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お酒を飲むことは能力なのか:I don't drink or I can't drink.

「私はお酒を飲みません」

「私はお酒が飲めません」

一読すると同じようで、とても意味の異なる二つの文です。一つ目の文は事実を述べているのに対し、二つ目の文は能力の有無を説明しています。

結論から言えば、一つ目は、欧米で使われる表現であり、二つ目は、日本で使われる表現であります。

もう一つ例を挙げるなら...

「私は結婚しません」

「私は結婚できません」

欧米では"do not"を用い、"cannot"は用いない。

様々な意味がある"can"ですが、ここでは”ability”(能力)という意味を持っています。日本語では「できる」という意味になります。

お酒を飲むこと、結婚することは、能力なのでしょうか?

私はお酒を飲みません。若い頃は少し頑張ってみたのですが、どうにも楽しめる方法が見当たらないので、ここ何年も一切お酒を飲んでいません。特に好きでもないので困ることもないですし、今や「飲みません」で貫いています。

しかし、20代前半の頃、日本で「飲めないの?」と訊かれる度に心がざわつきました。自分に必要な能力が備わっていないと非難されているような気がしたのです。英語では、人の能力や性質を評価するような表現は使いません。つまり、"cannot"ではなく"do not"といいます。すると、"do"か"do not"かの意思決定をしたという事実だけが残ります。"cannot"か"do not"か、それだけの違いなのに、心に感じる圧力が違いませんか?

そういう風に私が感じているということを言葉にするのは、なんとなく憚られました。被害者意識だとか、自分の非を正当化しているだとか、責められるのではないかと思ったのです。

"cannot"ではなく"do not"であること、それがもっと日本でも浸透すれば良いと思います。「〇〇できる」という言葉は、知らず知らず「〇〇するべき」という言葉に置き換えられ、自分でも気づかないうちに「(そうすべきなのに)〇〇できない」自分に対しての劣等感を煽ることに繋がっていると感じます。同時に、人に対して「〇〇できない」という表現を用いて優越感に浸りたいのかもしれません。

自分に対してだけでなく、人に対しても"cannot"ではなく"do not"を使うだけで、自分の心に係るストレスはぐっと少なくなるのではないでしょうか。

I don't drink.

I don't get married.

I don't cook.

I don't jog.

and so on...

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