの死は彼の最後の功績だったな~」と言えている未来は来るかもしれないと思う。
最後に、
志村けんさんのご冥福を心からお祈りしたいと思う。
私は特別な思い入れはないけれど、膨大な数の人に笑いを与えてきて、特にその時代に育ってきた人にとっては、本当にみんなの「親戚のおじさん」みたいな存在だったんだろうな、ということは分かる。
「志村けんさんの死」という事実自体は功績でもなんでもないけど、
それが結果的に「功績になるかどうか」は影響を受けたひとりひとりがこれからどう動くかにかかっていて、
将来的に「最後の功績」という言葉を批判されることなく使える可能性はあると思う。
誰にも死んでほしくないし、自分も誰かを死なせてしまうことがないように。
「志村けんさんの死が人々に影響を与えた」という事実には私は感謝している。
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