見出し画像

私を変えた出会い - 1. 三編みのあの子

私を変えた出会い


1. 三編みのあの子

その日の私は落ち着きがなかった。マンハッタン東32丁目のライブハウス「カッティング・ルーム」の入り口付近でウロウロ歩き回りながら、その日の共演者を待っていた。世界各地の大きなステージに立ってきたし、有名人とも仕事をしてきたけれど、その日の共演者とどう向き合うべきか、全く見当が付かなかったのだ。

共演者は、ホームレスの十歳の少女だと聞いていたから。

ニューヨーク市にホームレスの子どもがたくさんいる事実を教えてくれたのは仲良しの奈緒美ちゃんだった。その数、約11万1000人。市内の義務教育年齢の子どものうち10人にひとりがホームレスだという※。華やかに見えるこの街の中に、家がなく、楽しい遊びや学習の機会もなく、食事に困っている子どもたちがそんなにたくさんいる。ニューヨークのNPO団体「Dare2B」は、ホームレス施設に自ら出向き、そこに住む子どもたちに遊びや学習の機会を提供する団体で、奈緒美ちゃんはそのボードメンバーなのだ。

2019年秋にDare2Bは10周年を迎え、同団体のメンバーと寄付者が一同に会して10年を振り返りつつ交流するイベントが開催されることになった。「将来歌手になるのが夢という十歳の少女がブルックリンの施設にいるんです。みぎわさん、このイベントで彼女の歌の伴奏をしていただけませんか?」と奈緒美ちゃんから電話があり、快諾し、何度も練習して、私はその日を迎えていた。ピアノの練習はばっちりだし、子どもとの共演経験は、数え切れないほどある。だけど、不安だ…10歳という年齢で、すでにホームレスだって?そんな環境で今まさに育っている子を、私は受け止められるんだろうか?

寂しそうだったらどうしよう、彼女の置かれた状況が想像を越えるほどかわいそうな環境だったらどうしよう、彼女が緊張して泣いてしまったりしたらどうしよう...。

どうしよう、どうしようでいっぱいになった私の頭が衝撃で真っ白になったのは彼女が登場したときだった。「ハロー、ミギー!!!」目の前に現れたのは、これまでに一度も見たことがないほど明るいムードをまとった賢そうな少女だった。この世の希望を集めて形にしたら、こんな少女になるかしら、というような子で、ブルーのワンピースに、パール風のイアリングがとても映えている。長い髪は美しく編み込まれ、アクセサリーと合わせたのであろう真っ白な靴もとても似合っている※。少し照れているものの、両方の瞳がきらきらと輝いていて、「ずっと会いたかったのよ。音楽が好きだって聴いたから、きっと私達いい友達になれると思って。」と私が言うと、まっすぐな瞳がますます輝いた。彼女はスペイン語と英語のバイリンガルで、スペイン語しか話せない保護者に、私の英語をささっと訳して伝え、保護者が笑顔になったのを見て喜んでいた。

「今日の調子はどう?うまく歌えそう?」と笑顔で挨拶を続けていたものの、私の頭は真っ白だった。私は、自分を、恥じていたのだ。「ホームレス」という単語に対して持っていた先入観と偏見が、わたしの頭をがん、と殴った。ホームレスだから、かわいそうだって?ホームレスだから、寂しいだろうだって?なんて、なんて、傲慢なのだろう。この子は、私がこれまでに会った誰よりもはつらつとしていて、喜びでいっぱいじゃないか!「彼女に何かをあげたい」だなんて偉そうに考えることを一切放棄して、今日は彼女から学ぶことに徹しよう、と私はその日の目標を決めた。

音声テストでも、照明テストでも、リハーサルも待ち時間も本番も、全てのシーンにおいて彼女はアメージングだった。マイクの専門家が「プロ仕様のマイクを使ったことがあるかい?」と聞くと、彼女は期待でいっぱいの顔をして「NO!!!(いいえ)」と答える。照明の専門家が「スポットライトを当てられたことはある?」と聞くと、また全力で、嬉しそうなNoを叫ぶ。だって、知らないことも、経験がないという事実も、彼女にとって恥ずかしいことではないのだ。これから新しい体験を出来ること、歌手になる夢に一歩近づけることが嬉しくて仕方なくて、それ以外の感情が入る余地なんてないからだ。

ちょっとでも空き時間ができたら私を壇上に連れ戻して私の伴奏で練習し、音が出せない時間帯も鍵盤を指差しながら私にたくさんの質問を耳打ちして「ドレミファソラシの後は再度ドに戻る」という大切な基礎知識を学習し、ステージをひとりで歩き回って登壇タイミングを練習し、堂々たる歌いっぷりで会場全員を大感動させて彼女の初ステージは終了した。以下は、後に聞いた彼女の台詞だ。彼女はこのセリフをよく、奈緒美ちゃんに言っていたそうだ。

「私の住んでいる施設には他にも子どもがたくさんいるけど、悲しそうにしている子が多いんだ。私はそういう子たちに、どうやったら幸せに生きられるかを伝えていきたいと思っているの。幸せに生きることって、できるんだよ。」

。。。。。

こんな素晴らしい子に出会えたのだから喜べばいいのに、私は元気を失ってしまった。ずっと地面を見つめながら家に帰って、それから数週間落ち込んだままだった。「ホームレス」ということばひとつで、自分が偏見を持って彼女を見たという事実、それから、彼女と自分を対等に捉えず「彼女には欠けているものがある。だから私は彼女に何かを与えなければいけない。」と、自分が「上」であるかのように考えてしまった事実 … これらが、本当にショックだったのだ。

私は、ニューヨークでは、不利な立場となるマイノリティだ。アジア人であり女性である上、フリーランスの音楽家という不安定な職業についた私は、それらの言葉にまとわりつく偏見のせいでたくさんの苦労を強いられ、悔しい思いをしてきた。だから、私だけは、偏見を持たないようにしようと毎日心がけていたのに!銀行口座を作るだけで2年かかり、自分の名前で家を借りられるようになるまでに5年掛かり「残念だけど、あなたの立場では無理だよ」と言われるたびに、絶対に私は偏見で人を見ないぞ、と固く誓ったのに、これだ!傷つけられる側になるなら良いが、傷つける側にはなってはいけないよ、と、いつも自分に言ってきたのに。

あれから2年。私は一度も彼女との再会を叶えられずにいる。ホームレスの子どもは保護者の都合で引っ越しを迫られることが多く、彼女も、簡単には会いに行けない遠い街に越してしまった。私の出るステージに彼女が歌う枠を設けられないか、レコーディングに参加させてあげられないか...と彼女の夢の支援を何パータンも考えたが、施設暮らしの未成年であるがゆえの壁は大きかった。考えたことは一案も実行できず、再会すらできず、私の中のごめんなさいとありがとうの気持ちは行き場を見つけられないままだ。あの日を思い出すたびに感じるこの痛みは、私の創作活動の燃料でありつづけるだろう。大きな灯になって燃え続けて、私がおかしな道に逸れないよう、きっと一生道を照らしてくれるだろうけれど、その火を失ってもいいから、もう一度逢いたいのになあ、と思う。ハグして、笑顔で、よし、やろう!と言って一緒にステージに上って、また一緒に演奏できたら、泣いてしまうくらい嬉しいのに。
 
※1 2020年12月の統計より。参考 Advocates For Children of New York New Data Show Number of NYC Students who are Homeless Topped 100,000 for Fifth Consecutive Year
※2 彼女が当日身につけていたアクセサリーやドレスは、おしゃれできるようなものを一切持っていなかった彼女のために、ボランティア団体の役員が前日に買い物に出かけ、購入したものだったそうです。いつも出来ないようなおしゃれが出来て、プロのピアニストとの共演ができて、彼女にとっては夢のような時間だったのかもしれません。私は実は、ショックを受けすぎて、会の終了を待たずに帰宅してしまったのです。彼女は駄々をこねたりせず、またね、と物分りの良いさようならをしてくれたのです。二度と会えないなら、もっと音楽の話をしてあげればよかった、居場所が分かっている間に手紙を出せばよかった - 私はずっと、そういうことを次々に考えては、彼女が教えてくれたことに思いを馳せ続けるのだと思います。

この投稿はエッセイシリーズ「私を変えた出会い」の一つです。 他のエッセイも以下からお読みいただければ嬉しいです。


一番下までスクロールするとコメントが書けます。ご感想を一言残していただけましたらとても嬉しいです。ハートマークだけでも、励みになります。ぜひ <3 

この記事が参加している募集

上限はありません!サポート本当にありがとうございます(*^-^*) 大変大きな励みになります!