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〇〇することができる

先月のメインイベントは文芸ものの機械翻訳の校正翻訳作業でした。14万ワードという膨大な量でしたが、なんとか3週間で納品。まあ、日々の作業時間が14〜15時間と過酷でしたが。

みなさんもご承知の通り、実務翻訳は機械翻訳と相性が良いため、いわゆるMTPEは校正作業がメインになります。そのため、直しの少ない翻訳だと1日に4000~5000ワードはクオリティを維持したままでこなせます。

ところが、文芸ものを機械翻訳にかけると、言葉の揺れ、漢字の開閉、翻訳拒否、前の文章を2度繰り返すズル翻訳など、イチから翻訳したほうが楽だと思うほど、全文書き換え状態になります。

今回このお仕事を依頼してくれた出版社さんは、どういう計算なのか、当初、一日の校正翻訳ワード数を7800~8000ワードに設定しており、通常のMTPEの作業のほぼ2倍の上、翻訳作業がメインゆえ、一日の作業時間も2倍以上となったわけです。

私の仕事の都合で、作業開始が4日間ずれてしまったこともあり、最終的に納期を1週間延ばしてもらえたのですが、それでも日々の作業時間は14〜15時間のまま、3週間ノンストップで続けました。

作業中に驚いたのが、機械翻訳さんがお得意の「〇〇することができる」が文芸ものでも多発。実務翻訳なら冗長で嫌とは言え、まだ許容できるのですが、さすがに文芸ものでこれは使えない。

そこで、この「〇〇することができる」についてあれこれ考えてみました。まずは以下のサイト記事を読んでみてください。

「〜することができる」が増えた理由とは?冗長表現に走る心理を解説(働きペディア)

実務翻訳のMTPEで「〇〇することができる」が出てくると、まずは全体の文章を読んでみます。大抵は、単純に「できる」だけでよかったり、言い換え可能だったりするので、そちらを優先します。なので、これをこのまま活かすことは稀です。

上の記事でも言っていますが、この言い方、便利で、幼稚さもなく、収まりも良いので、特に実務系の翻訳者さんは使いがちです。人によっては「〇〇することができる」の文末を複数続けることあって、これは1文ごとにセグメント分けされている翻訳支援ツールの弊害かなと思ったりもします。

今では「〇〇することができる」を自然な文章として理解する人が増えているようですが、ターゲット言語が日本語の翻訳者たるもの、表現の可能性を狭めるような言葉遣いはどうなのかしら?と思うことも多々あります。

その点、文芸ものの翻訳はオリジナルの内容を伝えつつ、読者を惹きつける翻訳文を考えなくてはいけない点が難しくも楽しい醍醐味と言えます。

ただ、今後は文芸翻訳にも機械翻訳が確実に使われるようになるし、その翻訳能力も確実に向上していくと思います。そうなると、これからの翻訳者にはターゲット言語の表現力が今以上に重要になるのではないでしょうか?

言い換えを探す労力を惜しんで、「〇〇することができる」に安易に逃げる人は生き残れないでしょうし、知っている言い回しや表現でも一度調べてみる手間を惜しむ人も難しいでしょう。

機械と競争するのではなく、機械を利用して良質な文章を作ることが重要となったとき、定型文的もしくは方程式的な翻訳を行っている翻訳者はどれだけ生き残るのでしょうか? 日常的に語彙力や表現力を鍛えておくのが良い気がします。

今回校正翻訳の仕事を頂いた出版社さんとは、今後も継続的に仕事をして、文芸翻訳における機械翻訳の使い勝手をもっと良くできれば嬉しいなと思っています。ふっふっふ、楽しみです♪

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