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責めがちだった自分をデトックス!あったかい自分へ

夢でうなされる。

今までつらかったことが、再び繰り返される。

自分の中でデトックスしようとしてるんだなぁって思う。


起きたあとは、しばらくズーーンと重たい気持ちになるのだけど、もう大丈夫だと思えるから不思議。

今までやっぱり苦しかったんだね、私。

だから一生懸命、noteで自分を応援するしかなかったんだ。


自分を楽にしてあげる記事。


キッカケは自分で書いた記事

先日、『「自分はダメなやつ」から卒業できちゃうたった2つのステップ』という記事を完成させた。

記事を書くことのメリットは、スッキリとか納得とかいい形で結論を書かなきゃって無意識に思えること。

この記事を書きながら、実はそれを探ってた。

どこに落としどころを作ったらいいんだろう?って。


そうやって書いた記事に、私は自分で何度も救われてきた。

自分を客観的に見て判断し、絶対に応援しようと思って選ぶ言葉は、誰の言葉よりも自分に届くんだよね。


自分に「マル」って言ったあとに必要なことは、上手くいかない現実への対処を「自分以外」に視点を向けること。

これが今回、自分で書いていちばん自分に響いたこと。


今までずっと自分を責めて、頑張らせてきたんだもの。

もっと力を抜いていいんだよね。

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頑張らなくてよかったんだという気づき

私の脳は単純。

目の前で起きた上手くいかない現実を受け入れられなくて、

「もっとここを頑張れば上手くいったかもしれないのに。」

と反省することで次につなげる、向上心あふれる思考回路。

向上心って言えば聞こえはいいけどさ、というかそれがいいことのように思っていたけどさ、実際には現実を受け入れられず、もがいているだけだったのかもしれないよ。

上手くいかなくて傷つく自分を守るために、長年の経験の中で出来上がってきた思考回路なんだろうね。


フォーカスは「上手くいかない現実」に常にあたっていて、上手くいったことは素通りだった。

もったいないよね。

だけど、目の前で起こる上手くいかないことを、試行錯誤して上手くいくように努力する…これが私の生きがいになってたのかもしれないな。


だって、何か課題がないとヒマじゃない?

というか、常に人は成長し続けていないといけないんだっていう強迫観念のようなものだったのかも。


自分が成長するための何か考えることが欲しかったんだと思うし、上手くいかないことに取り組んで前に進んでいくって、美しいというか、姿勢として悪くなくて肯定しやすかったのよ。

私はきっと無意識に、そんな自分に仕立てたかったのかもしれなくて。


多分、見方を変えてたら、今まで問題視してきたことは何の問題もなかったんだと思う。

でも私、学校が合わない長男や激情型次男をもっと上手く育てられていたら、ここまで振り切らなかったんじゃないか、長男も学校に行けていたんじゃないか…。

心のどこかでそういう想いを捨てきれてなかったみたい。

発達支援の勉強、自分と向き合う学び、人との距離感や信頼関係とは何かという自問自答。

もう何年も、時間があるとそんなことを考えて過ごしててね。

さらに拍車をかけたのが、「他人はコントロールできない、コントロールできるのは自分だけ」という考えね。

やっぱり私のあり方が大切なんだ!と息巻いてしまってたっけ。


それなのにね、気がつくと、自分は「どうありたいか」が大切なはずなのに、いつのまにか「どうあるべきか」に移ってるの。

また「環境に合わせて自分を変えよう」というモードに勝手に入っちゃってて。

怖い怖い。

自分の無意識の思考回路って、恐ろしい。

こうやって、今までも一生懸命、過剰適応してきたんだろうなって思う。


昨日、ハタと気づいたの。

私が頑張ったところで、長男が学校行くわけでも、次男が問題児を卒業するわけでもないじゃん。

頭ではわかってたはずなのに、やっぱり根深く罪悪感があったんだね。

もっと私がちゃんとやれてたらって。


今の職場でも、私が求められている役割は何だろうって探り探りやっていて。

微妙な立場だからこそ、メリハリつけなくちゃって。


またそうやって空回りして、自分で自分の居場所を狭くしようとしてるんだな、あるべき姿に近づけようとしてるんだなって、今回は何とか気づけたよ。

仕事ではやることやって、帰ればいいじゃん。

そのうち、見えてくることもあるさ。


私以上にはなれないもの。

あるべき姿になれてなくたって、私は私でやれることを積み重ねていけばいいんだよ。

それが自分らしさじゃん。

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自分の想いを言葉に

おんなじこと何度も繰り返してる。

noteでも同じようなこと何度も言い聞かせてる。

結構、根深い。

だからこそ、何度も何度も違った視点や場面で考えて、修正していく必要がある。

自分をいじめすぎないために。


例えば、私が仕事を辞められない理由って

「誰かを救いたい」

からで、目の前の人が笑顔になってくれると嬉しいんだよね。


でもその心って、本当は自分を救いたかったのよ。

人を救うことで自分を救えることもあるかもしれないけど、やっぱり一時的で。

しっかりと自分を見つめ直して、良くも悪くも自分ってこんなもん!って自覚して、自分をまずは応援してあげるって大事なんだと思う。


自分はそのまんまでよくて、何者かにならなくてよくて、その場に必要なあるべき姿にもならなくてよくて、今、私がやりたいって思うことを自分で応援してあげるだけでよくて。


だから今はね、仕事や子ども関係で人と接する中で、今までの自分を感じてる途中なの。

今までの自分は、起きた事実のひとつひとつにダメ出ししちゃうでしょ?

それをその都度自分で書き換えてあげないと、なかなか現実に対する自分の無意識な反応って変わってこない。

私は自分を追い込んできた時期が長かったから、結構頭はガチガチよ。


だけど今度こそ、自分のこと、もっともっと大切にできるようになりたい。

外野の声を「ふむふむ、そう感じるのね」と聞きつつも、自分の声も一緒に聞いてあげたい。


いつもちゃんと聞いてあげられなかった

「私はどうしたいの?どうしたかったの?」

を、ちゃんとわかってあげたいって思う。


あ、ちなみに前の職場での思い出は、いいことも悪いこともあるんだけど、いちばん自分の中で残ってた気持ちは

「もっと大切にされたい」

だったのね。

でも、送別会に出たら、ちゃんと大切にされてたの、わかった。

多分、いちばん大切にできてなかったのは自分自身。

勝手にそういう人間なんだって、自分で決めつけちゃってたんだと思う。


だから次の職場では、自分のやることをひとつひとつを大切にしたいし、丁寧に考えたい。

初心に戻って、ひとつひとつ確認していきたいよね。

うん。


今度の職場で深めたいことってね、「多職種連携」なんだよね、ひとことで言うと。

みんなでひとりを見る。

これを楽しみたいと思ってる。

そのためにはたくさんの人と関わる必要があって、信頼関係や距離感、コミュニケーション、と私が最近考えてきたことを実践できる場でもある。


中学のサマーボランティアキャンプで経験した、あの一致感。

私はこの世界で生きていきたいと実感した、あの空気感。

優しい心であふれている時間が好きだった。


全てが優しさで包まれることなんてないのは、大人になってからよくわかったけど、だからこそ大切にするっていう意識って大事だと思う。

私は私に「人のあたたかさ」をたくさん感じさせてあげたい。


だから私は、人にあったかい自分でいたいなぁって思うよ。

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