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[エッセイ] タクシーと人生

まだ愛人になるかならないか、複数の男の人の間をふらふらしていた時期の話。

その日は六本木の会員制高級カラオケボックスで、
全国屈指の、とある観光地の跡取りだという方とご一緒していた。

夜も11時近くなり、神奈川に実家のあった私は
「そろそろ」と伝えると、その方はフロントに電話し、タクシーを呼んでくれた。
この時間では到底最寄り駅までは帰れない。
感謝を伝え、見送られながら迎車に乗り込んだ。


当時、まだタクシーなんて乗り慣れていなかった。

高揚し、お酒のまわりきった頭で私は運転手に訊ねた。

「運転手さん。
この仕事をしていて、何が一番面白いですか」

迎車で呼べるタクシーは、優良マークの運転手のみ。
ゆえに、きっと面倒くさい客だなと思われたけれど、嫌な顔はされなかった。

そうですね───、
まだ若そうに見える運転手は一呼吸おいて言った。

「その日その時になるまで、
どこに行くのか分からないところ、でしょうか」


その答えを聞いて、私といっしょだな、と思った。

どこに行くのか分からない。
今日の自分が、どこへ運ばれるのか分からない。
当時の私は、それが面白かった。


この頃、そして、愛人時代の私は、
誰かの運転する行き先の分からない車に乗り続けていた。そんな気がする。

ついでに、金銭や経済の大動脈さえ他人に握らせるという特異的な嗜好の持ち主でもなければ決して切らないカードまで切っていた。
ある意味、変態なのかもしれない。


今も相変わらずはっきりとした行き先は見えないけれど、自分が運転席についてハンドルを握っている実感はある。

人生、もしかしたらそれさえあれば、
優良マークの運転手なのかもしれない。



#水曜日のエッセイ


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