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旅のすえ また大川に めぐりあう

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彷徨を続けた人生でしたが、いまは大川の畔にもどっています。
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2021年8月の記事一覧

江戸と東京をめぐる無駄話#03/立農主義の物理的限界

徳川幕府は対為す二つの両輪で回っていました。 前両輪が、天下普請と参勤交代制という公共事…

勝鬨美樹
2年前
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江戸と東京をめぐる無駄話#02/天下普請/参勤交代という二つの車輪

徳川幕府は二つの公共事業で経済を活性化させていました。 ひとつは天下普請です。徳川幕府は…

勝鬨美樹
2年前
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江戸と東京をめぐる無駄話#01/米本位制/石高制という二つの車輪

徳川幕府経済は二つの車輪で回っていました。 ひとつは徹底した米本位制度/いわゆる石高制。そ…

勝鬨美樹
2年前
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金貸しの起源#03

「土倉」は貸金商売として室町時代までに形を得た。もともとはモノを貸しモノで返済される形式…

勝鬨美樹
2年前
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金貸しの起源#01

1931年3月の「時事新報」にある「質の起源は詳かでないが文献として初めて現れたのは孝徳天皇…

勝鬨美樹
2年前
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金貸しの起源#04

公益質屋制度を国内で初めて本格的に導入したのは東京市だった。後藤新平である。1924年4月1日…

勝鬨美樹
2年前
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金貸しの起源#02

平安時代に入って、貨幣経済が安定し始めると高利貸業が現れ始める。大半が寺社だった。借上(かしあげ)と称して「田地をもって質となし,あるいは数倍を限って契を成す」とした。 こうした高利貸業者は鎌倉中期ころから土倉(どそう乃至つちくら)と呼ばれるようになった。土倉とは土壁塗りの倉庫のことだが、担保物件を土倉に保管したことからそう呼ばれるようになったんだろう。 たとえば室町幕府の施政方針を示した「建武式目」には「無尽銭土倉を興行せらるべき事」とあるから当時(鎌倉時代)から普通に使

パリの質屋

随分前なんだけど、北京の学校で「マイクロ・ファイナンスとしてのグラミンバンク」について話…

勝鬨美樹
2年前
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月島公益質屋

「都都逸下手でも やり繰りゃ上手 けさぁもぉ七つ屋ぁでぇ 褒めぇられた♪♪」 勝どきの質…

勝鬨美樹
2年前
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月島の質屋へつなぐマクラ

東京へ戻ったのは2010年の秋だった。FUKUSHIMA2011の半年くらい前だった。サンスクエアビルが…

勝鬨美樹
2年前
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