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江戸と東京をめぐる無駄話#02/天下普請/参勤交代という二つの車輪

徳川幕府は二つの公共事業で経済を活性化させていました。
ひとつは天下普請です。徳川幕府は、すべての大名に、その禄高に合せて江戸城および譜代大名の城郭設営/治水・道路敷設/江戸の町の造設賦役を負わせました。
そしてもうひとつは参勤交代制です。当時外様・譜代合わせて大名家は250以上ありました。これら大名家に幕府は2年ごとに江戸へ参覲し、1年経ったら自分の領地へ引き上げることを命じました。これが参勤交代制/参覲交替です。江戸幕府が課した大名軍役の一つです。

何れも目的は、戦争が無くなったため、蓄財が可能になった各大名に大きな経済的負担を背負わせて弱体化させるためでした。しかし無計画に弱体化させると政情が不安定になるため、徳川幕府の法令集「御触書寛保集成(8代将軍徳川吉宗が評定所に命じて集成させた)」で見るように「従来の員数近来甚だ多し。且つは国郡の費、且つは人民の労なり。向後その相応を以てこれを減少すべし。」とし、過度の疲弊は避けようとしていました。しかし、干ばつ飢饉に対する各藩の態勢は時代とともに疲弊し、これが最終的に江戸幕府の倒壊に繋がっていくのですが・・それは先の話です。

この二つの公共事業、天下普請と参勤交代によって江戸時代の経済は大いに振るわい、江戸は膨大な消費需要を生み出す一大集約地点になりました。
前述しましたが、徳川幕府は直轄である江戸・大阪・京都・そしてのちには長崎をネットワーキングし、物流の大きな流れを構築しました。これは過去誰も出来なかった。理由は、この時代になってようやくハード面ソフト面が確立されるようになったからです。治水/鉱山/開墾/造船航海技術などハードと、オペレーション技術が熟成されたのです。これによって、日本国/徳川幕府は日本列島全体を市場とする経済を確立させた。まさに天下統一を為したのです。

そしてその中心に立つのが江戸という町であり、その経済の中心が天下普請によって整備された江戸前島/日比谷入り江・・いまの中央区だったというわけです

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました