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【体との対話note】「やらなくちゃいけないのに手がつかない」と向き合ってみた

やらなくてはいけないのに、なかなか手がつけられないことがありまして。
6月になったらやろうなんて思ったりして。

そのスケジュールには全く根拠がなく、自分でも逃げているということは痛いほどわかっていました。

「時間は最も希少な資源」であることもわかっています。反論の余地はありません。
なので、さすがにこの状態はまずいと一念発起して「やらなくちゃいけないのに手がつかない」と向き合うことにしました。

その時の流れを適当に端折りながら記していきます。

まず、課題を目の前にして「そろそろやらなくちゃいけないなぁ」と思っている状況を想像します。
想像ではなく、実際にやるべきことを目の前にして「やらなくちゃ」と思ってもいいです。私は想像だけで十分でした。

すると、胃がぎゅうっと押されている感じになりました。
(実際、数日前に胃が痙攣してるんじゃないかと思うくらいの激痛がありました。久しぶりのことです)

「胃がぎゅうっと押されている感じがある」と言語化。
その言葉を身体の内側に響かせて、しっくりくるか確かめます。OKなので、その感覚を認めてあげて距離を取って眺めます。

しばらくすると、しゃがみ込んで石のように固まって動かない自分の姿が見えてきました。顔が見えないくらいうなだれ縮こまっています。

眺めていると、「動くのが怖い」という感覚?言葉?がやってきました。身体の内側で確かめます。しっくりきます。

何が怖いのか尋ねてみました。

答えは「人の目」でした。それが私に突き刺さっているイメージが見えました。なんともイヤな感じです。
「人の目が私の全身に突き刺さって痛い」と言語化。身体の内側に響かせると、ぴったりな感じがあります。

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その身体の感覚に寄り添っていたら、視界の端に温かくて明るい何かがあると感じ、視界を広げてみました。頭の中でですけどね。

何か大きな存在が、しゃがんで石のように固まっている私を温かい目で見ていることに気づきました。
その直後、なのかは失念しましたが、「自分に集中し過ぎ」「周りが見えていない」という言葉が浮かびました。

「自分に集中し過ぎて周りが見えていない」
痛いくらいしっくりきます。実際には笑ってしまいましたが。

少しその感覚を眺めていると、これまでピンホールから世界を覗いていたような私の視界が、その穴を抜けて一気に広くて明るい世界へと飛び出したような視界に変化しました。

こんなに視野狭窄になっていたのかと自分でも驚きです。でも、確かにそうだよねという感覚も同時にあったりして。

この辺りから、内臓が緩み始めたような気がします。

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最後は怒涛のように言葉が出てきたので、それも記録しておきます。

「つまらないことにこだわっていた」。でしょうねという感じ。
「何をしたら視野を広げられる?」と尋ねたら「考え込まない」という返答。そしてなぜか「まぁまぁ、そう心配しなさんな」と。

一体誰が言ってるんだ?

私の身体からのメッセージだと思ってありがたく頂戴しましたが、念のため、再度先程の広くて明るい世界に戻って確かめてみました。

すると、「自分で自分の自由を奪っていた」と。腑に落ちた感があります。

次に「私は、本来は自由なんだ」が来ました。
が、しっくりこなかったのでもう一度探ると、「私は自由だ」というシンプル過ぎて拍子抜けするような言葉に辿り着きました。これがしっくりぴったり。

この最後の言葉で一気に身体が緩んで楽になりました。

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身体に「終わりにしていい?」と聞いたら、「いいよ~気持ちいいもん」ということで終了しました。

これが昨日のことです。
さあ、私は「やるべきなのに手がつけられない」ことをやれるのでしょうか。

今の感覚だと、取り掛かれそうです。
これを書きあげたらすぐにでも始めたいと思っています。
なぜ、あそこまでイヤだったのか「なんで?」と不思議な感じさえあります。それは言い過ぎか(笑)

いずれにしても、「やらなくちゃ」と思った時の重さが違います。
まだ少し重さを感じるようなら、もう一度やってもいいかなとは思うけど、少しくらいなら動き始めた方がいいでしょうね。

ということで、迷走した時は身体に聞くといいというお話しでした。
真剣に聞くと、予想だにしなかった言葉をもらえます。


長沼美恵
ウェブサイト
https://heart-ikiiki.amebaownd.com/

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