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人生を豊かにする方法 ‐選択に迷ったときに立ち返りたい指針‐

私は、人生に意味はないと思っていて。
私たち人間はただ物質として存在しているだけ。そこにたいした理由は特に存在しない、ただの偶然。

でも、逆に言うと
「自分の人生に意味をつけられるのは、自分だけ」とも思っています。

今日は、私自身の人生を「私が何に幸せを感じるのか」を軸に考えてみます。
よかったら、一緒に考えてみてください。


幸せを感じるものは、そのひとの根源的な欲求

始めに、「なんで幸せを軸に人生を考えるのか」についてお話したいと思います。

何が嫌いかより、何が好きかで自分を語れよ!!

ツギハギ漂流作家(西公平)

余談ですが、↑のセリフ、出典調べるまでずっとワンピースのルフィのセリフだと思ってました(ワンピ未履修勢)

…ええと、話がそれました。

私は、幸せとは「心が満たされていること」「欠けていないこと」と定義します。充足感とか、満足感とかの親戚です。

この「欠けていない」というのが重要で、
「欠けている」状態が不幸や恐怖をもたらすと考えています。

例えば、私は長年「父方の家系へのコンプレックスからくる、自分自身の血統へのコンプレックス」から、精神疾患に苦しみました。

そこまでいかなくても、
空腹時にはみんなイライラするし、苦手な飲み会のあとは虚無感が襲ってくるだろうし、それがずっと続けば不幸だと感じます。

逆に言うと、「幸せ」を感じる瞬間って、一時的にでも満たされているのではないでしょうか。

だから「幸せを感じる瞬間」の共通項、すなわち「欠けていない状態」を探せば、より生きやすくなると考えます。

人生に意味をつけられるのは自分だけ

もうひとつ、私が精神疾患を通して得た価値観が「人生に意味はない」です。

これは私の精神疾患が両親起因だから、そう信じたいというのもありますが、
産まれてきた意味とか、「そこに」産まれてきた意味は、特にない。
ただ私たちは物質としてそこに存在しているだけ。

でも、偶然そこに存在したことによって、私たちには脳がついて、考えられる…ものごとに「意味」というラベルをつけられるようになりました。

人間は、対象に「名前」や「意味」というラベルをつける能力をもっています。それは人間以外の生物にはできないことです。

そして、ラベルをつける対象は、自分の認識したものに限ります。
だから自分とかかわりのない人は、自分の人生に「意味」というラベルをつけてはくれません。

自分の人生を意味あるものにしたいなら、
まず自分が、自分の人生に意味を見出すこと。
そして行動して、他人の目に映る自分に、意味をもたせること。

人生に意味はない。
けれど、真っ白のラベルが、手元にあるのです。
そのラベルになんという文字を刷るのかは、自分次第。

与えられたルールはひとつ『より幸せになること』

人生にルールはありません。
でも、人間という生物にルールはあります。

生物としての本能で、人間は「快」を欲し、「不快」を避けます。
つまり「より快適な環境に身を置くこと」が生物のルール、と定義できると思います。

ここで幸せというワードに立ち返ってみましょう。
幸せとは、「満たされている状態」「欠けていない状態」
つまり、より長く幸せを維持できる環境が、求めている環境に近いのではないでしょうか。

私の「幸せ」の定義

私は、こんなことに幸せを感じます。

  • 清潔であること

  • 身体が自由に動くこと

  • 気力が充実していること

  • たっぷり寝れること

  • 時間に余裕があること

  • 人の役に立つこと

  • おいしいものを食べること

逆に、こういう時には不幸を感じます

  • 身体が自由に動かないとき

  • 鳥の餌みたいなごはんが続いたとき(オートミールが苦手です)

  • 睡眠時間が十分にとれないとき

  • 人を騙すような仕事をしていたとき


ここから、私は

  • 健康で、できれば掃除も洗濯もできてお風呂もちゃんと入れる健康状態で

  • 社会的に意義のある仕事を、そこそこのポジションで続けられて

  • それなりの収入を得て、ごはんにお金をかけて生活する

のが、いちばん幸せになれそう(=人生のゴールの近道になりそう)、と思っています。

…すぐに始められることは、健康にもう少し気を遣うこと、掃除をまめにすること、あとごはんは節約しすぎないこと、かな(笑)

ずっとコーヒーのドリッパー買って、インスタントじゃなくて粉のコーヒーを淹れてみたいと思って我慢していたのですが、
ゴールデンウィークにスタバのドリッパーでも買ってこようと思います。
あれかっこいいよね。

このnoteも「ラベル貼り」の一環だったりする

私は十数年、人生の半分以上の時間を、精神疾患によって苦しめられました。
正直ほんとつらくて、もうほんと、絶対ゆるさない、むり、つらかった(語彙力)

だから余計に「この経験にせめてなんらかの意味を見出せないとやってらんない」と思ってます。

この経験を、社会に還元して、
私の言葉で誰かを救えたなら。

そうしたら、あなたが私の「つらかった十数年」に、
「救われた」とか「助かった」とかってラベルを貼ってくれる。

だから書こうと思いました。


こう思うのは、私の幸せのひとつに「人の役に立つこと」があるからなのですが、
たぶん万人にあてはまることじゃないかな。

人間の人生って、誰かの言葉に影響されて、価値観や考え方が変わって
その人の言葉にまた別の誰かが影響されて…っていう、循環があると思うんですよね。

私は初期設定では、あまり幸せな循環のもとに産まれなかったけど
苦しんで考えて、行動を変えた十数年があって
そのあと紡いだ言葉によって好循環が生まれたら、
それこそが、わたしの人生の意義になる。

だから。
今日は私の人生観を、お話しました。
よかったらあなたの人生を少し振り返ってみてください。
なにかひとつでも、気づきがありますように。


『書く習慣』内で紹介されている、1ヶ月書くチャレンジに挑戦しています。
今日はDay29 ♯自分にとっての幸せはどんな状態か について書きました。

Day16まではInstagramのハイライトから見れるので、お時間あるときに読んでもらえると、とても嬉しいです。

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