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会社員を経て、文章が書けなくなったかと思った。

どうも、宗岡未樹です。

もともとフリーライターだったけどひょんなことからIT企業に入社し、それなりに働いたのちリストラされて、妊婦状態でフリー(という名目の実質無職)に戻りました。

そのあたりのことについてはこちらのnoteをどうぞ。

今日はその続きということで、ここ半年くらい私を追い詰めていた、「会社員生活を経て、文章を書く力を失っていたらどうしよう」という不安を克服した(しつつある?)話について書いてみようと思います。

会社員生活で「長文筋」が衰えたことに凹む

妊娠して会社を辞めて、体の具合も1日の使い方も直近の計画も根こそぎ変わったこの数ヶ月。

大変なことはまあいろいろあったけど、何を差し置いても私の中で切迫していた課題は、「(完全フリーだったときのような)文章を書くこと中心の身体のリズムとタイムマネジメント力を取り戻し、それを腹がでかくなっていく間にも維持できるんだろうか?」ということでした。

なんせまあ衰えたのですよ、会社労働に邁進していたこの3年ほどの間に。

会社員時代、特にコロナ禍の激務爆発だった2020〜2021の丸2年は本当になあーーーーんにも書いていなくて。

この時期、あまりにいろいろ無理でそれまでやっていたTwitterもnoteのマガジン配信も一度全部止めたため、公への文章発表はごくわずかでした。会社以外の仕事だと、エッセイ漫画の月刊連載をすることで完全に手一杯。あとは誰にも見せない日記を書いていたくらいです。

実はこの少し前から、私は「今後は小説かエッセイか、自分で取り組むテーマを決めた取材記事しか書かない。かつ、できるだけ長いものを書きながら生きる」と決めていました。だから会社員になるときも、ここで経済基盤を作りながら空きの時間でしっかり長いものを書き、出版社に売り込んでいこうと思っていたのです。が、そういった甘っちょろい見通しは全部ふっとんだという次第。

2019年頃までは、書籍ライターだったこともあり、10万字程度の長い読み物を書く機会が絶えずありました。仕事抜きで、自発的に長いものを書くこともできていました。でも会社労働の加速によってそれをしなくなると、「がっつり書く」感覚はどうしたって失われていくんですよね。

漫画だけでもアウトプットできていてよかったなとは思うものの、漫画と文章だと私の場合、頭や精神の使い方が違うので、これだけで文章の腕は維持できません。

そんなわけで、激務が落ち着いた2022年には、自分の文章筋がダダ落ちなことを痛感しました。再開したnoteのマガジンを週6000字程度の更新するだけでもヒィヒィなので凹む凹む……。

10年程度とはいえ、それなりの時間商売してきたので少しでも書けばわかるんです。いまの自分に、数万字〜10万字以上の読みものを、自分の考えるクオリティで書き切る筋力はないなって。

間が悪いというかなんというか、2021年後半から2022年の間は不妊治療もしていたため、それが凹みの勢いに拍車をかけたところもありました。私はもともとホルモン剤に弱く、治療用に毎月打たれる注射でこの期間はしょっちゅう気分が悪くなったり寝込んだりしていたんですよね。

そんなこんなで結局2022年も、思ったほどのアウトプットはできずに終わってしまいました。めちゃくちゃになっていた生活リズムを朝型に立て直せたこと、短編小説を1本書いて賞に出して、二次選考の20本まで残れたことがかろうじての前進だったでしょうか。

休みが増えても書けない日々と疑心暗鬼

すっきりしないまま年末には妊娠が判明し、年明け1月にはレイオフの発表があって退職も決定。

こりゃ気合を入れて書く習慣を取り戻さなきゃあかん、と奮起したのはよかったけれど、いよいよ会社勤務がなくなっても、これがまたどうにもはかどらなかったんですね。引き続きnoteの更新が限界。大量にあるはずの空き時間にはただただぐったり。

ここで押し寄せてきたのは「私ってば、本当には『書きたい』と思っていないのでは?」という恐怖でした。

過去の経験から、私は自分が「本当にやりたいことがあるなら、鼻血が出るくらい忙しくても絶対にやる女だ」と認識していました。週3勤務だろうが週6勤務だろうが、書く時には何が何でも書くんです。まあ身体に負担をかけるので、一定の年齢を超えたらあんまり無茶をするもんじゃないとは思いますが。

その私が、かれこれ2〜3年もこの状態なわけです。

頭で「書きたいな〜」と思っているだけで全然やらない。それはつまり、「そこまで書きたくない」ってことじゃないか。

「生活が落ち着いたらもっといろいろ書けるはず」と思って20代を駆け抜けてきたのに、結局30代になってもこんな有様。

私は「やりたいこと」を後回しにしすぎて腐らせたんだろうか? もう駄目なんだろうか?

そう考えては、一人ひそかに自分を責め、自分の責め言葉によって凹みました。オイオイ泣いたりはしなかったけど、グスンくらいは何度かあった。自分で自分をいじめている状態です。負のループです。

まあ、今思うと「ホルモンの魔物にやられとるな」という感じなんですけどね。

だってこの時期、バリバリの妊娠初期だったし。ぐったりするのも集中力がわかないのも、全部ではなくても半分くらいは体調変化の範疇だったんじゃないかな、と思います。

私の場合、いわゆるつわりっぽいつわりがまったくなかったせいでこういうぐったりをすべて「自分の怠惰」と考えがちでした。が、これから妊娠される方やその周辺の方は、決して私のような脳筋に陥らないようにお願いいたします。


……という激凹みがありつつも幸いだったのは、「じゃあもう駄目だ、終わりッ!」とはならなかったことでした。

だって、どれだけ「本当に書きたいとは思っていないのでは?」と疑心暗鬼になっても、それでも「書きたい」という気持ちはあるんだし。

書き切れていないこと、納得いく表現に行きついていないことが、私の中にはまだ無限にある。これがもはやただの意地にすぎなくても、少しでも書きたいと思っているうちは書き続けたい。評価されようがされまいが、出版されようがされまいが、私は自分の中にあるものを外に出したい。

それは、私の偽らざる気持ちでした。

そのうえ、私が泣き言をたれている間にも腹の中の生命体はどんどんデカくなっていくんですよね。何をどうしたって、相当な悲劇が起きない限り数ヶ月後には人間一体をこの世に生成し、それを生き延びさせるミッションが始まる。このタイムリミットの威力はすごい。まさに待ったなし、まさにケツ火。

何がなんでもこの憂鬱と自責の円環を断ち切り、まどかではなく自分を救わなければならぬ。

私の心の中に、改めてそのような熱意が芽生えました。

オペレーション・ポリュムニアー始動

というわけで、腹に尻を叩かれるようにして、私は以下のような中期目標を立てました。

4月末までに:毎日一定以上の文字数を、”疲れずに”生産し続けるための身体と習慣=システムをつくる。

5月末までに:システムの維持実績をつくり、歯磨きレベルの日常へと移行させる。

6月末までに:12000字以上の「完結した作品」を目標数作り終える(ただし体調次第ではシステム維持のみでよしとする)。

7月:やれることはすべてやりきったという気持ちで、思う存分「ゼルダの伝説 ティアーズ・オブ・ザ・キングダム」をプレイしまくって出産に向かう。

ポイントは、メンタル及び制作物のクオリティには一切フォーカスしていないところです。とにかく書き続けることが第一。自分の身体を、「書き続けることが平常」という状態に持っていくことがゴールです。

私はもともと「昔のように書けない自分」を嘆いていたけれど、この先はもう20代までの私とは違うんですよね。30代からは腕力任せではない、もっと持続可能性のある書き方をしなければ。鼻血を出しながら、徹夜で2万字書いている場合じゃない。

これはつまり、新しい自分の獲得です。31歳でアルゼンチンタンゴを始めて「踊れる自分」を新たに生み出したように、36歳の今、私は「どんな状況でも(無理矢理)書ける自分」から「状況に合わせて安全に書き続けられる自分」を生み出す必要があるのだと思いました。

ま、妊婦生活なんて何があるかわからないし、これはあくまで私が今くらいの元気さで臨月までぶっちぎれたら、の話なんですけどね。書くことを優先して自分や胎児に何かあっても困るので、そこら辺はいのちだいじにで進めるつもり。


そんなわけで、2月の終わりごろから私は、本腰を入れて「書ける自分を新たに作り出すぞ作戦」に取り組み始めたのでした。「シュタインズ・ゲート」風に言えば「オペレーション・ポリュムニアー」といったところでしょうか(ポリュムニアーは文芸の女神の一柱で、「たくさんの歌」という意味があるようなので)。

まだ四月の中間ですが、この取り組みの結果、今はだいぶ光明が見えてきています。一日がかりの用事がない限りは毎日書けている。書きたいものを、少しずつですが着実に書けるようになってきました。

長くなってきたので、具体的にどんな試行錯誤をしたのかについてはまた次回。

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