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あの時、産まない覚悟を持てなかった私へ。



予想外の妊娠だった。


あの日、初めて訪れた産婦人科の帰り道。
私の複雑な胸中を知ってか知らずか、満開の桜が咲き誇っていた。
まるで、「おめでとう!」と祝福されているかのようだった。




*



「あと1年頑張れば看護師になれる」
そう思いながら私は、学生生活最後の春休みを過ごしていた。

2年間を共に過ごしてきた同級生は、そのほとんどが一回り年下。
「春休み一緒に遊ぼうぜ〜」なんて声をかけられることは一切なかった。




「あれぇ、来ないな。」
そう心配し始めたのは、春休みが終わる頃。
いつもは周期通りに来るものが、10日以上も遅れていた。

(...まさか、そんなはずないよね)
そう思いながら、深夜にひとりで妊娠検査薬を試した。
赤い線がくっきりと浮かび上がったそれを見て、鼓動が早くなるのを感じた。
(あと1年で卒業なのに、どうしよう)
そうは思ったものの、‪"自分のお腹の中に新しい命が宿っている"という実感は、全くと言っていいほど無かった。

「きっとあれだ、偽陽性ってやつだ。」
そう言い聞かせながらベッドに入ったが、なかなか眠れなかった。

(近くに産婦人科あったかな?)
スマホを開き、ネット予約ができる産婦人科を探した。
(最短で診察可能な日程は...明日の午前中だ。よし。)
少し気持ちが落ち着いたのか、眠りにつくことができた。



翌日、産婦人科へ行った。
妊娠していないことを証明するために来たのだ、という気持ちが半分。
もう半分は、もし本当に妊娠していたらママになれるんだ私、という期待の気持ちだった。

待合室には、幅広い年齢層の女性たちがいた。
最年少は、生後1ヶ月くらいの赤ちゃん。
赤ちゃんの性別は、遠目には判断がつかなかった。
普段の私だったら、赤ちゃんの泣き声を聞いても別に何も感じなかったと思う。
いや、「うるさいな」と感じたかもしれない。
でも、なぜかこの時ばかりは「かわいい声だな、元気に泣いてるな」と感じた。
自分でも不思議だった。


名前を呼ばれ、席を立った。
簡単な説明を受け、恐る恐る診察台に乗った。
こんなにも明るい場所で、こんなにも股を開いたのは、物心がついてから初めての経験だった。
しかし、羞恥心を感じるほどの心の余裕は無かった。




「お腹の中に赤ちゃんいるよ。」
そう言われ、エコー映像を見せてもらった。

妊娠6週目🕊


丸くてちっちゃい卵。
まだ人の形にすらなっていない我が子を見て、「愛おしいな」と思った。
自分のお腹の中に、新しい命が、確かに宿っている。
それは、フワフワと宙に浮いているような感覚だった。

「おめでとうございます!」
先生が、満面の笑みを浮かべながら言った。
「ありがとうございます」
そう反射的に口にしたものの、素直に全力で喜べない自分がいた。



なぜなら、お腹の子の父親である彼とは既に別れていたからだ。
フワフワと宙に浮いている場合ではなかった。

もし彼にこのことを話せば、反対される可能性がある。
いっそのこと、何も告げずに黙っておこうか。
いや、それはよくないな。ちゃんと話そう。
いや、でも、もしトラブルになったら?

そんなことを考えているうちに、1ヶ月も過ぎてしまった。


ようやく決心し、彼に妊娠していることを告げた。
彼は、今までに見た事がないくらい動揺していた。
もう、この時点で、私が1番聞きたくない単語が彼の口から出てくるであろうことは容易に予想できた。

それから何度も話し合いを重ねたが、結局、彼と一緒になることは叶わず、未婚で出産することを決めた。




*



未婚で出産することに対して、家族を含めたほとんどの人が否定的だった。


「あなたのことを大切にしてくれる人は絶対いるから、今じゃないと思う 」
「あなたは、ちゃんとしてる人間だと思っていたのに」
「この2年間を無駄にするのか?頭を冷やせ」
「お前はあまりにも常識がなさすぎる」
「学生のくせに何をしてるんだ」
「産むべきじゃないと思う」
「赤ちゃんがかわいそう」
「お前はお荷物だ」
「ありえない」
「無責任だ」


大好きな家族から氷のように冷たい視線を浴びせられ、心臓がギューッとなった。

そうやって否定され続けているうちに、
「やっぱり私が間違っているのかもしれない」
「みんなの言う通りにした方がいいのかもしれない」
と思ってしまうこともあった。

我が子を父親のいない子にしてしまう罪悪感から、自分を責めてしまう日もあった。


...確かに、客観的に見たら、常識はないし無責任だしありえないのかもしれない。




でも...

誰になんと思われようと、誰になんと言われようと、私は、ただ、お腹の中の子に会いたかった。

きっと、それ以上でも、それ以下でもなかった。




*



息子が産まれた瞬間のことは、9ヶ月経った今でも鮮明に覚えている。
産まれたてのシワシワな息子の、可愛らしくも逞しい泣き声を聴いて、とめどなく涙が溢れた。

...ちなみに、今現在は、ゴジラのような声で泣き喚く息子に頭を悩ませながら、たまに涙している。





「未婚で産むなんて、よく覚悟できたね」
そう言われることがあるが、なぜかしっくりこない。
褒められてるのか、けなされてるのかも判断がつかない。

でも、ある時ふと、こう思った。

私は、"産む覚悟があった"わけではなく、
"産まない覚悟がなかった"だけなのではないか。


うん、きっとそうだ。


「私は、産む覚悟があったから産みました!」
と、子育て中の今でも言い切ることができない。
そんな自分が情けないな、とも思う。


だけど、これだけは言い切ることができる。


あの時、息子が私の元にやってきてくれたのは必然だった。
そして、あの時、産まない覚悟を持てなかった私は、決して間違っていなかった。


今、息子とともに過ごすことができている幸せな毎日が、それを証明し続けている。




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あの時、産まない覚悟を持てなかった私へ。


ありがとう。
あなたのお陰で、私は今、可愛い息子と幸せな日々を過ごせています。
もしあの時、あなたが周りの意見に流されていたら、息子はこの世にはいませんでした。
もしそうなっていたら、責任を感じて耐えられなくなり、私もこの世を去っていたかもしれません。
あなたが自分を信じて、自分で選んでくれたから、今があります。
みんなに否定され続けて、自分のことを信じられなくなった時もあったよね。
でも、大丈夫だよ。
あなたは決して間違ってない。
だって今、生後9ヶ月のあなたの息子は、毎日元気に泣いて、毎日元気にハイハイをして、毎日元気にミルクを飲み、毎日元気に離乳食を食べ、そして、毎日楽しそうに笑っています。
とても可愛い、天使のような笑顔だよ。
月並みな意見だけど、本当に心からそう思う。


この幸せな日々の、どこが間違っているというのだろう。
もしこれを間違いだ、非常識だと罵る人がいるのだとしたら、私はその人を思いきり抱きしめてあげたい。
私は今、それほど大きな愛を、毎日息子から受け取っています。


本当にありがとう。


息子と一緒に笑いあえることがどれだけ幸せなことなのか日々感謝しながら、私はこれからも、この笑顔を守っていきます。


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サポートいただけたら とても嬉しいです🥰 いただいたサポートは息子のオムツ・ミルク・絵本代、そして私のグリーンズフリー代に使わせていただきます🍺(冗談です笑)