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明石家さんまさんのごとく・自分のスマホを観察すれば自分のことがよくわかる

SNSを見て気持ち悪いのが嫌だ。好きな写真やものごとがずらっと並んでいるのが好き。気持ちいい。夜に家で自分の番組録画を見ながら笑う明石家さんまさんの感覚がよくわかる。

誰かや何かと比較して「自分の方がすごい」「こっちの方が貴重品だ」とおごり高ぶる意味ではなくて、ぱっと見てふわりとあたたかい感覚になったり、ひとりでにやにやしてしまう感じ。

そう感じない要素を取り入れたくない。SNSの世界でも、実際の暮らしでも。だから違和感を感じるものは削除する。不要になったものは手放す。

頭脳と知能を少しばかり大げさに発達させて来た人類は「達成感」や「成功」を求める生命体になった。ただ命をつないで種を保存するだけでは満足しない生き物になった。

だから単純な生命維持にはいらないものをやたらと生み出して、それにいろいろな名前や理由をくっつけて「人間らしい活動」と総称している。その種類と数がむちゃくちゃ多い。だから選択できずに思考と情報の難民になる。

なにかを成し遂げるときに必要なのは「やること」よりも「やらないこと」をはっきりと決めることが大事。生き方をすっきりしたいなら「いるもの」「いらないもの」を意識する。

当然、その境界線にある「こと」や「もの」がある。その扱いのことを私達は「問題」とか「課題」と呼んでいる。解決すべきことがあると迷ってあれこれ考える。「試行」錯誤よりも「思考」錯誤だけをする人はやがて、生命維持装置のおかげで「思考停止」になる。

命を守るために、これ以上考えていたらマズいと身体がコマンドを送って考えることをやめてしまうのだ。そういう人間がわんさかいる場所で暮らしていると、健全な思考能力がある人は苦しむ。大多数の流れに乗れない自分がおかしいのかな?と生来の貴重な感覚を封印してしまう。

もし、そんな人がいたら「あれ?」と首をかしげる感覚を大事にして欲しい。それがやがて人生の扉を開く鍵になるから。その鍵はひとりひとり違う。誰かの鍵をコピーしても自分の人生の扉は開かない。

考えることも大事なのだけれど。行き過ぎは何事においても、あまりよろしくない。ストイックな修行が好きならばいいけどね。

思考や生き方がごちゃごちゃしている人は、たいてい家や持ち物も整理されていない。近年の整理整頓ブームはその反映。要するに境界線にあるものが増えすぎて、線ではなくて壁になり、それが崩壊して快適な空間も時間も味わえない人生になっている。

選べない人が多いから、とりあえず全部捨ててしまえ!という極論的な片付け方も生まれた。人の身体は死ぬまで基本的に交換できないから、周りにあるものを一掃して生まれ変わろう、という魂胆。その方向が身体に向いてしまったのが自殺だよね。

改築・改装よりも新築で人生をやり直したい。そんな人には全部手放す方法が合っているのかもしれない。デジタルデータのデトックス、なんていうのも最近はよく聞く話。情報が渦巻く機器から物理的に距離を置く、というのはシンプルで有効なやり方だと思う。

更地から人生を構築するにしても、現在あるものから再構築するにしても、結局は自分にとって「大事な要素はなにか」「どうありたいか」がわからないと、またごちゃごちゃな生き方になってしまう。

さて、スマホの話。

これを読んでいる人はスマホやパソコンなどの電子画面を使っているはず。スクリーンを開いたとき何が見える?どんなアプリを使いやすい位置に配置している?どの機能を愛用している?インターネットでアクセスしている情報は何?

それぞれの人生でやりたいことが違うから、インターネットの世界でも表情は様々。使っている電子機器を改めて第三者の視点で観察すると、自分の姿が浮かび上がる。

私の場合、好奇心旺盛であれこれ多様な世界をのぞき見するけれど、ブレずにアクセスしているのは「描画・ものづくり」「動物・植物」「言語習得」「文字・シンボル」「カード・ホロスコープ」「音楽」「本」「建築物」といった分野。アクセントとして物理・量子力学・数学・メイク・ダンス・料理・映画・歌・歴史などなど。

あたりまえのように見たり聞いたりしている世界をニュートラルな視点で眺めることはとても大切。良い悪いの判断はしない。それがいわゆる神の目線。悟りの境地というやつだ。ただただ眺める。

でもそれはゼロ地点。肉体の動きがない。人はそこに立ち止まっては生きられない。水だって空気だって動きがないと澱む。身体と心を休める休息充電をしたら、自分に合った活動をする。それが生きることのすべてだと思う。

感じて動いて観察して休んで。その繰り返し。本来はとてもシンプルな構造。そこにあれこれ意義やら意味やらをゴテゴテくっつけるから、ややこしくなる。さらに他人の世界の基準を中心軸に置いたりする。そうして人は迷い、悩み、壊れる。

どの分野からでも学べることはある。たとえそれが一見くだらないものだとしても。例えば芸能界のうわさ話。美容室に置いてあるゴシップ雑誌をめくるように、ざっと目を通すと、その近辺で生きている人間達の尺度や視点が見えてくる。だから突き詰めれば無駄なモノゴトはひとつもない。

けれどそういうのはチラッと見でいい。自分には合わないな、と感じたらもう見ない。買ったお菓子に入っていた要らないおまけのおもちゃみたいなモノだから。それを集めてコレクションしている人には貴重品かもしれないけどね。要らなければ、そもそも、そういうおもちゃが入っているお菓子を買わなければいい。

人生を楽しんでいる人は他人の生き方にあれこれ言ってる暇がない。私自身、ありがたいことに楽しいことだらけ。ゆとりは世界に回した方がいいと思うので、こうしてややお節介な、まわりくどい文章を書いている。改めて書かなくても古今東西、あちこちで表記されてることなんですが。

それでも書いているのは、自分のためでもあり、ひょっとしたらどこかの誰かには役に立つかもしれないから。スマホなんて使っていなかった頃の私が読んだら未来小説みたいに感じるかもなあ。

デジタルメディアやSNSの使い方に関して「外側からどう見られるか」にばかり焦点があたった発信が目につくので、自分がやっている整理整頓の一環として、使いたいように使う方法の情報提供の場として、※マガジンを作りました。

(※追記: 今日2022年5月11日にマガジンを削除しました。)

やりたいことがたくさんあるから、なるべく日常生活をシンプルに。そう心がけていたら、気がつけばどっさりと自由時間を満喫できる暮らしが構築されていた。心地よくやりたいことがどんどんできる。

楽しくて楽しくて、にやにやしながらアレコレやっていると、なぜだか応援が向こうからやってくる。物質だったり言葉だったり閃きだったり。形は様々。すべてが豊かさだ。

そんな豊かさの中のひとつがお金。そこばかりにフォーカスする人が大半の暮らしは、たまにのぞき見するくらいでいい。懐かしい本やアルバムをみるように。〇〇は間違っている!絶対〇〇しなさい!的な表現につられて盲信したい人は、そういう選択をすればいい。私はやらない。

絶対に〇〇という執着を手放すと、ご褒美のごとくありがたいプレゼントがどんどんやってくる。

食生活を彩る食材やハーブ、手作り調味料や発酵食品。創作活動をサポートする天然素材やアイデア。遊び時間を色濃くしてくれるおもしろい話を届けてくれる友達。過去の私が丁寧に保存していた物やメモ。

ありあまる程の富に囲まれて贅沢の極みを生きている。それをじっくり味わう。ありがたいなあ。せっかく身体を使える「今」をとことん楽しむよ。さて、エスプレッソコーヒーを淹れよう。

長くなりました。

みなさん、素敵な週末をお過ごしください。


Grazie 🎶