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エッセイ・私を変えた出会い

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私の人生にはたくさんの素晴らしい出会いがありました。茨城の小さな町から東京へ。リクルートに勤め、音楽家になり、NYへ来て・・・都度、出会いが私を変えてくれました。私がいただいた感…
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記事一覧

私を変えた出会い - 1. 三編みのあの子

私を変えた出会い 1. 三編みのあの子 その日の私は落ち着きがなかった。マンハッタン東32丁目のライブハウス「カッティング・ルーム」の入り口付近でウロウロ歩き回りながら、その日の共演者を待っていた。世界各地の大きなステージに立ってきたし、有名人とも仕事をしてきたけれど、その日の共演者とどう向き合うべきか、全く見当が付かなかったのだ。 共演者は、ホームレスの十歳の少女だと聞いていたから。 ニューヨーク市にホームレスの子どもがたくさんいる事実を教えてくれたのは仲良しの奈緒美

私を変えた出会い - 2. ジャズの巨人スライド・ハンプトン

私を変えた出会い2. ジャズの巨人スライド・ハンプトン 2018年6月、西59丁目のジャズ・アット・リンカーンセンターで「スライド・ハンプトンの歴史をたどる」という講演会が開かれていた。主役であるジャズ界の巨匠、スライド・ハンプトンは当時86歳。私は興奮気味で聴講席にいた。ニューヨークにいると幸運な出会いに恵まれることがある。私は、巨匠スライドに出会うチャンスをいただき、当時彼が手書きした楽譜をコンピューターに入力してデジタル化する仕事を手伝っていた。彼のマネージャーのお

私を変えた出会い - 3. 二日前に急に決まったツアーで (The Vanguard Jazz Orchestra)

私を変えた出会い 3. 二日前に急に決まったツアーで (The Vanguard Jazz Orchestra) フライト2日前に飛び込んできた世界的ジャズバンドでの演奏 その夜の私はとにかく必死だった。目の前には500ページ約70曲の楽譜の山。深夜2時を過ぎても読み終わらず、焦っていた。 明日からの日本ツアーに備えて空港近くのホテルに滞在し、翌朝出かけるだけ・・・のはずが、楽譜の山を読み続ける私がいた。深夜2時になっても全然終わらない。周囲は全員寝てしまったのか静かに

私を変えた出会い - 4. あなたは40代のピアノ教師でママですが、作曲家になりたい、と気づいてしまいました。(さて、どうする?)

NYで出会った 私を変えてくれた人 4. あなたは40代のピアノ教師でママですが、作曲家になりたい、と気づいてしまいました。(さて、どうする?) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 想像してほしい。 あなたは40代のピアノ教師で、一児の母。ピアノ演奏の博士号を取得し、ピアノを教える充実した毎日だ。でも、ある日、私は作曲家になりたいみたいだ!と気づいてしまった・・・。 あなたなら、この時どうするだろう。 あなたは、今の立場を捨てて、作曲家になれるだろうか? それ

私を変えた出会い - 5. この郵便局、最悪...と言う声が聞こえて...そこから起きた奇跡のはなし

「この郵便局、最悪...」 2021年3月のある日、郵便局の長い列に並んでいたら、後ろの女性がこう言うのが聞こえた。ここからまさか、心を揺さぶられるお話が始まるとは、このときの私は知らなかった。 愚痴る女性。振り返ってみたら… 「この郵便局、最悪...」という愚痴を聞いてしまった私。いつもはそのような発言にいらっとする私だが、昨日はなぜか、なぐさめが必要なのかな、とおだやかに思った。 振り向いて、後ろの女性に向かって言った。「あの局員さん一人で全部やってるみたい。時間

私を変えた出会い - 6. キミ、絶対に音楽家でしょう?!とステージ上から叫ばれて

2008年の2月のその日、現実だとは思えないことが起きていた。まだ駆け出しのジャズミュージシャンだった私の目の前には世界的バリトン・サックス奏者のゲイリー・スマルヤンがいて、彼は私を質問攻めにしている。場所はニューヨークのヴィレッジ地区にあるVillage Vanguard(ヴィレッジ・ヴァンガード)。世界中のジャズファンが一度は行ってみたいと憧れる、ジャズの歴史が作られた殿堂のジャズクラブだ。 禁酒法時代には隠れ酒場だった室内は薄暗く、簡素だけれど趣のある照明が壁一面に貼