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90歳をすぎた恋愛。さようなら、おじいちゃん

雲一つない紺碧の空が美しい日に

先日亡くなったおじいちゃんに会いに行ってきました。

埼玉の山奥はまだ朝晩は冷えるようで、ドライアイスはせずにおじいちゃんは

大切にお布団にくるまってそのまま眠っていました。

おじいちゃんに話しかけて、いろんなお礼を伝えて、

わたしの幼少期にも優しいけれどベタベタとくっつけるような雰囲気の人じゃなかったから、

ここぞとばかりにほっぺたをペタペタと触って頭を撫でてきました。

生きてたらできない亡くなった今の醍醐味です。笑

おじいちゃんの体は冷たいけれど柔らかくて、だけど中身は空っぽ、そんな感じがしました。

そして、驚くほどの穏やかなお顔だったので、亡くなる時のことを父に聞いたら

「亡くなる前に施設に家族が呼ばれて行ったら、手を握り返してくれて、その後に昼寝をしたまま亡くなった。

お医者さんに確認をしてもらった日がじいちゃんの96歳の誕生日だった。

死亡理由は、老衰死」と教えてくれました。

へ??お昼寝したまま天国へ?!しかも生まれた日と死ぬ日が一緒だなんて・・

山奥で自然と共に暮らし、自然体で生きたおじいちゃんの自然死

なんて理想な生き方と死に方

驚きと喜びと尊さと憧れという感動が、一気に胸に湧きました。

“人も自然” という当たり前で難しい、生物の生き方をわたしに見せ与えてくれたおじいちゃんは、

やっぱり最後まで最高な人でした。

それともう一つ感動したことがあって、それは

残ったおじいちゃんの妻、おばあちゃんがおじいちゃんのことを生き生きとした目で、誇らし気に話してくれたことです。

語る言葉にネガティブなことは一つもなく、

その声からは、おばあちゃんがおじいちゃんを愛していることが伝わってきました。

恋愛を思わせる90歳を越える2人の永遠の愛に、せつなさと温かさが胸に押し寄せました。

前におばあちゃんが自分も施設へ入ったら、おじいちゃんと一緒にすごせるのを楽しみにしているの、と教えてくれていたから、

最後に「おばあちゃん寂しいよね、大丈夫?」と聞くと

「うん、寂しいけれど、おじいちゃんは立派な人生だったよ。なにも言うことはないよ」

と笑ってくれました。

そして「おばあちゃん大好きだよ、また来るからね、待っててね」と

とっさにわたしから出た言葉は、

思い返すと、おじいちゃんからおばあちゃんへの愛のメッセージだったんじゃないかな?と思います。

素敵な素敵なさようならの日、

寂しいけれど、悲しくない

そんな死と生があることを、教えてもらった日になりました。

ありがとう、おじいちゃん。また会おうね♡

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