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サピエンス科学(Sapiens Science)#19

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 ――ガリレオ・ガリレイ、近代科学的樹立に多大な貢献をした為、「近代科学の父」と呼ばれるが、特に天文学分野での貢献を称えて「天文学の父」とも呼ばれる。

 勿論だが、此処で彼を取り上げたのは彼が成し遂げた事跡を取り上げて何かしらの検討を論じる為ではない。あくまでも先に述べた「Art(科学)の体現者(アーティスト)」を説明するためである。

 だから彼がどのような人物で何を成したかを知りたければウィキペデア等で検索して頂くことをお勧めしたい。
 有名な「ガリレオ裁判」を始め、きっと浅学な随筆家(エッセイスト)よりもより詳細で細かな彼の事跡を知ることができるはずだ。

 さて、検討はしないと言ったが「Art(科学)の体現者(アーティスト)」として、彼自身の事跡を一つだけ取り上げたい部分がある。
 それは主著の『天文対話』(1632年)や『新科学対話』(1638年)に関わることであるが、何故、それを取りあげるかというと、そこにガリレオという人物の「Art(科学)の体現者(アーティスト)」を見つけることができるからである。

 この『文対話』『新化学対話』の両著作は当時イタリア人が実際に話していたイタリア語の対話形式で書かれた本で、当時の「学術書というのはラテン語で書くもの」という学術的伝統の殻を打ち破り、彼自身が「nuove scienze」(「新たな知(識)」)と呼んだ。

 これら著作は現在の自然科学へと繋がる手法を創始したと言われているが、しかし興味深いのは、これらに関してガリレオ自身が「nuove scienze」(「新たな知(識)」)と呼んだというところである。

 そしてこの萌芽はやがて後年のガリレオ裁判に繋がることになるのだが、此処に彼自身が意識していたかは別として、「Art(アート)」を見ることができるのである。

 「Art(アート)」とは——自らをホモ・サピエンスとして個体認識する意識そのものであり、人類相互の摩擦を生みながらも、やがてそれらを一つとして同化してゆこうとするホモ・サピエンスの意識が「Art(アート)」なのだと随筆家(エッセイスト)は先述している。

 そして彼自身の姿勢は当時彼が属していた「伝統的権威(アカデミック)」――この場合はローマ教皇庁となるだろうが、それらに対立するかのように「外輪郭世界(アウトサイダー)」に属して、先述したゴッホやデュシャンの様に「我は否定する、故に我在り」の体現者であった。

 彼自身の萌芽させた「nuove scienze」(「新たな知(識)」)はやがてボビンである「伝統的権威(アカデミック)」に巻き取られて融合し、取り込まれた(「新たな知(識)」)は、純粋科学の始まりとなり、以後、「Art(アート)」を形成する一つになったという流れも捉えることができる。

 この事は当初拒絶していた「nuove scienze」(「新たな知(識)」)をホモ・サピエンスが自身の個体認識すべき意識としてして取り込み、やがてホモ・サピエンスが「nuove scienze」(「新たな知(識)」)を通じて他のホモ・サピエンスを同化していくことを意味する。

 それが何を意味するか?

 つまり――ホモ・サピエンス社会の『進化』と言えるのではないだろうか。

 当時の彼の属した社会(――勿論、それは古き小さなヨーロッパを源流としている)はローマ教皇庁の宗教的権威の元にあったが、しかし「nuove scienze」という新たな知識を、つまりは社会全体に浸透(同化)させ、ホモ・サピエンスを進化させたのだと。
 
 いかがだろうか?
 
 ではそれを念頭に置いてもらいつつ、次に「織田信長」について述べたい。
 

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