Imaoka Megumi

ASD(アスペルガー症候群)を持ちながら、映像やイラストレーション・音楽などに好奇心で…

Imaoka Megumi

ASD(アスペルガー症候群)を持ちながら、映像やイラストレーション・音楽などに好奇心で駆け回る人。発達障害に生き苦しさを感じている人も「呼吸がしやすい」場作りができたらいいなぁというのが最近の夢。座右の銘は「独立共歩」。

マガジン

  • ツバメキタル備忘録

    脳の機能障害についての備忘録。日常を生きるのに困っている方、また周囲の方に届きますように。仄暗い中にあえかな光。(映像デザインpocket poetから移転してきました。)

最近の記事

繰り返される弔いのパレード

緋寒桜が咲く頃になると、とある夢をよくみる。 自分のお葬式の夢だ。しかし全く悲しい夢ではない。 自分の大好きだった人たちが葬儀場(ホールのような大きな空間)に集まっている。不思議なことに出会った時代や年齢を超えて、彼らは想い想いに、私のことや自分のこと、青い空のことを話している。 喧嘩別れした友人や、一方的に何となく好きだった知り合いまで。全ての人…というより思い出が楽し気に身を寄せ合っている。 泣いている人はひとりもいない。オバケになった私にすれば、これは門出の式のように

    • 地球の上の歓びと悲しみの話

      いろんなこと、話したいことや書かなきゃいけないものがあるのだけれど今日約束をしてきたこともあってこの話に決めた。 生きていく上で寒くないとか暑くない場所はあっても、悲しくないという場所は思い当たらない。いいことか悪いことかは別として、生きることと悲しみ・歓びは常に共にある。でも、なるべくなら歓びを増やそうと人間は知恵を絞り、そこに工夫や発展が生まれたんじゃないかなと思う… 今日、街頭で渡された、難民を救う国連の活動への協力募集の一枚。気さくなお兄さんがわかりやすく話してくれ

      • 長い沈黙の後の話

        新型コロナウイルスや災害や、私個人にまつわる様々のせいで長く沈黙してしまった。(大変お恥ずかしいことです。)ただ、沈黙しているだけではなかった、手慰みかもしれないけれど、ずっと歌詞を写していた。 まるで写経のような冷静さで心に灯ったものを書き写すのは、白紙の紙に文字やら絵やらを描き始める「最初の一筆」に対する緊張感と似た感じがして、息を止めて一文書き、また息を止めるように物事を進めていた。 今のところ書きうつした歌詞のリストがこちら。 ・椰子の実 ・恋はやさし野辺の花よ

        繰り返される弔いのパレード

        マガジン

        • ツバメキタル備忘録
          9本

        記事

          もしも私を異常と呼ぶならの話

          私には観念的に母国語が存在しないらしい。主治医が教えてくれた話だ。 第一外国語として日本語を自然に学んでいるので語学系には強い脳になっているはずだよ、と。大抵の国の人はその国の言葉を使う。私はどこの国の人なのだろう。主治医は「きみだけの世界があって、きみの国の人かもしれないね。」と言ってくれた。 世界はレイヤーで成り立っている。Photoshopや画像編集ソフトを使う方には分かりやすいかもしれない。 きみのビジョン、あなたのビジョン、そして私のビジョン。 たくさんのビューポ

          もしも私を異常と呼ぶならの話

          「話せる場所が必要だ。君にも、私にも。」の話

          noteのサークル機能を使用して「よだか派の会」というのを作った。 作家さん向けのサークルなのだが支援者の方もお入りいただけるので一度覗いていただけたら嬉しい。要は数字に埋もれているだけでめちゃくちゃ精いっぱいを感じる素晴らしい作品って結構ある。それをいいね!の数だけではない、具体的な批評を言い合えるそんな会派がネット上にあったら素敵だな!と思い、実行したものだ。これは作品を作る人へという意味があるので映像デザインpocket poet(CITRONの母体的なものです)のアカ

          「話せる場所が必要だ。君にも、私にも。」の話

          自分という人格とラジオの話<再掲>

          ※2020年2月1日より再掲 「自己を保っている」という状態に関して、私は干渉波から離れたラジオの周波帯をイメージする。自分というチャンネルにしっかり周波帯が合っているという意味だ。 大概の人はそのチャンネルを無意識的に捕まえられるらしいし、特に苦労はないと言う。私の知る限りでは、実は、チャンネルは無数にある。 それは私のようなチャンネル合わせが苦手なタイプには大きな悩み事だ。 radikoのような便利なアプリが無かった頃を知らない方々にも説明すると 昔のラジオはチューニン

          自分という人格とラジオの話<再掲>

          誰も小さく死ななくてよいと思う話<再掲>

          ※2020年1月31日より再掲 私は一度死んだが、今日生まれ変わろうと思う。 私は16歳で先天性のとある脳機能障害を抱えているという診断が降りた。 私はベッドに横たわり、食べることも、起きることも億劫になった。 奇妙な夢ばかりが続き、私が「普通」に生きることを世界中に拒まれたと思った。 「人間は社会的な生き物だ」と教わってきた。 精神世界の夢物語を生きる当時の私は、人間ではない、別の何かになったのだと思った。 私は心の中で、意識に於いて、小さく死んでしまった。 2

          誰も小さく死ななくてよいと思う話<再掲>

          はじめまして

          人は人との関わりで初めて「社会的な生き物」になると社会科で学んだ。 だとしたら私はたくさんの期間、社会的でない「ナゾの生き物」歴を持っている。 私がアスペルガー症候群と診断されたのは17歳の頃だ。今ではこの病名は無くなりASDという自閉症スペクトラムという括りになった。三角形で表されるスペクトラム図において、主治医曰く私は「中の上」くらいのポジションに立っているらしい。上とつくだけあって今までいろんなすれ違いや勘違いで困った問題に直面してきた。大人になった今、なるべくしなや

          はじめまして