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インター育ちの思考言語

思考言語について、最近ちょっと色々考える。

次男がインターで学び始めてから早3年。コロナの影響で日本に滞在している期間が長めとはいえ、学校は英語のみ、生活で使うのは英語とタイ語。私との会話以外、日本語はほとんど使わない。

会話は問題がなくとも、読み書き能力は、自分で取り組まなければ現状維持すらも難しい。

昨年くらいまでは、将来的に日本で暮らすのであれば日本語力は必要だけれど、そうでないのなら、最低限の維持で良いかな・・・と思っていた。

とはいえ、日本人として漢字の読み書きはできた方が良いし、ある程度のボキャブラリーは持ち合わせてほしい。

私たちが住む街には、週に1日開校される日本人補習校があるが、週1回の日本語教育では、正直十分とは言えない。こうした理由で、日本語力の維持は、私がサポートしている。

初めは、単に漢字の書き取りをさせていたが、普段文字を目にする機会が少ない環境下では、非常に定着が悪い。漢字は、普段目にするから定着するものなのだと思う。

その上、漢字の書き取りなんて、本当につまらないので、親子とも半年ほどで根を上げてしまった。

ここ半年ほど、息子の成長につれ、会話の内容もちょっと変わってきた。タイの富裕層の友人たちの話から、タイと日本の相続性の違いについて話したり、メイドさんがタイ語も英語も話せないミャンマー人であることをきっかけに、世界の移民の話題になったり。

こういう話題になると、息子が言葉に詰まる。言いたいことが日本語でうまく表現できない。つまり、彼は日本語で思考して、それを日本語でアウトプットしたいのに、ボキャブラリーが足りなくなってきているのだろう。

困った息子は英語で説明する。でも、本当に言いたいこととはニュアンスが違うと言う。

日本語は1つの意味でも、多くの言葉の選択肢がある。ちょっとした塩梅の違いやニュアンスの違いを言葉で正確に伝えることができる言語だと思う。

思考という行動自体は、明確な言葉を使わずとも可能。しかし、いざ人に伝えようとすると、的確な言葉を選ばなくてはならない。普段、母語が日本語である私たちには、意識せずに当然できていることだけれど、息子を通じてその難しさを知る。

改めて、日本語はバリエーションが豊かで、その分難しい言語なのだと思う。バリエーションが豊かであるということは、その言語を使って思考すれば、より豊かな思考ができると言うことではないだろうか、とも思う。

そんな経緯で、息子の思考言語を日本語にするべく、試行錯誤している最中。

日本の新聞は手に入らないので、電子版のコラムを音読させてみる。読めない漢字、知らない単語がたくさん出てくる。文脈の中で言葉の意味を想像させてみる。こうして知った単語の意味は、定着しやすい。

コラムの内容の要約をノートに書く。これはお互いに同じ作業をしてみて、見せあう。コラムの要約なんて、別に正解はない。息子の書いた物を私が添削すると、それは彼が考えたことを柔らかく否定することになる。母ちゃんはこう考えたよ、というスタンスでやって、別の視点を知れば。今のところはそれでいい。

当然だけど、思考する道具としての言語、コミュニケーションの道具としての言語、それぞれに適した言語がある。

他言語を習得して、客観的に日本語という言語を見てみると、改めて、その言語の良さをることができた。日本パスポートしか持たない次男、将来日本で働く可能性だって十分にある。英語環境下での日本語力の維持、今後も私たちにとっては大きな挑戦だ。

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