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「感情センサー」と「分析筋肉」はある(1)

私には「おはなし筋肉」がないことを前回書いた。

では何があるのか?というと「感情センサー」と「分析筋肉」である。
今日は感情センサーの話。

感情センサーは文字通り感情を読み取るセンサーだ。
だがしかし、生身の人間に興味がない私の感情センサーが働く対象は絵、文章、音楽である。
動物の感情センサーもあるが動物好きなら一般的なことだと思う。

最初に感情センサーを自覚したのは音楽だった。
絵を描く時は必ず音楽を聴くのだが、学生時代「描ける音楽」と「描けない音楽」の2種類の分類しか自分の中にはないことをはっきり自覚した。
その後相方と一緒にダベりながら落書きしてて私が曲ごとに「これは描ける音楽」「描けない音楽」と分類してると「???」という顔をされた。

その分類はジャンルやアーティストによって分けられるものではなく、同じアーティストでも「描ける」「描けない」があるのが普通である。
そして「描ける音楽」のエモの歩留まりが高いアーティストが推しになった。
「描ける」「描けない」で分けるとj-popは大半描けない。
洋楽だから描けるかというとそんなこともない。
歌詞がない方が歩留まりが高い傾向はあるが絶対ではない。

畢竟ひっきょう「描ける」「描けない」の区別は、その曲に「アーティストの感情が乗ってるかどうか」だった。
インストゥルメンタルならコード進行+作曲者の感情が濃厚かつ十全に噛み合ったもの。
歌詞がある場合はコード進行+歌い手が十全にエモ乗せられる達人(あまりいない)のもの。
歌姫と称されればみんなエモが乗ってるかというとそうでもない。
そもそも「商業的なエモ」と「商業的エモと異なる本人由来のある意味泥臭く本質的なエモ」に分かれる。
もちろん歌姫は概ね「商業的エモ」の分類になる。

上記の通りコード進行は極めて大事だが、最初から狙った商業的にエモいコード進行(と一般的にされるもの)で本当に感情が乗ってないものは不可である。
その上純粋に音でしか判断しないのでビジュアルとかどうでもよく、アーティストの顔もわからないことが多い。
さらにアイドル的な売りなら音楽的にはお察し案件と見て基本フルシカトである。
(稀に例外もあるが極めて稀)

結局私が絵を描くのに音楽が必須なのは、「音楽に乗った感情」を読み取って描いているためなのだった。

ちなみに歌付きの場合生半可な歌詞が耳に入ると激萎えする。
そして大半のj-popは激萎え案件である。
(だから文章グルメなんだってば)
逆に歌詞が深いと「オッ!」となるけど、極めて少ない。
なので外国語の方が歩留まりは高め傾向にはなる。
(邪魔にならないという意味で)
外国語とは言っても英語とは限らない。
現時点で一番歩留まりが高いのはアイリッシュ音楽である。
これは歌詞の有無に限らない。
だがこれも当たり外れはデカい。
しかし当たり率が他に比べると有意に高いのである(私基準、私調べ)

あととあるマイナー海外アーティストが奇跡的に超歩留まり高い(not歌手。純粋に曲作る人)
多分日本人で聴いてる人は極少数と思われる。
(検索しても出てこないため)
余談ながら日本人で超歩留まり高かったアーティストは数年前にお亡くなりになってしまって長いことロスに苦しんだ。

音楽と同じように文章、絵でも感情が乗ってるかどうかで好みが決まる。
これは私の好みの話であるが、読者としては上手い下手より好みが大事であることは過去に書いた。

このシリーズが含まれるマガジンの表題「幼少時特殊な文章教育を受けた超絶文章グルメの絵描きの文章術」の通り、めちゃくちゃ文章グルメなので感情センサーの感知によって好きな小説を探す能力は自分には不可欠である。

一方絵の場合、「何かが乗ってる絵」の「何か」がわからないとクリエイター見習い(クリエイターもどき)からステップアップできない。
その「何か」とは「らしさを演出する『細やかな演技力』や『人間の感情への洞察力』から生まれた【微妙かつ精妙な味付け】」であることはすでに書いた。
正確に言うともう一歩進んだ「クオリア」の乗った絵というものも存在するが、激レアなのである。
「クオリア」のある絵をドラゴンボールで例えると「超サイヤ人2」(最終段階)だろうか。

↑はAI生成画で現時点では達成できてない点に言及したnoteであるけれど、それに気づくには細かい観察眼(≒鋭い感情センサー)が必要、という内容である。
きめ細やかな感情の確信的な表現はプロンプト指示では(現時点では)不可能と言える。
一方クオリアについてはこちらでチラッと触れている。

そういえば以前見たAI生成師は「深い瞳」という言葉を生成画像の自画自賛と共に連呼していたのだが、その単語だけでガチャ頼みで思い通りの表情が出るまで生成し続けるのは効率が悪いと思う。

というより「深い瞳」という曖昧すぎる指示で本当に望み通りの表現が得られたのか?
というとそうではなく、ガチャで出た表現をめつすがめつして検分し合否判定を出せるほどの細かい感情表現を見分ける観察眼が育ってないのだと思う。
なので、出されたものはなんでも美味しくゴックンしてるのだと思う。

それはそれで本人は幸せだろうから決して悪いというわけではない。
ただそれはクリエイターじゃなくてカスタマーだよね、という話である。
そして私の描きたい表情は「深い瞳」という単語ではとても表しきれないような多種多様な表情なので自分的には論外になってしまう。という話。

ちなみに「細かい感情表現」というのは裏返すと「大袈裟な表情」であってはならない。
なので微細な違いの感知が重要である。
テンプレの極端なやつとかではなく、微妙、精妙、繊細な感知能力ということである。
そしてそれは自己の内面との突き合わせが必要になるので、自分の感情に蓋をしていては獲得できない能力である。

過去にこんな記事も書いてる。

内容は「人が描いた絵から描き手のその時の心境またはある程度のその人のパーソナリティが分かる、『ことがある』」というものである。

あとこんなの。

典型的テンプレ表情は描くのは心理的負担要らんがつまらん、微妙表情やマッチョはそれ用モードに入らねばならず羞恥心を克服しないと描けん、という私自身のジレンマ話である。

色々蛇足的なことも書いたが、つまるところ微細な表情を見分けるには以下が必要になる。

  • 自己の内面との突き合わせ。自分の感情に蓋をせず精確な自分の気持ちを自覚する。

  • 絵と感情表現のすり合わせ。いわゆるテンプレは避け、自己の知覚した微妙な感情を絵でどうやったら表現できるか試行錯誤する。

  • 先入観の排除。先入観≒テンプレなので描く時心を無にしないと微妙な表情は描けない。

  • 本番以外で鍛錬を積んでおく。本番だけ上手くやろうとしてもその作為がノイズになって微細な表情の感知と表現ができなくなる。

以上、微細な感情を読者が感知できる、と読者の感情が動いた=感動に繋がるので、感情センサーが錆びないよう常に磨くことは絵描きにとっては非常に重要であると思う私なのであった。


だらしないのでsurface penをどっかにやってしまい
半泣きになりながら引き出しなどあちこち開けて
奥から出てきたおそらく前機種の古いsurface penを
アワアワしながら現surfaceにペアリングして
ハワハワしながら試し書きした絵
ハワハワしてる割にふてぶてしい奴を描いた


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