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子どもと自分を信じること(夜の独り言)

今日も長男と個別登校しました。

行く途中で…


私「先週持ってきてって言われてたアレ、持ってきた?」

長男「持ってきてない。」

私「…え!?

 一度言われたことってさ、もう言われないように次は忘れないぞって気をつけようよ。

 帰ったら忘れないうちに用意しておく、とかさ。

 それが苦手なら、忘れてないか声かけてってママに言うのもアリだと思うし。

 そういうのが社会性なんじゃないかな。

 言われたことはとりあえずやるって大事だとママは思っているんだけど。」

長男「オレはその社会性がないから学校に行けないんじゃないの?」

私「社会性がないから仕方ないとかじゃなくて、社会ってそういうものなのかって知るのが大切なんじゃないかな。

 知っていたら、やるかやらないかは自分で選択できるけど、知らないで怒られるとか嫌な雰囲気になるとかそんなのイヤじゃない?

 自分がわからないことでそうなるって、ママはすごく嫌だった。

 知ってたら回避できたかもしれないのにって。」


親ができることは選択肢を押し付けることじゃなくて、選択できるように情報を与えることなんじゃないかって思ってる。

でもうまく伝わったかな…。


社会性って何だろうね

長男と話していると、社会性ってなんだろうって悩む。

私が言ってることは私にとっての社会性であって、長男にとっては必要のないことなのかもしれない。

社会適応のための方法って幅広くあって、私が思うやり方はそのひとつで、それをしなければならないわけでもないんじゃないか。

でも大切な考え方のひとつだと私は思っているし、それを知っていることは悪くないんじゃないかな。


いろんな気持ちが胸の中をグルグルと駆けめぐる。

そのたびに私は親としての自信がなくなる。

この子に私ができることってなんだろう?

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私を勇気付けてくれた言葉

最近読んだ、なんかの本に書いてあったな。

子どもはまずは親の価値観を受け入れ、それに沿って生きていく。

それがその子に合っていたらそのままその価値観を採用し続けるかもしれない。

でも思春期あたりで、自分が生きていきたいカタチとはなんか違う、と思って親からの自立を始めるみたいで。

親が与えた価値観と自分が生きていきたいカタチがかけ離れているほど、思春期の葛藤や混乱が大きくなり、荒れているように見えるとか。

だから子どものそういう姿が見えたときは、その子の気持ちや考えを尊重してあげるのが大事って。

そんなときに親の価値観や意見を伝えても逆効果なのはそういう理由なんだね…なんか納得したんだ。


私は母をはねのけられなかった人間で、母の言うこともわかるし、聞いてあげないと悲しむとかそんな気持ちがあって、反抗しつつもしきれなかったな。

母は母、私は私、ってうまくできなかったからもな、実は子育てしていると子どもと同化しやすかったり、自分と引き離して考えられないことが結構あった。


今はちゃんと母としての意見も言いつつも、なんとなく長男の考え方も受け入れたり、長男は長男で考えているんだろうなっていう空気を感じる。

多分、そういう距離感は悪くない気がする。

だけど、それをやりながらもどこかでは不安を感じてる。


夫も昨日言ってたな。

夫「以前みたいになんかちょっと無理のあるような感じでグイグイに関わる感じがなくなって、すごく自然に関わっているし、適度な距離を置きつつも大切なことは伝えられていると思う。

 いいんじゃない?

 悪くないよ。」


そうか。

夫にもそんなふうに見えてるんだ。

やっぱり私、今までが前のめりで、ちょっと不安が残るくらいのこれくらいのバランスの方がバランスいいんだ。

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感覚の修正って難しい

私は多分、離れているけど大丈夫っていう感覚が弱い気がする。

今の職場でもそう。

ちょっと苦手で馴染めない人たちの中で、ちょっと離れているけれど大丈夫っていう関係がどうもすごく違和感があるみたいだし。

仲良くなれないとダメなんだ、みたいな。

ダメじゃないのは頭では理解していても、感覚的になんとなく違和感が拭えない。


関係が近くていつも心地よくいられるって、それはいいのかもしれないけれど、近ければぶつかることもうまくいかなくなることも多くなる気がするよね。

なのに、近くてずっと心地よいのがいちばんいいって錯覚から感覚が修正されない。


それはからだケアで言うと、肩が痛いのに動かさないと固くなっちゃう不安から、痛くてつらいのに無理に動かし続けてしまうタイプの人に良く似てる気がする。

その奥にある感情って「不安」だと思ってる。

自分でなかなか「大丈夫」と思えない。

そういう人に「やり過ぎは禁物です」と理屈を説明しても、やめられないことが多い。

理屈よりも、安心感を与える方がうまくいったりする。

理屈だと、こういう理屈でこれはダメという伝え方になるからかな。

安心感を与えようと思うと、こうすると楽になりますよねって言い方になるし、それだとなんかそうなんだなーって心がふわっと楽になる気がするものね。

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私を安心させる言葉

やっぱり安心感かな、今の私に大事なの。

私が安心できる言葉を、少し離れているところから見ている自分を作って、考えてみようと思う。

私は何に不安を感じていて、どんな言葉をかけたら安心できるんだろう?


自分でできることをひとつひとつこなしているんだから大丈夫だよって言葉かな。

うん、それはひとつひとつやるようにしてるし、無理せずにできること、そして子どもとの関係を悪くしないようなやり方で積み重ねていってるって思ってる。

でも大丈夫ってなんだろう?

子どもや自分を信じるってことかな。

信じるってどうやるの?

信じるってどういうときに湧いてくる感覚なの?


実際のやりとりから考え直す

今、長男と次男とちょっとぶつかったから、いろいろと話しながらも、信じるってどういうことなんだろうなーって考えてた。

やっぱり対応の仕方に答えってない。

ネットで検索したらいろんな考え方がたくさん出てきて、どれもいかにも!っていう理論が出ているんだろうけど、今どの理論がこの状況に合っていて、どうしたら正解か、なんてのはないって思った。

ないと言うよりは、求めているものはそれらじゃないって感じだと思う。

私は私がこの子たちと向き合ってきて、今この子たちにこれが必要だと思う!と思っている自分の感覚や考えを信じてやってみる、が大事なんじゃないかって。

それが自分を信じるってことだし、結果的には子どもを信じるってことなんじゃないかなって。


それから感情に任せて叱ることは良くないって言われているけれど、親だって人間だもの。

たまにはそういうときがあったっていいじゃない。

だって我慢できなかったんだもの!


普段は冷静に対処するように心がけるし、丁寧に言い聞かせたり、話を良く聞いたり。

でも今日のはどうしても納得いかなかった。

2人に考えさせたかった。

私の悲しい想いもちょっとわかってほしかった。

…ごめん!!


フゥーーーーー。

そういう自分も許す。


今日は私、頑張った。

小学3年次男が今日も学校に行かないって言うから、先生に電話して、長男と次男に朝ごはんと昼ごはんを用意して、三男連れて幼稚園に送って、私は仕事して。


次男は予定がある方が過ごせるタイプ。

ゆるめで簡単なプリントを用意して、アレクサに時間を伝えて、スケジュールも紙に書いて貼って、

「やれるだけでいいから、このスケジュールでこのプリントやっておいてね。

 2年生のだから、そこまで難しくないはず。」

朝のバタバタで、最低限のスケジュールを作った。

次男の不安は学校で聴こえてくるアラームの音らしい(特別支援の一環。いいと思う、とても!でもその音で他の子が不安になるって難しいなぁ)。

登校にはちょっと時間がかかりそうな予感がしてる。

そんなこんなでちょっと気持ちが不安定な中で仕事はキチンとこなし、急いで終わらせて13時過ぎ。

帰ってきて、そのまま今度は長男の登校。

終わったら三男のお迎え、束の間の休憩で夕ご飯の支度!


いっぱいいっぱいになるでしょ、そりゃ。

そして、月のモノがなんと初日。

最悪よ。


そこに長男がひと言。

「次男が明日も休むとオレ、家で集中して勉強できないんだけど?」


いやいやいやいや!

次男だって学校休むでしょ、それで集中できないなら持ってるイヤーマフ使うなり、部屋の使い方を考えるなり、自分で何とかする方法考えて欲しいわ。

それでも無理だったら一緒に考えるからさ。


次男、「オレがダメだからでしょ。」

いや違う。

全く違う。

そんなこと言ってない。

つーか、何でもそこに結論を持っていかないでくれ。

自分がダメ、だけじゃない結論を持てるようになってほしい。

それしか結論持てないと、自分責め人間まっしぐらだから。

それ、ホントきついから。



親子の関係って難しいよね。

関わる中で試行錯誤。

お互いに理解し合ったり、伝えたり、時にはぶつかったりしてさ、少しずつ築き上げていくものだものね。

そうだな、私、ちょっと怖かったのかもしれないな。

私の関わり方のせいで子どもたちがつらくなっちゃったら、うまくいかなくなったら、なんて考えてたんだね。

だけど…私との関わりの中でいろいろ学んでいく、それでいいんじゃん?

そうやってベースができて、外でも試していって、少しずつ自分らしさができてきて、成長して、新しく挑戦してみたり失敗したりして。

そういうのを楽しめるように関わっていったらいいんじゃん。

そんなに怖いことじゃないよ。

ときにはぶつかったって大丈夫だよ、それでも大丈夫なベースを築いてきたじゃん。

時間が必要なときだって、距離を置いて見守った方がいいときだってある。

うまくいかなかった経験が、大きな力になることだってある。

私だって子育てで自信なくして、自分がこんなにも情けないんだって思ったけど、そういう経験が私を強くしたし、成長にもつながった。


だからさ、もっともっと子どもたちに伝えたっていいし、一緒にやろうって引っ張ったっていいし、やらないなら少し様子見たっていい。

なんだっていい。

私が感じて考えて判断したことを信じていい。

一般論とズレててもダメなんじゃないかって思わなくていい。

大切なのは自分と目の前の子どもたちの表情や行動。

自分と子どもを信じて、やれるだけやってみよう。


うんうん、こうやって私も自分のご機嫌をとっていこう。

悩むことは悪いことじゃないもの。

ね!

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