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周りの大人に理解がないから学校には行かない

この記事は現在週1回、個別登校中の小学5年生の長男の話です。


いつも穏やかな長男の珍しい怒り

長男がデイから帰ってきて、久しぶりにブツブツ文句を言っていました。

「学校に行ってないから勉強してないと思ってるんだよ。

学校行ってないとヒマだと思われてるんだよ。

腹が立った。」

「デイの職員?」

「そう、まだ来て1ヶ月くらいの新しい職員。」

「そうなんだね。

多分わからないんだと思う。

きっと不登校の経験がないんじゃないかな、その人って。

あったとしても、長男みたく上手にいろいろと取り組めてなかったのかもしれないよね。

だけどわからないのにわかったようなことは言ってほしくないよね。」

そう言いながら難しいなぁーと思いました。

その一方でいい葛藤してるなぁーとも。


確かにね、長男は不登校になって1年、かなりスケジュール管理が上手くなっていて、勉強やデイ、好きなことで1日があっという間に回っているようで、「忙しい」が最近の口グセなくらいで、不登校中のイメージとは違うかもしれません。

それなのに見当違いなことを言われたのが、「理解しようとしない大人」に思えたのでしょう。

なかなか長男が頼れそうな大人を見つけるのは難しいです。

それでもいつかは…ね。

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長男の心を理解するための質問法にチャレンジ

ここで、ある質問法を試してみようと思いました。

それは私がこの人の言うことってしっくりくるな、と思っている方のメルマガで募集していたセミナーがあって、それで学んだ「その人の求めていることを見つける質問法」です。

それに沿って聞いていくと、どうやら長男は周りの大人がもっと理解を示してくれたらもっと学ぶ気力が出てきて、やりたい気持ちも膨らんできて、学校にも行けるんだそうです。

えっと…学校に行けないのは相手次第のことだったの?とビックリしたけれど、きっと長男はもっと周りに理解されたいと思っているんだと思いました。

理解してもらえるような表出がなかなか難しいのだけれどね。

だからこそ、それを含めて察してくれるような大人が必要なんだけれど、今までいろんな方のサポートを受けてきて思うのは、長男の理解は結構難しいし、信頼を得るには時間がかかる感じがします。

これは長い目で見て付き合っていくしかないなぁー、折り合いつけながら少しずつステップを踏めたらイイなぁー、そう思いました。

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長男のスゴイところ

一方で、家での生活はかなり板についてきて、自活能力はどんどんスキルアップしている気がします。

スケジュール管理、時間管理、生活リズム、ご飯の支度、お手伝い、整理整頓…こういうことは多分無理に学校に行っていたらこんなにゆとり持って学べなかっただろうな、と思うんですよね。

それに社会情勢に関してはテレビのニュースを毎日見ているから、私の数倍よく知っています。

こういうカタチもあっていいんだなぁーと長男と向き合ってきて思います。

社会に無理やり適応する力を身につけていくよりも、自分が生活していく上で必要なことを少しずつ学んでいく、その学びの順序は人それぞれでもいいんだなぁーと。

長男は小さいうちから自分の意思や考えをしっかりと持っていて、ブレない子でした。

だから学校に行かない選択もできるし、ちゃんと自分でやるべきことを見出している、そんな感じがします。

それってホントにすごいなぁーと思います。

私はわからないから流されていた、そんな側面もあったから。

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大人になって思うこと

私は夫と結婚して、子どもを産み育てていて実感したことがあります。

私は私の生き方でずっと頑張ってきたんだということ。

たくさんの生き方がある中で、私らしい選択を繰り返してきて、今があるということ。

そして、夫や子どもたちはまた全然違った選択をして生きているということ。

その世界の広さ、選択の幅に最初はビックリして、自分の経験してきたやり方の方がいいんじゃないかとか思ったりして、つい口出してしまったり、文句を言ってしまったり。

経験したことがないことからくる不安…だったのかな…と今なら思えますが、当時は本気でした。

自分とは価値観も考えも感覚も違う子どもの選択を信じる、見守るって難しいですね。

というか、親側の人間力みたいなものが試されている気がしちゃいますよね。

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目の前で起きていることは問題じゃない

目の前で起こっている「問題」のように思える出来事ってそれ自体が問題ではないんだって話、子育てに悩むようになってからよく聞くようになりました。

「えっと、でも問題じゃないの?」

「というか、向き合わなくてどうするの?」

最初はそんな気持ちだったけれど、今はね、なんとなくわかります。


私の場合、私がザワザワしていたり、自分が頑張ってもうまくいかないことに例えば仕事とかで向き合っている最中だったりすると、子どもたちを見る目も厳しくなったりします。

世の中は甘くないんだからねって言いたくなる(笑)

それ、自分に言いたいセリフなんじゃないのって感じ。

子どものことは子どもが乗り越える問題で、それは自分で感じて考えて、自分で乗り越えていくもので、母親である私の視点はいらないんだなって思います。

もちろん母としてやるべきこともあるし、←担任とのやりとりとか日々のサポートとか

私はこんなふうに考えているよってことを伝えるくらいはいいんだと思うけれど、本人の課題を親の子育ての課題にすり替える必要はないのかなって。

私は結構いろいろ気づいちゃう方で、気づくと心がざわついて、つい動きたくなったり伝えたくなったりしてしまうのだけれど、そこはグッとガマンなんだなぁーーなんて。

子どもから信用を得るって結構大変なことで、お腹から産むだけじゃ親にはなれないんだなぁーって思います。

だからといって、完璧な親でいなくては!と思う必要もなくて、というかそうやって気張ると子どもをコントロールしようとしたり見張ったりしちゃうんだよね、ホント、その加減って難しいです。

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親の役割は学校に行かせることではない

親の役割ってなんだろうって、結構真剣に悩みました。

学校に行かせておけば安心って気持ちはあったと思います。

でも学校になんとか行けている次男もそれがゴールではないんだ、と実感する出来事がたくさんあって…私にたくさんの経験をさせてくれる子どもたちに感謝です。

私は親の言うとおりに頑張り過ぎちゃったなぁーって改めて自分を振り返りましたよね。

でもそれも社会でやっていくひとつのスキルなわけだし、何がダメで何がいいってわけではないんだと思うんですけど。


私は子どもたちにしてやれることは学びの機会を与えること、学びの習慣を身につけること、ここらへんじゃないかって今は思っています。

学びって学校の勉強も含めて、生活スキルや対人スキルもだったりします。

それは日常生活で十分できること。

ちゃんとその時間を毎日少しでも取るってことが大事なんだなぁーって思います。

今は私が夕ご飯の支度をしている時間は宿題やドリルの時間です。

気が乗らない時は10問でポイフル一粒とかご褒美を設定したり、ご飯の支度を手伝ってもらう方を選択してもらったりします。

「さぁ、食べよう!」の合図で、長男はお茶を次男は箸を用意してくれるようになっています。

そんな小さな習慣を毎日積み重ねていくことが大事なんじゃないかって思ってます。

でも毎日できなくてもいい。

できない理由にもちゃんと向き合いたい。

そしてたまにはゆるっと休むことも選択したい。

そういうバランスも生きていく上では必要じゃないかって、私は子育てするようになってから実感しています。

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長男のことを理解する加減

今まで私は長男のことをできるだけ理解したいと思ってきたし、気持ちに寄り添ってきたつもりです。

それは長男にも伝わっているし、でもまだまだ十分じゃないんだって気持ちが長男にあるのもわかっています。

それを埋めようとし過ぎていた私、やっと気づいて「何もしない」を実践しています。

多分理解しようとする姿勢は大事だけれど、理解できたという事実はいらない気がします。

不十分だからこそ、何とかしたいというパワーにつながることもあるだろうし、そういう現実を受け入れようと思えるかもしれない。

私はできる範囲で理解に努めたらいいし、できなかったらそれはそれで線を引いてもいい。

長男にはなんとかする力がある、と信じて見守ってもいいし、一緒に何か取り組んでみてもいい。

それは私がそう思ったタイミングで動いてもいいし、本人から言われるまで待っていたっていい。

なんか親である私がもう少し心をゆるめよう、そう思えるようになりました。

子育てでは本当に自分を育ててもらっている感じがしますね。

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