見出し画像

主語にルールはないがテクニックならある/作家の僕がやっている文章術138

1文を書くのであれば、必ず主語を書く。

そうしないと「誰」「何」「どれ」が、動作や行動や発言をしたのかが分からなくなる。

だから1文を書くなら、必ず主語を書くべきだ。

そうしたルールを聞いたことがあると思います。

<文例1>
私は、昨日、銀座の老舗で初めてシャツをオーダーしました。

私が選んだのは、青いストライプの生地でした。

お店の人が言うには、今年はストライプが流行になるそうです。

私が、シャツを受け取れるのは6月中旬になるそうです。

私は、そのシャツを着て出かけるのが今から楽しみです。

画像1

文例1の文章だと、幼稚な印象になります。

幼稚な印象になる原因は、単純なことの繰り返しです。

<文例2>
私は、チューリップの花が好きです。

私は、ヒナギクも好きです。

私は、プリンも好きです。

私は、お母さんが大好きです。

文例2は、小学校低学年の作文などにみられる「私の好きなもの」の列挙です。

画像2

主語(私)+助詞(は)+目的語(チューリップの花)+助詞(が)+述語動詞(好きです)

この単純な構文が連続すると、全文を読まなくても、変化のある目的語だけを拾えば、文意は読み取れると感じてしまいます。

その結果、読者は読み飛ばすようになり、余計なことが書いてあるばかりで、全体像を把握できない文章だという印象になるのです。

読者にとって「慣れ」が「飽き」に変わってしまう文章なのです。

<文例3>
私は、チューリップの花が好きです。

ヒナギクの花も好きです。

プリンはもっと好きです。

でも、お母さんが一番大好きです。

画像3

文例3は、主語を省きながら、目的語だった単語を主格として書き改めた例です。

ヒナギクの花や、プリンはもともと目的語です。

1文めの「私はチューリップの花が好きです」で登場させた「私」という主語を持続させて、2文めからは省略し、目的語を主格として文章をつづっているため、目的語に変化を読み取れて、慣れや飽きが起こりにくいのです。

主語が持続されている場合には、引き続きの主語を書く必要はありません。

文例3で述べたことを応用して、文例1を文例4へとリライトしてみます。

<文例4>
私は、昨日、銀座の老舗で初めてシャツをオーダーしました。

青いストライプの生地を、私は選びました。

お店の人が言うには、今年はストライプが流行になるそうです。

6月中旬には、シャツを受け取れるそうです。

私は、そのシャツを着て出かけるのが今から楽しみです。

画像4

「私」という主語は2回だけしか登場しません。

2行目で、工夫をしたのは「青いストライプの生地」の目的語を前にもってきたことです。

言いかえれば、主語と述語を目的語の後ろに配置したことです。

「私」+「は」+「選びました」が主語+助詞+述語(動詞)です。

文章は、主語から書き始めるのが必須ではなく、意味が読み取りにくくならないのであれば、目的語などを文章の冒頭に持ってくることが可能です。

4行目の「6月中旬には、シャツを受け取れるそうです」

の1文には、主語がありません。

これは「私は、昨日、銀座の老舗で初めてシャツをオーダーしました」で登場した主語である「私」が維持されたまま、読者のイメージに残っているからです。

さらに「受け取れる」と受動態にしたことで、主語は必ず「私」であり「お店の人」ではないと、すぐに読み取れます。

画像5

1文を書くなら必ず「主語を書く」のは文法上のルールではなく、分かりやすさ、分かりにくさに対するいましめなのです。

主語がないことで分かりにくくなってしまう文章には主語は必要です。

しかし鉄則ルールではありません。

ときに目的語を主格として書き、その後ろに主語+述語を書くテクニックがあります。

ときに、主語のイメージが読者のなかに継続しているなら、主語をあえて書かないノウハウがあります。

書き終えた文章に「主語」が列挙されていて、うるさいなと感じたら、上記のテクニックやノウハウを使って、書き直してみてください。

すっきりと読みやすい文章になるはずです。


サポートしていただけると、ありがたいです。 文章の力を磨き、大人のたしなみ力を磨くことで、互いが互いを尊重し合えるコミュニケーションが優良な社会を築きたいと考えて、noteを書き続けています。