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生きている、それだけでいい —サンティアゴ巡礼が私に教えてくれた3つのこと—

私は旅で人生が変わった、とは思わない。けれど、旅した記憶は至る所で自分に問いをくれる。サンティアゴ巡礼が私に教えてくれたことは、6年経った今でも私の中に生き続けている。そんな素敵な旅のハナシ。


どうしようもないくらいに、恥ずかしがり屋だった私。サンティアゴ巡礼に行くきっかけは1本の記事

幼少期から母親の後ろに隠れる、そんな子供だった。私が育ったのは岡山県のとある限界集落。あるのは自然と、信号の無い道路と、おじいちゃんおばあちゃん。それから猪と猿。

人から注目されると途端に緊張して、頭が真っ白になり、心臓の鼓動は何倍にも早まった。それほどに人見知りな子供だった。そのくせ、デリカシーのない発言で同級生を度々傷つけてきたりもした。

いつも感じていたのは「なんでみんな、同じことをしたがるんだ」ということ。デリカシーのない発言はそんな感覚から来ていたのだろう。歳を重ねてもそういった感覚を理解できずにいた。

高校卒業後、私は兼ねてからの憧れだった海外生活を始めた。資金は祖父の遺産と母が貯金してくれていたお金、計200万円。そのお金でフィリピンへ語学留学、その後、日本人が少ないという理由でアイルランドへワーキングホリデーへ行く。アイルランドでは英語力のさらなるレベルアップを目指しながら、wwooferを経験したりもした。

なんとなく、面白みがなくなった頃、ある記事に出会った。

「お金をかけずにヨーロッパ1ヶ月、魅力的じゃん!」そう思い、せっかくならアイスランドでオーロラを見てからスペインの巡礼へ行くことになった。


7キロのリュックと運動靴で始めた巡礼、7日後には人見知りを克服

スペイン巡礼に行く人の多くは、準備満タンで行く人が多い。その中で、私はなんと無知だったことか。いたって普通の運動靴に、カバンは普通のリュックサック。パンパンに詰めて7キロ。寝袋はトランジットで立ち寄ったパリで購入した。

準備もクソもない。私のスペイン、サンティアゴ巡礼はそうやって始まった。

はじめて数日、数週は、毎日歩くだけという日々に面白さを感じていた。もともと複雑に考えることの苦手な私にとって「毎日、平均15キロ歩いて、食べて、寝て、サンティアゴへ向かう。ただそれだけ」というのは、シンプルでわかりやすかった。

しかし次第に、時間を持て余すようになる。まるでwindowsのデスクトップのような風景と、歩くだけの時間。まるで歩きながら瞑想しているようだった。

「私はこれからどうしていくのか?」
「何を大切にして生きてゆくのか?」

悶々とする中でもちょっとした変化を感じていた。

毎日、同じ人に、初めての人に、同じように挨拶をする。
「Buen camino(良い巡礼を)」と。

毎日、新しい出会いはあったけれど、その関係性は刹那的だった。どうしようもないくらいに人見知りだった私は、初めこそ挨拶するたびにドキドキしていたが、1週間すぎた頃には挨拶することに慣れていた。挨拶だけではない。誰かと話すときに感じていた、恥ずかしさ、恐怖心を忘れていた。いつの間にか、会話を楽しんでいた。

巡礼が教えてくれた、3つのこと

ありきたりな言葉。だけど、世界広い

世界は、自分が思った以上に広い。狭いという人もいるけれど、私にとってはとてつもなく広かった。日本にいたって、出会わない人、出会わない世界がある。世界に出てみれば、それはもう無限に近かった。

その時に感じたことは、今の生活にも影響を与えている。それは「こんなに世界が広いのだから、日本だけが自分の居場所じゃないんだ」ということ。

拠点を変えること、ライフスタイルを変えること、キャリアを変えること、変化を恐れて嫌う人は多い。今はその気持ちも理解できる。年相応の振る舞いや、成功、生産性が求められるこの世界で、自由気ままに生きるのは勇気がいる。私もそうした視線に、たくさん傷ついてきたし、もがいてきた。

でも私は、少なくとも、もがけた。巡礼で、広くて可能性に満ちた世界を目の当たりにしたから。今ここで、「私は高卒で、強みなんでないんです」なんていったところで、あなたは気にしないだろう。それくらいに、人は人に無関心なのだ。

もし気にする人がいても、気にしない。だってほら、世界はこんなに広くて、たくさんの生き方が溢れているから。私の生き方も、その中の一つ。素敵じゃない?


不完全かもしれない。でも生きている、それだけでいい

巡礼で出会った友人。今でも連絡を取り合う彼が、巡礼後に話してくれたコト。彼は複雑な家庭環境に追い込まれて、命を終わらせようと思っていたと言う。せっかくなら憧れの巡礼をしてから終わらせよう、そんな計画だったらしい。

巡礼中、世の中の苦労も知らず、「せっかく生きているんだ、楽しもう」と、無邪気に言う私。普通ならうんざりするだろう。けれど同い年だった彼は私のそんな姿を見て、これからも生きてみようと思ってくれたらしい。

その話を聞かせてくれたのは、巡礼から1年後のことだった。

「みんな、割り切れない思いを抱えながら生きているんだ」
当たり前のことだったけれど、19歳だった私にとっては新鮮な学びだった。見た目ではわからない闇を抱えている、だから言葉には気をつけなければならないし、簡単に人のことなんてジャッジできないのだ。その時に、やっと自分の傲慢さを理解した。「人のことを理解できない」と言っていたけれど、理解しようとすらしていなかったのだ。

同時に、そんな傲慢な私を見て、生きる希望を持ってくれた彼。「不完全、でも生きているだけで十分」そんなメッセージをもらった気がした。

「みかやんに出会えて、僕は救われた」そう言ってくれたけど、救われたのは私の方だったのかもしれない。


「やりたいことには、なんでも挑戦しなさい」その言葉には、その人の歴史が詰まっている

サンティアゴ巡礼では、本当にたくさんの人と出会う。想像の100倍は出会う。年代もシニアから幼児まで、文字通り「老いも若きも」だ。

そんな出会いの中で、ほとんど全ての人に言われた言葉がある。

「やりたいことには、なんでも挑戦しなさい」

私が出会った巡礼路を歩くシニアのほとんどは、退職して経済的に余裕のある方が多かった。しかしそんな彼らも最初から上手くいっていたわけではなく、失敗しながら、成功するまで頑張ってきた人たちだった。

簡単な人生、そんなのあるわけない。簡単なら簡単なりの苦悩もある。そもそも大多数は、トライ&エラーの繰り返しの末に「成功」と言う名のラベルを手に入れたのだ。

「人それぞれ歴史があって、その人の口から出た言葉は、その人の歴史の一部なんだ」
言葉の中に隠された歴史、未熟な私が推し量るにはあまりにも重い。けれど、そこに想像力を働せることは諦めずに続けていかなければ、と思ったのだった。

巡礼後も出会った人のことを思い出す。「彼らは今、どうしているのだろう?」と。同時に自分に問う、「私はやりたいことに挑戦できているだろうか?」と。


旅で人生は変わらない、けれど

私は旅で人生が変わった、とは思わない。けれど、旅した記憶は至る所で自分に問いをくれる。サンティアゴ巡礼は、特にそうだ。

小さな島国を出て、新しい景色を五感で味わう。それは想像の何倍も素晴らしいことだった。小さな画面では味わえない、温度感、匂い、人の温かさ、現実、全てひっくるめて旅の醍醐味だった。昇進とは無縁の人生だけれど、私はそんな人生が大好きだ。それこそ大切にしたいものだと教えてくれたのは、きっと「出会いと別れの30日」があったおかげだと思う。

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