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【書評】災害大国で暮らすということ『歴史を変えた自然災害/ルーシー・ジョーンズ』

ここ数年頻発する台風や地震、ゲリラ豪雨などの災害に対して危機感を抱いていたので本書を手に取ってみた。

政治や文化などの歴史の転換期のきっかけになった災害についてまとめてあるので、災害史と言うよりも人類史にフォーカスされた本のように思う。

読んでみた感想を、備忘録としてまとめてみた。

災害が起こる土地は住みやすい土地


自然災害は、生命の誕生以来ずっと人々を苦しめてきた。
しかし、災害の多い土地はとても住みやすく、農耕をするのにも合理的だった。

氾濫する川は栄養のたっぷりと含んだ土を運び、火山によって作られた傾斜地は肥沃な土壌となり、海外線は漁業や交易に便利だった。

大きな文明が出来たところには、必ず大きな河川があったのもそのためだ。
つまり、人が多く居住するところは常に災害のリスクがあるということだ。

それは昔も今も変わらない。

大昔の人の災害観

危機的な状況に身を置くことになると、人は自分に起こった出来事に理由を見つけ出そうとする。

ポンペイが噴火した約2000前は神が人類の善性を試すために災害を起こすと考えられていた。
その時代はまだなぜ災害が起こるかまでは議論されていなかった。

災害を神の定めとみなしてる限り、その物理的な調査までもが制約を受けるのと同じことだった。

ちなみに、地震学として体系的に学問が始まったのは関東大震災の頃なので、それまでは地震というものを数字で捉えようとした試みはなかったのだそう。

災害時の心理

危機的な状況に陥った時、判断をくだすのは理性よりも感情を優先させることの方が多い。

特に有事の時は「確証バイアス」と呼ばれるものに陥りやすい。
「確証バイアス」とは、自分にとって不都合な事実は批判をしたりシャットアウトするが、自分の意見に都合の良い言葉には甘くなるというものだ。

また、人は不幸な事態が起こった時はパターンを見出そうとする傾向がある。(たとえそのパターンが思い込みだったとしても)
そして見出したパターンに自分が当てはまらないことを確認し、責任の矛先を誰かに向ける。
そのせいで災害時には虐殺や差別が起こりやすく、集団パニックに陥るのだそうだ。

災害時にデマが飛び交うのもこの心理が影響しているらしい。

西日本豪雨に被災した経験


2016年の7月。
私はその時ちょうど岡山県の総社市に住んでいた。
総社市は高梁川が氾濫し、大きな被害があった真備町のちょうど上流にあたる街だ。
数日間雨が続いていたので、危ないとは感じていたが、住んでいたその当時はまさか川が氾濫してあんなにも被害が広がるとは思っていなかった。

下流にある真備町が水没しなければ、総社の市街地が危なかったらしい。
あの辺はベットタウン+工業地帯なので、総社が水没していれば被害はもっと拡大していただろう。

総社市は直接被害を受けた部分は少なかったが、量販店やコンビニから食料が消えたり市民体育館に自衛隊が駐屯したりと物々しい雰囲気だったのはよく覚えている。

また、豪雨の影響で近くの工場が爆発したが、詳細が分かるまでSNSやご近所で様々なデマが飛び交った。

実際はアルミ工場が爆発したのだが、「近所の化学工場が爆発したので危ない」などといったデマが流れたため、慌てて他県に避難する人もいた。
ちなみに、爆発の衝撃は30キロ先まで届いていたらしい。

総社は盆地にあるため、川を超え、山越えなどをしなければならず、もともとよその土地に行くのにも渋滞が多く交通網が貧弱だった。
大雨の時は地すべりや水没などのせいで、少ない道路が更に制限され、渋滞は悪化し食料がなかなか届かない状態が続いた。

災害起こったあとも復興までには時間がかかり、2022年現在も真備の街は元には戻っていない。

まとめ


日本は四季があり、温泉があり、自然の豊かな国だ。
しかしその豊かさは台風、火山、長雨などのリスクがあるから享受が出来ている。

足元にリスクを抱えて生きている以上、有事の際に「何も知らない」と困るのは自分自身だ。

災害に関する本は、皆に進んで読んでもらいたいと思っている。

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簡単に読んだ本の印象に残った部分についてまとめてみました。
この記事を通して、災害本に興味を持ってもらえれば幸いです!

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