新型コロナによって、私たちの生活が一変したことで、世界中の人たちが、それまで暮らしていた日常が突然に変わってしまうことがあるということを直視したと思います。
それは、大切な人を失うことであったり、仕事を失うことであったり、地理的分断であったりと悲しいことがある一方で、デジタル化の加速のようなことも同時に起きました。
私は大学で日本文学科を専攻し、ゼミの先生が現代文学が専門だったので、小林秀雄の批評文を入口に「無常観」や「死生観」というのをひとつのテーマにした授業がありました。
(実は、この先生は病気で余命宣告をされていて、自分の死について向き合いながら、この授業を行っていたのだと先生がご逝去された後で知ることになりました)
この数年の変化を顧みる中で、先生が授業の中で取り上げた「無常論」について改めて考えてみたいと思い、何十年ぶりに小林秀雄の「無常といふ事」や「徒然草」を読み返し、さらに、その元になっている『徒然草』『方丈記』『平家物語』などを探っていこうと思います。
小林秀雄の批評文は、彼の古典文学への解釈を書いた批評と論評であるので、最後に触れるとして、まず今回は『徒然草』について取り上げようと思います。
『徒然草』(吉田兼好)
学校の古典の教科書などでおなじみの『徒然草』(1930年頃とする説が有力のようですが1349年頃という説もあるようです)。まずはその書き出しからまずは見ていこうと思います。
この「徒然なる儘に」は現代語訳がいろいろあるので、小林秀雄の解釈だと上記とは違う現代語訳になりますが、この段階では、上記の訳を使いたいと思います。
『徒然草』は吉田兼好によると、手持無沙汰だったから書いてみたよ、みたいななんだか言い訳から始まるような出だしです。
ちょっと中身を読み進んで、いくつかそのエッセンスをピックアップ出来たらと思います。
死生観
これは死があるからこそ、今生きている生が輝くのであるという死生観について述べているところですね。
また、この後のくだりで、吉田兼好は老いて生に固執していくことより、40歳くらいでスパッと命を終えられたらなんて書いています。
早世したミュージシャンが音楽史において、美化されるような考え方ですね。
実際、こんなことを書いた吉田兼好は70歳くらいまで生きたようで、この『徒然草』(1949年説を取れば)は兼好が60代後半の時に世に送り出した作品のようなので、周りが亡くなっていく中で、長生きしている老いた自分を皮肉的に綴ったものと取れますね。
ちなみに、それを説明するようなくだりがこちらです。
身近な人が亡くなった後、残された者たちは、その人の思い出に浸ったりすることってありますよね。
歳を重ねれば重ねるほど、親族もそうですが、会社の関係者などに身近な人のお葬式に出る回数が増えてきている今日この頃。
この吉田兼好が抱いた気持ちは今に生きる私たちと同じだなと何百年経っても人間が抱く「気持ち」って変わらないものだなぁと、ここに「不変」はないと書いたのですが、それを見出しました。
大事だと思ったことは何がなんでもやっておけ
この次のくだりは、「大事だと思ったことは、何がなんでもやっておけ!」ということを言っているんですが、さすがに凡人の私には、親や子供、友達まで捨ててということは到達できないですが、とにかく後悔のないよう、やりたいことをやるべきだ、という話です。
この話を読んでいて、ふっとキリスト教の聖人フランチェスコの話を思い出しました。
現在のローマ教皇はこのフランチェスコから名前を取っていますが、非常にストイックで知られている聖人の一人だと思います。
この聖人フランチェスコですが、Wikipediaにもちゃんと書いてありますが、勝手に父親の不在中に家のものをすべて売り払ってしまい、勘当されて求道者の道を進んだと語り継がれているので、まさに『徒然草』の中で書かれているような「求道者は、いっさいを捨てて、速やかに一大事を決行した」を人でありますね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%82%B8%E3%81%AE%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%B3
そしてタイミングが重要
何かやりたいことがあるならば、タイミングが重要であると。
そのチャンスを見逃さないことが重要だと。
しかし、誰も明日何が起こるかなんて分からないから、もたもたしている時間なんてないんだ、と書いています。
これは、変化の激しい今の時代のビジネスにもつながる話じゃないでしょうか。
準備を周到にしすぎて、他社に先を超されてしまったみたいなことは最も避けないといけないっていう時代なので、プライベートでも自分がやりたいと思っているビジネスであっても、この『徒然草』のくだりは、身につまされる言葉がたくさんありますね。
古典文学って、なんの役に立つんだろうって思っていたけれど、読んでみると、コロナ禍によって、生き方を再考させれている今、身につまされるようなことが書かれていたりしてとても面白いですね。
本当は、他の作品も併せてひとつにまとめようと思ったのですが、『徒然草』だけでもかなり学ぶべきことがあったので、それぞれの作品をシリーズで書いていきたいなと思います。
次は、『方丈記』から無常について学んでいこうと思います。
私はかなり掻い摘んで書いてきましたが、「四季の美」さんではもっと丁寧に書かれていますので、ご興味のある方は、ぜひ読んでみると面白いと思います。