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私を変えた出会い - 6. キミ、絶対に音楽家でしょう?!とステージ上から叫ばれて

2008年の2月のその日、現実だとは思えないことが起きていた。まだ駆け出しのジャズミュージシャンだった私の目の前には世界的バリトン・サックス奏者のゲイリー・スマルヤンがいて、彼は私を質問攻めにしている。場所はニューヨークのヴィレッジ地区にあるVillage Vanguard(ヴィレッジ・ヴァンガード)。世界中のジャズファンが一度は行ってみたいと憧れる、ジャズの歴史が作られた殿堂のジャズクラブだ。

禁酒法時代には隠れ酒場だった室内は薄暗く、簡素だけれど趣のある照明が壁一面に貼られた白黒の顔写真を照らしている。この人たちは皆、ジャズの黄金期を作った巨人だ。彼らはずらっと並んで、私とゲイリーを観察しているようだった。

こんなに格好良くて美しい世界がこの世にあったんだ


ゲイリーが私に突然質問してきたのは、その日見に行ったVanguard Jazz Orchestra(以下VJO)のライブの休憩時間だった。VJOはジャズ界の奇跡だ。なにせ、このジャズの殿堂ヴィレッジ・ヴァンガードで55年以上毎週演奏しているのだから。世界中のジャズ・ミュージシャンがここに一度出演できたらもう死んでもいい!と言うほどのジャズの聖地で毎週、だ。

VJOは1966年の2月に「Thad Jones and Mel Lewis Orchestra」として発足しその後、改名やメンバーの変更をはさみつつ、コロナ禍での一時中断を除いて毎週月曜日ずっと演奏を続けてきた。まだ人種差別が横行していた1966年に黒人のThad Jonesと白人のMel Lewisが二人で立ち上げたことの意義深さ、オリジナル曲の曲調の幅広さ、ソリストの魅力 … 様々な理由から、彼らは世界的に尊敬と人気を集める存在だ。16人で構成される彼らの編成は「ビッグバンド」と呼ばれている。ジャズの定番編成の中では最もビッグなサイズだからだ。私の音楽活動の中心も実はこの「ビッグバンド」サイズで、私にとっては世界一の大スターがVJOだったのだ。

2008年の2月、私が訪れたコンサートも、超満員の大人気だった。

この日は「アニバーサリーウィーク」と称した8日間16公演のうちの、確か3日目だった。発足したのが2月であることを覚えて、毎年2月にこのアニバーサリーウィーク公演をしていると友達に聞いて、私はこの公演を見るためだけにNYに乗り込んでいた。

2008年2月に撮影したアニバーサリーウィークの看板。1966年2月7日からずっと続いていますと下に小さく書いてある。

感動しすぎると涙は全自動で出て止まらなくなる


氷点下の2月のNYで、ありったけの服を着込んで、毎日開演1時間前からドアの前に並ぶ私は異様だったらしい。

アジア人の背の小さな女の子が、一人で列の先頭に並び、ドアが開いたら駆け込んで一番前の席に陣取り、開演までの1時間は五線譜を出して何やら書いており、始まると涙を流しながらメモを取る…。しかも毎日、毎セットそれを続ける私…。

そもそも一人旅だし、英語も出来なかったから誰とも話せない。一人で黙ってずっと泣いて、五線紙にメモを取り続け、五線紙がもう涙でぶよぶよになっても、時々鼻水をティッシュで抑えたりしながらまた翌日も同じことをするなんて、どう考えてもヘンテコだった。

でも、毎日毎日、毎セット毎セット、涙が、出てきてしまうのだ。

わずか50cmほどしか離れていない目の前で、学生の時から憧れている人たちが生演奏をしていて、音の厚みと、ミュージシャンたちがお互いに交わす目線や掛け声の勢いが私の感性のすべてを刺激した。

何より「こんなに格好良くて美しい世界がこの世にあったんだ」という衝撃に打ちのめされて、涙を止める方法なんてひとつも浮かばなかったし、見た目を気にして涙を止めるより、その感動に自分を浸しておきたかった。

鳥肌というのは本当に本当に感動するとつむじから足の指先まで駆け抜けるのだということもこの時学んだし、感動しすぎると涙は全自動で勝手に出て止まらなくなるということも学んだ。

キミ、絶対に音楽家でしょう?


1stセットの最後の曲が終わるなり、ゲイリーはステージから身を乗り出してきて、目の前に座っていた私に大声で質問してきた。

「キミ、絶対に音楽家でしょう?!」

ゲイリーは私が一番最初に憧れたジャズ演奏家だった。学生の時、大好きだった曲があって、その曲の中で、心が揺さぶられるアドリブソロを吹いていたのがこのゲイリーだった。所属していた学生バンドに何度も、この曲を演奏しようよ、と提案したけれど難しすぎて却下されたその思い出の曲の、思い出のヒーローだ。私には当時、流暢に返事出来るような英語力がなかったから、YesかNoだけで何とか答えた。

音楽家でしょう?→YES
海外から来たの?どこ?JAPAN?CHINA?KOREA?→JAPAN

から始まり、やっとのことで、「私は音大に行ったことがないが、独学で作曲を勉強して自分のジャズバンドを作り、もう30曲以上レパートリーがあって、東京で人気のビッグバンドの一つだということ、日本にはビッグバンドの勉強を出来る学校や仕組みがないから、この8日間を見て勉強するためだけに日本から来た」と伝えた。

ゲイリーは心底びっくりした顔をして言った。

「えっ!?この8日間のためだけ?僕たちの演奏のためだけにわざわざ日本から来たっていうの?」私がイエスと答えた、その後の流れがもう最高だった。

そうは言っても自由の女神とか見に行くんでしょ?→NO。いやーでもベーグルとか食べに行ったりはするでしょう?→NO。えー、本当に本当にこの僕たちの演奏のためだけに来たの?→YES。

するとゲイリーは

「ちょっとちょっと〜〜〜みんな〜〜〜〜来て来て〜〜She is crazy!変な子がいるよ〜〜〜!」と叫んだ。

このcrazyという単語は狂っているという意味で、ゲイリーはそれをとてもいい意味で使った。頭がおかしいくらい僕たちの音楽が好きな、僕たちの仲間を見つけたよ!という意味だった。

私の中に昔の自分を見ていた英雄たち

ゲイリーが大声を出したものだからメンバーが集まってきて、ゲイリーが要約を話してくれた。

「この子、日本でビッグバンドリーダーしているんだって!作曲してて、オリジナル曲が30曲あるんだって!独学なのにやってるんだって、すごいね!僕たちのことが大好きで、僕たちを聞くためだけに8日間来て、これからも毎日来るんだって!」

と、まくしたてる彼、輪の真ん中で涙目のまま恥ずかしそうににっこりする身長の小さな私、その周りをジャズの英雄たちがグルッと囲んで、拍手や大声で褒めてくれた。

おー!それはすごいね!よく来たね!!作曲家は誰が好きなの?僕たちの曲では何が好き?と、今度は大勢で質問攻めにしてきて、家族の集まりのようにフレンドリーで温かく、でも情熱的な雰囲気でもあった。

私を取り囲んで、わいわい応援してくれているのは、あれほど憧れた世界一のジャズバンドだ。その超有名演奏家たちがここまで興奮して、私のことを応援してくれるその理由が、私には一切分からず、とても驚いた。

でも心を閉じずに開いたままで皆の反応を受け止めているうちに、だんだん分かってきた。

彼らは私の中に、自分を見ていたのだ。

駆け出しのミュージシャンだった頃、勉強になることだったら何でもやって、周りの人にYou are crazyと言われ、傷つき、でもやりたいことをやめず、彼らはここまで来た。その彼らから見ると私は、久しぶりに見つけたクレイジー仲間だったのだ。

Vanguard Jazz Orchestraと叶えたたくさんの夢

ゲイリーが「バンドリーダーを紹介するよ!」と言ってくれて、私はDouglas Purvaiance(ダグラス・パーヴァイアンス)とはじめましての挨拶をした。彼らが日本ツアーに興味を持っていることを知り、そこから私の人生が激変する。

私はその夜、朝四時まで掛かってダグラスにEmailを出し、VJOに日本に来て欲しい、演奏だけでなく教育活動をしてほしい、と嘆願した。帰国してからは100人ほどの専門家に、VJOを日本に連れてくるにはどうしたら良いかアドバイスを求めに出かけ、英語力をつけるために365日毎日勉強を続け、様々な助けを得て、翌2009年の12月にVJOの20年ぶりの日本公演と講演会が実現した。

私は翌2010年に正式にVJOの日本代理人と副プロデューサーになり、ここから私が業務を引退する2017年までの間、日本ツアーのプロデュースを続けた。延べ1万6000人ほどのお客様が、彼らの日本での生演奏を見に来てくださり、1400人が私が企画運営したワークショップに参加して彼らと対面でジャズを学んだ。私はグラミー賞にノミネートされたアルバムを2枚手掛け、リーダーのダグラス・パーヴァイアンスの講演会を東京国際フォーラムで実施し、その講演を元に彼の人生論をまとめた『前に進む力』という単行本の出版をアシストした。彼らとの仕事の中でNYに住む意義を強く感じ、私はアメリカでの労働ビザを入手し、本格的にNYでのキャリアを積み始めることになる。

振り返ると本当にたくさんのことをしてきた。

当時のVJOには、まだやれていない、やりたいことがたくさんあり、不思議なことに、そのほとんどが私のやりたいことと一致していた。だからたくさんの夢を一緒に叶えられたのだと思う。

そのきっかけを作ってくれたのが、あの時のゲイリーの大声の質問で、あれがゲイリーでなく、物静かな隣のリッチー・ペリーだったら、私の人生はどうなっていたのだろう?

想像してニヤニヤしているうちに、気づいた … 今日は2月6日じゃないか。今週がまさに、私がVJOと出会ってから14周年目のアニバーサリウィークだ。この投稿を終えたら、Garyにも、VJOの恩人たちにも、感謝を伝えるメッセージを送ってみよう。感謝したい人がたくさん心の中にいる人生って、なんて素晴らしいのだろう。

2010年の日本ツアーでVanguard Jazz Orchestraは私をステージに招いてくれて、1曲演奏させてくれた。好きな曲を選んでいいよ、と言ってくれたのでゲイリーがソロを取る Little Rascal on a Rock (Thad Jones作曲)という曲を選んだ。撮影:逢坂憲吾 会場:ビルボードライブ東京
で、いざ私のソロになった時のみんなの様子がこれ(笑)。まるで父兄参観日(笑)!!!ゲイリーは自分の席に戻ったところなのでまだ顔が下を向いているけれども、この後同じようにじ〜〜〜っと見守ってくださったことをご報告しておこう!(笑)

追記:
この2008年2月、彼らはアニバーサリーライブを録音してアルバムを作っていて、そのアルバムはグラミー賞を受賞した。この中に収録されているBody and Soulという曲の演奏前にゲイリーは「よし、じゃあミギーに喜んで貰えるような演奏をしよう!」と行ってステージに上り、一発録りで後々まで語り継がれる名演を繰り出し、ニッコニコしていた(笑)。その日の雰囲気を感じたい方は、是非この名アルバム「Monday Night Live At The Village Vanguard」を聞いてみてほしい。

※このエッセイは「私を変えた出会い」と題した短編エッセイシリーズの1つです。ヘッダーのイラストは親友の坂本奈緒 の作品で、Vanguard Jazz Orchestraのアルバムカバーとなった原画です。

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