【拾遺】クセェ文章、スケベ心?そりゃアカンわ。そりゃあね。

遠野物語拾遺みたいな感じで(嘘です)

別なnoteの下書き中の調べ物の検索で引っかかったページに、「クセェ文章、スケベ心?」シリーズと似た内容を含んだ記事を見つけましたのです。

全編通して同意できる内容で、それやそれそれ、と膝を打ちつつ読みました。

特に「クセェスケベ心」シリーズと同じ趣旨だったところを引用します。

その表現・描写は、本当に効果的ですか?

表現力と描写に重きを置く人は、次の点に注意したほうがよいと思います。

・表現力や描写に酔っていませんか?
・表現力や描写が自己満足になっていませんか?
・その表現、描写が読者に伝わっていますか?
・表現に凝るあまり、くどくなっていませんか?

文章力に関する考察

思わず「デスヨネー」って言いたくなりましたよ。

あとこちらも。

つまり、なにがいいたいかというと

極端に上手い人。それこそ文壇でも認められた美文の作家、あまりにも豊かな表現力と視点を持った作家、心情描写が的確でうまい作家。確かにいらっしゃいます。文章上手いよねというと、よく名前の挙がる作家さんたち。

そのへんをのぞくと、あとは「好き・普通・嫌い」「合うか・合わないか」に集約される気がしています。

ようは好みです。本好きの友人たちと話すと、だいたいみんな言います。「好みかそうでないかだよね! 合うと、上手いってなる」と。

文章力に関する考察

ほーらね、「クセェスケベ心」シリーズが私の独りよがりの見解じゃないでしょって思いました。
誰もが認めるよほどの手練れの作家でもない限り、読者的には好き嫌いとか相性なんですよ。
だからいくら作者が気張って「上手くなる!上手くなる!」(そもそもどういった基準で?)て念じたところで読者の好みに合わなかったらそれでおしまいなんですよね。

かと言って「共感してほしい」って読者に阿ってもそれも読者には伝わるもんだし、あまりカッコつけに腐心してもいいことないと思うんですよ。

書きたいことがあれば、それを書く。
気取ったものより素直に書かれたものの方が一般的には読みやすいですね。読者としては。
…と書いていたらこの記事の方、他の記事でも私と同じこと言ってました。

また、SNSを拝見していると「自分の作品はおもしろい!」「自信作!」「自分の作品が好き!」という方が多い印象です。とても素晴らしいことだと思います。

でも、「自分の好き・おもしろい」=「読者が多い・人気」ではないんです。自分の好きを詰め込んで書いたものだから、自分が好きなのはあたりまえくらいに思ったほうがいいです。その上で、もっと冷静に作品を見つめて、「これに読者がつくだろうか」と考えてみてください。

大昔に書いていて、今は読み専となった私の印象ですが、「書き手」と「読者」の意識はけっこう違いますよ。

読者目線、意識していますか?

そういや自分の小説の後書きで自分の小説に「これは面白い」って太鼓判押してたのを初めて見たの、夢枕獏の気がする。
遠い昔すぎてうろ覚えだけど。
「上弦の月を食べる獅子」は好きだったわ。
宮沢賢治の話。(こっちは自分で太鼓判押してなかった気がする)

あ、脱線した。

ええと他にも、最初に紹介した記事の続編が秀逸にも程がありました…。

描写力・表現力、マイナス要素になりえます

たとえば、以下のような問題を抱えている方、かなり多いように思います。

①読者に伝わっていません。
②過剰すぎて、くどいです。
③ありきたりな表現を過剰演出。
④表現ではなく、好きな言葉選びになっています。

これらすべて、ご本人は気づきません。そして、私はこれらの指摘をしたくありません。なぜなら、作者はすごく、ものすごーく自信を持っているため、下手すると関係性を悪くする可能性があるからです。

表現力・描写力について、もうちょっと詳しくしてみた

え、これ、絵師における「ダメ脳内補正」そのものじゃないですかーヤダー。

ダメ脳内補正についてはこちら

↑の原典
絵を巡る考察プレビュー版

さらに秀逸なのがこちらの指摘。↓

表現力にこだわる人ほど、人に見てもらったほうがいいと思う

作家になるんだから、表現力にこだわるのはいいことだと思います。ただ、こだわるあまりに、自信を持ちすぎている人が多い気がしています。

自身は持っていいんです。持っていいんだけど、私は次の点が気になっています。

・持ちすぎるあまり文章以外の点を軽視してしまう。
・文章はできている(高いレベルにある)と思い込む。
・美文ではないけれど、読みやすい文体を下に見る。

いや、わからなくはないんですよ。たしかに文章に力いれてるんだなというのが、その方の作品観や執筆姿勢からはわかるんです。が、文章にこだわる人が、かならずしも文章がうまいとは限らない(いや、ほんとすみません)。

表現力・描写力について、もうちょっと詳しくしてみた

ほらほらほらあ、だから言ったでしょー。

・文章はできている(高いレベルにある)と思い込む。
・美文ではないけれど、読みやすい文体を下に見る。

(略)文章にこだわる人が、かならずしも文章がうまいとは限らない

表現力・描写力について、もうちょっと詳しくしてみた

この通り過ぎでしょ。
「クセェスケベ心」シリーズ書くきっかけになった作家志望の方、

そうじゃない文章は、例えば、電化製品の取り扱い説明書みたいな、胆摘で(摘出手術じゃない笑)端的でわかりやすくて、無駄がない。それは、説明文です。

って言ってましたけど、これ、読みやすい文体を下に見てません?
勿論私もツッコミましたよ。

↑のイカナゴのくぎ煮の「脳内イメージ」に忠実にくっきり書かれた文章を、説明文と言ってるに等しいんだけど………。

クセェ文章、スケベ心?そりゃアカンわ。そりゃあね。

これでは引用元のnoteに書かれてたイカナゴくぎ煮の文章を「説明文」呼ばわりしてるのと同じです。

クセェ文章、スケベ心?そりゃアカンわ。そりゃあね。2

って。

文書きの相方も言ってたけど、「水を飲むようにするする入ってくるような、文章の巧拙も、文章であることすら感じさせないくらい自己主張を抑えた文章が一番上手い」。
「文章であることを感じさせない」ということは、つまり読者に「文章」という媒体を通しているという感覚もなくなるほどに「作者の脳内イメージをダイレクトに読者に届けることができている」ということです。

「ナマの鮮烈なイメージを読者の脳内に直に感じさせるという最終兵器」の前には文章の巧拙など、取るに足らぬ、吹けば飛ぶような存在と私は考えます。

ともあれ、今回引用させていただいた方の記事はよくあるなろう系のハウツーなどよりよほどタメになることがたくさん書いてあると私は思います。
ピンポイントでいくつか読みましたけど、実に炯眼と思います。
最新記事も非常にタメになる。

作者の都合など読者は知らない。うまく書けていない作者の言い訳でしかないんです。

自作に自信のある人の陥りがちな欠点1 冒頭編

私も同じこと書いてましたわ。

そもそも論で言えば、書き手本人の思い入れなんて読者とは無関係なのよね。
作者が想定した場所にインパクトを覚えてあげる必然性は読者側にはないのよ。

クセェ文章、スケベ心?そりゃアカンわ。そりゃあね。3

結局、作品作るなら読者視点もある方が受け入れられやすいのは理の当然です。
もしくは、逆に一切自分以外の需要とか考えず己の創作衝動の赴くまま突き抜けるかどちらかです。
ヘンリー・ダーガーのように。

でも、今の生活水準の高い日本で、ヘンリー・ダーガーみたいな暮らしに甘んじて創作に励める日本人て、いない気がするわ。


本編はこちら↓


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