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LGBTQに対して思うこと

はじめに。
私は、障害や個性に対して肯定的な人間だと思います。

自分自身が精神障害を抱えて、就労にはすごく苦労している
「優しさ」とか「配慮」とかは人一倍大事にしています。

車椅子の人が困ってたら声かけるし、
(自分が死ぬほど疲れてなかったら)妊婦さんには必ず席を譲るタイプの人間です。

でも、昨今のLGBTQを巡る風潮には、思うところが多い。


個人の性的指向を社会で配慮する必要性

L(レズ)G(ゲイ)B(バイ)T(トランスジェンダー)Q(性的マイノリティ)
のうち、
前半3つは同性愛者、ないし同性を愛することができる人です。
(性的マイノリティにも、一部これを含みます)

これは普通に、本人にはどうしようもないので、しょうがないと思います。

私も好きになる人、自分で決めてないし。
たぶん脳が判断してるって思うし。

(なんなら私自身も、男性としか付き合ったことはないけど、女性も好きになれそうな気がするし)

ただ、社会全体で、例えば職場とかでそれを「受け入れなさい」という風潮には、ちょっと反対です。

これは私が職場の人間関係に対してドライすぎる気がしなくもないんですが
仕事って、いちばん恋愛感情要らない場所じゃないですか?
職場の人間が誰を恋愛対象としているかなんて、知らなくても全然仕事に支障ないと思うんですよね。

その人の性的指向なんて、受け入れるのはパートナーだけでいい。

同性愛者は「付き合ってほしい」を言い出すハードルがめちゃくちゃ高いから
「社会全体で受け入れよう」は、そのための保険な気がしています。

(というか、恐らく「同性愛者であることで気持ち悪がられて仕事に支障が出る」を防ぐための「受け入れ」だと思うので、私くらい無関心な人が増えるのが理想なんだと思う)

実際は社会というか「告白する相手」が配慮すべき
…たとえば、異性愛者だったとしても「同性同士で恋愛とかキショイ」みたいな理由で断るんじゃなく、ちゃんと個人として「恋愛対象として見れないんだ、申し訳ない」って、誠意をもって断ってあげる。配慮なんてそれだけで十分なんじゃないかと思います。

あ、あと、
街で同性カップルを見かけても、そっとしておいてあげる程度の配慮は必要でしょうか。

「女性らしさ」「男性らしさ」がトランスジェンダーを生む

同性愛者さんたちに対しては比較的寛容な私ですが、トランスジェンダーの皆さんに対しては「努力の方向性間違ってない?」と思っています。

トランスジェンダー(英語: transgender)とは、出生時点の身体の観察の結果、医師により割り当てられ、出生証明書や出生届に記入された性別、あるいは続柄が、性同一性(ジェンダー・アイデンティティ)と異なる人々、またはジェンダー表現と異なる人々を示す総称である

Wikipediaより引用

そもそも私は、「性別」なんて、染色体がXXかXYか以上の情報を含んでいないと考えています。
それ以外の「男らしさ」「女らしさ」というのは、全て後づけ。幻想。集団幻覚。

●私の考える「性別」と「~~らしさ」
受精後、染色体がXXになるかXYになるか決まる
(本来はここで性別が確定する)

染色体が外性器を形づくる
(染色体は肉眼で観察不能なので、多くの場合はこの情報をもとに性別を認識する)

外性器と同時に脳も形成される。脳はある程度※ホルモンの影響を受け、特定の思考回路に癖づきやすい
(例:男性は攻撃的になりやすい、女性は集団の感情を優先しやすい、など)

そうして生まれた人間たちの思考の特徴を、外性器の特徴と紐づけて「男は○○しがち」「女は○○が得意/苦手」などの世論が形成される

外性器の特徴と「○○らしさ」が一致しない個体に対して、「男/女らしくない」という批判が起こる

批判された個体が、自分の外性器とは逆の特徴に迎合しようとする(トランスジェンダー)

※脳がホルモンの影響を受けるのなんて6~7割くらいでしょう。
だから「○○らしさ」なんて集団幻想ですよ

上記が、私の考えている「トランスジェンダーの生まれる過程」です。
(こういう考え方をする時点で、私の脳は女性らしくはない気がする)

実際、染色体と外性器が一致しなかったり、両性の外性器をもって産まれてしまう人もいるので、「トランスジェンダー」という分類をなくすべきとは言いませんが
「自分とは逆の性別に迎合しようとする」より「染色体情報以上の情報を性別に求めない」方が、いろいろ生きやすそう、と思っています。

たとえば。
私は(自分の染色体情報なんて調べたことないけど、外性器から判断するに99%)女性です。
でも、「女性らしいか」といわれると、たぶん違うと思います。

笑い声は大きくてガサツだし、掃除はめちゃめちゃ苦手だし、PCやスマホの初期設定は自分でします。ひとりでラーメン屋も行くし、自分の身だしなみにはかなり無頓着です。

そういう、「性染色体XXの、笑い声が大きくて掃除が苦手で機械は割と得意で、ラーメンと食べることが好きでファッションには疎いくせにアパレルブランドで働いている、みはしさくらという人間」が私です。

性別って、本来そのくらいの重さしかもたない、個人を構成するただの一要素だと思っています。

「ラーメンが好き」「ラーメンが嫌い」だけの情報に対して、
「ラーメンが好きな奴はデブ!」「風呂には3日入らなくて、常時脂ぎってるに違いない!」みたいな偏見を持ち出されたら、「いやラーメン好き馬鹿にすんなや、適正体重だわ」って思うじゃないですか。

仮に百歩譲って、「ラーメン好きの6割がデブで、3割が風呂に3日入らない」みたいな統計があったとして(実際にはそんな統計ないですからね、念のため)
「みはしさくらはラーメン好き」だけの情報で、「じゃあみはしさくらはデブなんだな」と思われたら、私はブチギレます。

でもなぜかこれが性別になると、「女なんだから髪長いに違いない」「ファッションが好きで、PCが苦手な文系に違いない」、なんだったら「女なんだから料理くらいしろ!」とか言われるんですよね。
別に服なんて体覆えてればなんでもいいですよ。女だけど。

受精後、染色体がXXになるかXYになるか決まる
(本来はここで性別が確定する)

染色体が外性器を形づくる
(染色体は肉眼で観察不能なので、多くの場合はこの情報をもとに性別を認識する)

外性器と同時に脳も形成される。脳はある程度ホルモンの影響を受け、特定の思考回路に癖づきやすい
(例:男性は攻撃的になりやすい、女性は集団の感情を優先しやすい、など)

そうして生まれた人間たちの思考の特徴を、外性器の特徴と紐づけて「男は○○しがち」「女は○○が得意/苦手」などの世論が形成される

外性器の特徴と「○○らしさ」が一致しない個体に対して、「男/女らしくない」という批判が起こる

批判された個体が、自分の外性器とは逆の特徴に迎合しようとする(トランスジェンダー)

努力すべきは、自分とは逆の特徴に迎合しようとするとかじゃなくて
・性別は自分を構成するただの一要素しかないと、自分の中の割合を下げる
・「男/女らしくない」とする批判をやめさせる

ここじゃない?と思うんです。

トランスジェンダーに擬態した犯罪者を許さない

ただし、多くの時代/国で男女の服装を分けていた理由として、「その方が社会秩序を維持しやすかった」というのはあると思っていて。

女性って、性犯罪に遭うと2~3年身動きとれなくなるんですよ。最悪死んだりする。
そうするとそのぶん働き手や家事の担い手が減るので、見過ごすわけにいかないんです。

で、女性を守るためには、女性を妊娠させる存在であり、まれに攻撃性の高い個体も紛れ込んでいる「男性」を女性の生活空間から分けるのが一番手っ取り早かった。

仮に、これから男性の外性器を持つ個体が、「性別なんてただの一要素!」として女性と変わらない見た目をするようになったら
女性はたぶんものすごく警戒を強めると思います。
そしてそれは、「髪が長いスタイルやスカートが好きな男性」にとって向かい風になる。

だからまず、そういう男性が自分の好むファッションを楽しむためには
社会全体での性犯罪率を大きく下げていかないといけない。

性犯罪は、人間の歴史の中でもっとも古い犯罪です。
果たして「スカートが好きな女性」という、かなり母数の少ない集団の利益のために、そんな連綿と続く犯罪に抗う必要があるのか、コスパ悪くない?という話には、どうしてもなってしまうと思います。

「自分らしさ」をどこに感じるか

長くなりましたが、
最終的には個人が、自分の性別も含め、年齢・性格・趣味嗜好・恋愛感情・得意不得意など、数多ある自分の個性をどこまでありのままに受け止められるか、という話になると思っています。

私にも苦手なところはいっぱいあります。というか、そもそも精神障害者です。
でも「30歳女性・解離性障害・食べることが好き・たぶんバイ・女性らしいところも女性らしくないところもたくさんある」私で、毎日を過ごしています。

この文章が、少しでもあなたの「ありのまま」を受け止めるための助けになっていたら嬉しいです。



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