サピエンス科学(Sapiens Science)#11
(11)
――「Art(アート)」における「外輪郭世界(アウトサイダー)」の意義とは
随筆家(エッセイスト)はこう言いたい。
「外輪郭世界(アウトサイダー)」の意義は歴史を経ることで大きく変わっていると。
現代においてホモ・サピエンスは地球上に分布し、結果として「Art(アート)」は現在、人類の共通認識(コモン)になりつつある。それは自らを進化させようとするホモ・サピエンスの個体認識する意識としての「Art(アート)」として。
だがこれは「Art(アート)」の流れを俯瞰的に見て現代まで帰結した時点での視野的論と言いたい。
「外輪郭世界(アウトサイダー)」とは冒頭でも言ったように、「Art(アート)」においては元々存在が認められていない意識ということを理解して欲しい。
つまり古き小さなヨーロッパにおいては共同体の「外世界」、それを端的に理解してもらう為にアジアにおける思想の「南蛮」もしくは「蛮」と言ったような思想を引用した。
そして時代を経て、彼の地では古代ギリシャの「哲学」等を生み、紀元前1世紀の共和制ローマ期にはヒューマニズム(人文主義)が大きく開花し、リベラルアーツを生んだ時代において「外輪郭世界(アウトサイダー)」は社会の共同体の外世界と言う視覚的な外輪郭からヒューマニズム(人文主義)においても「外輪郭世界(アウトサイダー)」を生んだ。
それは何かといえば、相対する対象がヒューマニズム(人文主義)に照らして「ホモ・サピエンス」かどうかという知的境界線の外(アウトサイド)である。
かなり暴論だと言われ方を承知で言えば、「君は人間(ホモ・サピエンス)か?」という明瞭な問いかけである。
つまりヒューマニズム(人文主義)の開化は、そのヒューマニズム(人文主義)を持ち得ないホモ・サピエンスを「外輪郭世界(アウトサイダー)」に置いてしまう作用を生んだ。
そして「外輪郭世界(アウトサイダー)」との区別にリベラルアーツと言う学問を中心に添え、――つまりそれらを『ボビン(ヒューマニズム)』として、外(アウトサイド)の知性を「糸(アウトサイダー)」として、この時代から明確にボビンに糸を巻き付けて行くのである。
つまり『ボビン(ヒューマニズム)』に巻かれた「糸(アウトサイダー)」は進化するホモ・サピエンスの個体認識する意識として存在して行き、やがて同一化され「Art(アート)」になる。
いかがだろうか。
しかし、こうして乱雑に書いてみたが文面では中々分かり難いと思う。
もう少し具体的な話を探りたい。
但し、「Art(アート)」における「外輪郭世界(アウトサイダー)」の意義を顧みたいが、随筆家(エッセイスト)の浅学としてこれを調べてみてもホモ・サピエンスは意外なほどに後学への分かり易い比較手段を「近現代」迄、おそらく一つの分野しか持ち合わせていないと気づく。
それが現代の日本語で言うところの「芸術」である。
つまり「芸術」というリベラルアーツにおける音楽、そして絵画を少しみてみることで「Art(アート)」における「外輪郭世界(アウトサイダー)」の意義を比較することができる。
これは重要な鍵である。
その重要な鍵について随筆家(エッセイスト)自身は言いたいことがある。
正直、残念ながら自身として音楽は詳しくない。故に音楽では語れない。であるがゆえに僅かばかり詳しい絵画について「Art(アート)」における「外輪郭世界(アウトサイダー)」の意義を比較することが出来る。
思うに、此処が随筆(エッセイ)の良い所以ではないだろうか。もしこれが研究類ならばそうはいかないだろうが、これが随筆(エッセイ)と言う散文の魅力だ。我儘好き放題好きなように思うがままに書く。
だからこのサピエンス科学(サイエンス)という造語の主題を選んでも筆を折る必要が無いのだ。
では、絵画を含め「Art(アート)」における「外輪郭世界(アウトサイダー)」の意義を顧みたい。
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