見出し画像

休職から「覚悟完了!」するまでの軌跡(3/3)【おまけハック】

※あくまでも筆者の個人的な経験談ですが、みなさんの選択肢が一つでも増えれば幸いです。

前回は、休職期間中に体調をどのように改善させたのかについて触れたが、そうは言っても、日頃突然見舞われる”気持ちの落ち込み”や”希死念慮”との闘いも余儀なくされる。
今回は、そうした気持ちの落ち込みからどのように回復を行ったかの方法について触れたいと思う。

【食生活以外で行った対処】
①這ってでも朝シャワーを浴びる
筆者は朝起きた瞬間の”希死念慮”が強かった。脳科学的にも睡眠から明けた瞬間は、感覚が研ぎ澄まされているため、潜在的に不安に思っていることが表出化しやすいことも原因にあるらしい。
ここでも”肉体”からのアプローチとして、朝に毎日40度以上のシャワーを浴びるようにした。
朝、どれだけ絶望感で死にたくなっても、とにかく這ってでも風呂に向かって熱いシャワーを浴びるのである。ぬるい湯ではなく、熱い湯であることがポイントだ。
湧き上がる”死にたい”という感情は、脳のバグである、と割り切り、そのうえで熱めの湯を被り意識を肉体”に向かせる。つまり、思考優位になってしまっている肉体を、身体的優位に揺り戻す行為であり、瞑想と同じような効果があるのではないかと思っている。

15分ほどシャワーを浴びると、呼吸やこわばっていた身体が緩んでいることを感じてもらえると思う。気づくと、起きた瞬間の叫びそうになるほどの希死念慮も、影を潜めていることが多い。

ぜひ試してみてほしい。

②過去の体験を”偉人の伝記”のようにジャーナリングする
筆者は、精神科のカウンセリングが合わないタイプの患者であった。
こちらの対処方法が最も個人によって向き不向きが分かれる体験であるので、取り扱い注意で見ていただけると幸いだ。

学生時代の就活での自己分析の果てに、加藤諦三の本に行き着いてしまい、自身が”アダルトチルドレン”に該当するとわかったときから、自尊心が打ち砕かれた。
なぜ、私は、”嫌われたくない、一度でいいから愛されたい”という気持ちで、体調を崩すまでゼミ活動や学生団体の活動やアルバイトに勤しんだり、他人からの評価に固執し、失敗や他者からの失望を極度に恐れるのか、理由がようやく言語化された。
そして、どうやって圧倒的な他者評価の場である就活に立ち向かえばよいのか、と途方に暮れた。

この経験もかなりハードだったが、もし需要があれば、同じような境遇の学生向けに書きたいと思う。

そうはいっても就活は待ってくれないので、自分を鼓舞するために、様々な心理学の本を読んで武装した結果、派生で、カウンセラーの技法もいくつか知ってしまい、カウンセリングで傾聴されても、テクニカルなものを感じてしまうようになっていた。

そのうえ、感傷的で一切具体的な解決への示唆がない、寄り添いだけの言葉をかけられると、「でもあなた定型発達なんですよね?どうやら機能不全家庭の出身でもないですよね?私の苦しみを解像度高く手に取るように理解することはできないですよね?」と思うタイプの性格の悪い患者であったので、カウンセリングに行くことでかえってフラストレーションが溜まり、行くことをやめた。

代わりに、自分の過去を鼓舞することによって自力で自尊心を高めようとした。”偉人の伝記風ジャーナリング”である。

自身が超成功者になったと仮定し、過去の”孤立無援だったけどなんとかやり過ごした経験”に焦点を当て、第三者視点で、当時の耐え難い苦難の経験を礼賛しまくる文章を書く、といったやり方だ。

〈偉人の伝記風ジャーナリングのイメージ〉
”孤立無援で切り抜けた経験”を中心に、いかに自分が苦心をしてその逆境を乗り越えたのかについて書く。手書きでもPCでも構わない。
このハックのポイントは、ゾーンに入るまで文章を書きなぐることなので、筆者個人としてはPCで書くことを勧めたい。

とにかく、過去のエピソードから、ささいなものでもよいので、孤軍奮闘したエピソードをありったけ絞り出して書きなぐるのがポイントだ。
エピソードは以下のように書いていくイメージである。
筆者は、エピソードの書き出しを幼少期~社会人までひたすら書きなぐった。

(例)
学生時代、愛情飢餓状態で就活に突っ込み、一方的に社会評価の俎上にあげられるというプレッシャーの中、企業からの問いかけに返す刀を磨くため、
ノート1冊書き切るほど自己分析をして凌いだ。
親に愛されなかった境遇も、ADHD的特性も、社会は寄り添ってはくれないし誰も味方なんかじゃなかった。
ただでさえ、自己否定される就職活動は辛いというのに、自分は自分以外には救えないからと言って、誰にも弱音を吐かずに、たった一人でやりきった。
そんな就活生、全体のうちで何割いただろう。こんなハンデを背負って、普通の学生のふりをして、毎日面接を受けていた学生はどれくらいいただろう。(自分を鼓舞して高めるような、俯瞰した視点でのFBを書く)
毎晩泣きながらESを書いたし、吐き気が止まらなくて面接前にトイレに駆け込んでえずくなんて日常茶飯事だった。

思えば、周囲に理解されなくても自分の可能性を諦めずに粘って勝つという成功体験はここから始まっていたのだ。(今から過去に振り返るという視点で、嘘でもいいから、今の成功に繋がる行動はここから始まっていたのだ、と自分の記憶を再編集する)

誰しもに”あれは本当に寄る辺なくてマジできつかったな”という体験はあるのではないだろうか。特にADHDの諸君には、人知れず努力し、人知れず泣いて、なんとかした経験がいくつかあるんじゃないかと思っている。

そういう記憶の中から、”もう本当にお手上げ状態だったけど、やぶれかぶれでなんとかなった経験”をピックアップして、偉人が過去を懐かしむような心情で、自分の辛苦を文字にしながら鼓舞してほしい。

このような形で、自分の孤軍奮闘っぷりを余すことなく称賛して自己肯定感を回復させるのである。
しかも、これには副次的な効能があり、文章に書くことに没頭する行為自体が、ADHD特有のざわつきやすい脳を鎮め、ゾーン状態にまで持っていってくれる。
最初は、自分で書いておきながら、何いってんだよ、という心の声が湧き上がってくるが、無視して、とにかくドラマチックに過去の経験を書き立てる。そうすると、没頭し始め、ゾーンに入ってくる。

ゾーンに入ると、それまで負の反芻思考が止まらない状態から強制的に思考がストップさせられるので、文章を書ききったあとには不思議と頭がすっきりクリアになるという効果も得られるのだ。
ポイントは、頭の中のセルフトークが一切なくなり、無我の境地、つまりゾーンに入って、そして集中力が切れてくるまで文章を書き続けることである。
そうするとジャーナリングの効果は一層増すはずだ。
カウンセラーとの会話が苦手、カウンセリングされることに抵抗がある方はぜひ試してみてほしい。

次回はADHDの特性を踏まえた企業選択の考え方【劇薬編】について述べたいと思う。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?