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繰り返される弔いのパレード
緋寒桜が咲く頃になると、とある夢をよくみる。
自分のお葬式の夢だ。しかし全く悲しい夢ではない。
自分の大好きだった人たちが葬儀場(ホールのような大きな空間)に集まっている。不思議なことに出会った時代や年齢を超えて、彼らは想い想いに、私のことや自分のこと、青い空のことを話している。
喧嘩別れした友人や、一方的に何となく好きだった知り合いまで。全ての人…というより思い出が楽し気に身を寄せ合っている。
地球の上の歓びと悲しみの話
いろんなこと、話したいことや書かなきゃいけないものがあるのだけれど今日約束をしてきたこともあってこの話に決めた。
生きていく上で寒くないとか暑くない場所はあっても、悲しくないという場所は思い当たらない。いいことか悪いことかは別として、生きることと悲しみ・歓びは常に共にある。でも、なるべくなら歓びを増やそうと人間は知恵を絞り、そこに工夫や発展が生まれたんじゃないかなと思う…
今日、街頭で渡された、
自分という人格とラジオの話<再掲>
※2020年2月1日より再掲
「自己を保っている」という状態に関して、私は干渉波から離れたラジオの周波帯をイメージする。自分というチャンネルにしっかり周波帯が合っているという意味だ。
大概の人はそのチャンネルを無意識的に捕まえられるらしいし、特に苦労はないと言う。私の知る限りでは、実は、チャンネルは無数にある。
それは私のようなチャンネル合わせが苦手なタイプには大きな悩み事だ。
radikoのよ
誰も小さく死ななくてよいと思う話<再掲>
※2020年1月31日より再掲
私は一度死んだが、今日生まれ変わろうと思う。
私は16歳で先天性のとある脳機能障害を抱えているという診断が降りた。
私はベッドに横たわり、食べることも、起きることも億劫になった。
奇妙な夢ばかりが続き、私が「普通」に生きることを世界中に拒まれたと思った。
「人間は社会的な生き物だ」と教わってきた。
精神世界の夢物語を生きる当時の私は、人間ではない、別の何かにな