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【2週間の隔離生活記録】in オーストラリア

2週間のホテルでの隔離生活をついに終えて、晴れて外の世界に出られて、強制的に離れ離れになってしまっていた旦那にも会えた。

一歩も部屋から出ないで、家事もせず、一切誰とも関わらないで過ごす2週間はきっと人生に一度きりの体験だと思うから、

ここに記録しておこうと思う。

意を決してオーストラリアに。人生の一大決心。

ついこの前結婚式を挙げたばかりの旦那と離れ離れになったのは3月末のこと。

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それから配偶者特別枠でVISAがおりたものの、国境封鎖されている国に立ち向かうのは勇気が必要だった。(それについては、ここの記事に詳しく書いた。)

オーストラリアは3月末から国境を封鎖し、されに入国者には2週間の隔離生活が義務付けられていたのだけど、

その隔離生活がどういうものなのか情報が少なすぎて、

「出されるご飯がめちゃくちゃ質素だ」とか、「一帯は警察官と軍隊に囲まれていてまるで囚人のようだ」みたいな情報もあって、

私は異国で犯罪者かのような扱いを受けるのか……。
国にとってはコロナの病原体を持っているかもしれないただの厄介者なのか……。

という不安でいっぱいで、心配で怖かった。

入国まで。人がいない空港とフレンドリーオージー。

羽田空港の国際線にはとにかく人がいなくて異様だった。

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免税店も全部閉まっていて人は数えるほどしかいなくて、

私が乗る飛行機はなんと乗客が2人だけだった。

小型機でもなくて、普通のANAの国際線の飛行機に乗客2人。

ほとんど貸切状態だった。(こんな中でも飛行機を飛ばしてくれるのがありがたかった。ありがとうANA。)

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シドニーに着いてもしばらく飛行機からは出られなかった。

警察の人が乗ってきて、これからの隔離生活についてや、ホテルに行くまでの流れの説明があって、私はそれをファーストクラスの席に座って聞いていた。

めちゃくちゃ怖くていかつい人が出てくるのかと思ったけど、全然そんなことはなくて、明るい女の人だった。

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飛行機から出た後も自由には動けなくて、

私たち乗客2人と、キャビンアテンダント、パイロットの人がみんな一緒になって、警察官に誘導された。

そのあと防護服を着た人たちから健康診断を受けたのだけど、それもあっけなく終わった。熱を測って、健康に異常がないか聞かれたくらいだった。

人がいない空港でもまだWifiは機能していて、すぐに家族と旦那に連絡を入れた。

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ここまでまだドキドキして緊張していたのだけど、こんな中でもオージーはめちゃくちゃフレンドリーだった。(オージー=オーストラリア人)

緊迫した現場を想像していたのだけどそんなことはなくて、警察官も軍隊の人もいろいろ話しかけてくれて、

「フライトはどうだった?2人だったの!?ファーストクラス乗らせてもらえた?」

「フライトいくらだった?いつもより高かった?」

「これからめちゃくちゃいいホテルに行けるよ!いいね!」

とか、いろいろ話しかけてくれた。

検疫の人はなんと日本語で案内してくれて、「肉は入っていますか?魚は?靴はどんな靴?じゃあ右に行ってください」

ってカタコトだったけど安心した。

なんだ、みんないい人じゃん……!私犯罪者じゃなかった……!!

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それからバスに案内された。

バスでも軍隊の人が荷物を持ってくれた。

バスも普通サイズのバスだったけど、乗客は2人。私と、同じ飛行機に乗っていた人だけだった。

一緒に乗っていた人は日本に9年住んでいて英語教師をしている男の人で、少しお話したのだけどその人もめちゃくちゃ陽気な人だった。(この後の2週間、私は隣の部屋にいるこの人の大熱唱を聞くことになる。笑)

この時はまだどのホテルに行くのかは知らされなかった。

待っていたのは5つ星ホテル。

私が連れて行かれたのは、超有名な5つ星ホテルだった。(オーストラリア政府は、経済救済措置として、隔離施設を5つ星ホテルに設定していた。)

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ここに2週間!しかもタダで!泊まれるなんて!と一瞬めちゃくちゃ喜びそうになってしまうくらい、高級なホテルの前にバスが停められた。

バスから出ると、1.5mのソーシャルディスタンスを保ちながら、また警察官からいろいろと質問があって、

それから22階の私の部屋に連れて行かれた。

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何と言っても眺めがいい。最高。窓際に座ってコーヒーを飲みながら、この時「将来は絶対大きい窓がある家に住もう」と決めた。

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ベッドも大きくてふかふか。テレビも机もケトルもWIFIもある。

もうこの時には肩の荷がおりて、緊張がほぐれてウキウキしていた。

でもそれだけじゃなかった。

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質素だと聞いていた食事は毎日3食ちゃんと出されて、食べきれないほどだった。

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デザート、フルーツ、牛乳、コーヒー紅茶、レモネード、ジュースなんかも出てきて、私はホテルでの”THE オージーミール”を楽しんだ。

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イースターにはイースターエッグももらえた。予想していなかったのでめちゃくちゃ嬉しかった。こんな状況でも、隔離生活でも、「イースターをお祝いする」一員にさせてもらえたことが嬉しかった。

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食事は手渡しではなく、決められた時間帯にドアの前に置かれていて、そこも”安全を保ちつつ”が徹底されていた。

事前にベジタリアンか、アレルギーがないかのチェックもあったよ。

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それから、毎日看護師から電話があって、体調のチェックがあった。

「今日の体調はどう?喉が痛いとか咳が出るとか症状はない?何かあったらいつでも電話してね」という感じだった。

身体的な面だけじゃなくて、精神的な面でのサポートもすごかった。メンタルヘルスの看護師からも電話があって、

「毎日何をして過ごしているの?退屈じゃない?暇だったらこういうことしたらいいよ。誰かと話したくなったら電話してね」と、精神的なケアをしてくれた。

これが24時間体制で、看護師たちがホテルに待機してくれている状態だった。

ありがたすぎる。

徹底されたサポートだった。

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必要なものはほぼ全部ホテルから支給があったのだけど、自分で宅配を注文することもできた。

ウーバーイーツ、スーパー、薬局、Amazon、ほぼ何でも注文ができた。

すごいのは、薬局だと当日か翌日配達で受け取れるということ。Click&Collectというサービスがあって、本当は受け取りに行かなきゃいけないサービスなんだけど、隔離者には特別ホテルまで配達してもらえる。

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これも私が調べたわけではなく、ホテルから案内してもらえた。

それから旦那からも荷物が届いた。手紙が入っていて嬉しかった。いや、ラブレターだったな。笑(初めてMrs〇〇宛てで手紙をもらった。そうだ私は人妻になったんだった。)

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隔離最終日の前日は、看護師と警察官が部屋に来て、体調についての質問と体温チェック、それから警察の人からもいくつか質問があって、「隔離証明書」とリストバンドをもらった。

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この2つが外出時の証明になるらしい。

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隔離最終日も部屋からは自由に動けなくて、部屋まで軍隊の人が来て、ロビーの警察官が待機しているところまで誘導してもらった。
(朝5時。警察官も軍隊もコーヒーを飲みながらおしゃべりしていた。オージーだなー!)

ホテルのスタッフにも「2週間どうだった?」「どこ出身なの?日本?こんにちは、はじめまして、どうぞよろしく」と日本語で挨拶してもらえた。フレンドリー。泣ける。

そして晴れて自由の身に!

ホテルから空港までのバスは午前4時から午前10時まで10分置きに用意されていて、これもすごくありがたかった。軍隊の人が荷物を運んでくれた。

空港は国内線でもガラガラだったよ。

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私は運よく、私の旦那のうちまで行ける飛行機の便があって予約できたのだけど、飛行機がかなり減便されていることを考慮して、

隔離最終日に飛行機の便を確保できない人のために、追加で2泊分これもまた政府負担で用意されているようだった。

本当に全ての人と全てのケースが配慮されていて、文句の付け所がなかった。

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警察官の人も、軍隊の人も、看護師も、ホテルスタッフも、しきりに言っていたのが、

「この2週間は大変だと思うけど、少しでも快適に安全に過ごせるようにできることは何でもサポートしていくから」ということで、

本当にその通りで、安全を確保しつつ、快適に過ごさせてもらえた。

これは全部政府負担。私が負担するお金は一切なし。

まだ”外国人”な私だけど、いろいろな面で、この国から「守られている」と感じられたよ。

2週間隔離されると私はこうなる。

2週間隔離されて、いろんな人から、「大丈夫!?それは大変だね。早く出られるといいね」とすごく辛そうな目を向けられたのだけど、

実際はそうじゃなかった。

私は2週間仕事も家事もなくてもやることが尽きなくて、退屈だと感じる暇はなくて、家から出られないこともそれほど苦痛じゃなかった。

そう、私は最強のインドアで内向的だということが証明されてしまった。

家にいると好奇心が次々と湧いてきて、あれもしたいこれもしたい、あれも知りたいやってみたいがどんどん湧いてきた。

noteにも書きたいことがたくさんあったし、読みたい本もたくさんあって、

若い人たちの間で流行っているTickTokとはどんなものなのかと登録してやってみたり、

聞いたことはあるけど一体なんのことなのかさっぱりだったPhotoshopや”イラレ”や、”HTMM/CSS”みたいなことも調べてやってみた。

SNSでフォロワーが多い人たちはどうして多いんだろうとSNS運用について調べてみたり、

写真のスキルをあげたくてミラーレス一眼カメラを引っ張ってきて毎日写真を撮ってみたりもした。

それからいつでも電話に出てくれる絶賛ニート中の旦那さんもいた。(ねこの乱入率高め。) 

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ただ、ずっと部屋にこもっていると、異変が起こるということがわかった。

隔離の前は、「一日家にいて誰とも接触しないと精神おかしくなる可能性もあるな」という予想はしていたのだけど、

実際はそうではなかった。

私の場合、先にやられたのは身体の方だった。

1日家事もしないで部屋にいると、運動量が急激に減って、身体は重くてだるいし、夕方になると目を開けていられないほどになった。

精神がやられたのではなく先に身体がやられ、それが精神的につらくなった。

普段は運動はしないけど、運動って大事なんだなと思った。

それから旦那さんとビデオを通していっしょに運動を始めた。

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わかったこともある。

【私の生体】
・1日家にいて人と関わらなくてもそれほど辛くない。
・好奇心が旺盛。
・でも集中力が続かない。
・身体的疲労に弱い。
悪く言うと、
・時間の使い方が下手。(結局いくらあっても足りないと感じてしまう。)

まとめると、

私は将来在宅をメインにしつつ1週間の半分ぐらいは外に出て働けるような複数の仕事をもちたい。

素敵な時間だったと思う、という結果論。

私はこの2週間をポジティブに定義づけることに決めたのだけど、

この2週間は、

「”独身生活”最後の1人の時間」とも言えるし、「人生の夏休み」「自分に向き合えた時間」「自分の好奇心を爆発させた時間」「24×14の時間をフルに自分に与えられた時間」とも言える。

これってめちゃくちゃすごい。

売りに出せたら、かなりの高値で売れる価値があると思う。

前に、人生第2章という記事を書いたのだけど、

本当に人生不思議だ。

私が全く予想してない展開のその上をいっている。不思議。

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まとめると、

◆こんな時でも誰かのために働いてくれている航空会社、ホテルスタッフ、警察官、軍隊、オーストラリア政府に感謝したい。

 ◆私という人間についての理解が深まった。将来に役立たせたい。

 ◆今回の決断で、また人生が一つ動いた。(後悔はない。)

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ついに人生第2章の幕開けだよ!




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