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【北欧留学】優しさが人の心に沁みるとき

長く厳しい北欧の冬も、そろそろ終わりに差し掛かったあたりか。
午前9時すぎになってようやく明るくなったと思いきや、午後3時すぎにはすっかり暗くなる。冬季うつ対策のため、ビタミンD剤を服用する。晴れの日は月に3日ほど。雪があると視界が明るくなるから、起きて雪が積もってたら少し嬉しい。そんな日々がまるで嘘だったかのように、最近は温度も0度を上回ることがほとんどで、雪を見ることもだんだんと減り、嬉しいことに太陽もどんどん姿を現してくれるようになった。晴れているだけで涙ぐむ日々が来るとは、ここに来た頃は思いもしなかった。

時の流れとは早いもので、いや、私の感じ方だろうか、ここ、フィンランドに来てはや半年が経とうとしている。あっという間、といえばそうだけど、思い返せばいろいろ、いろいろあったし、それをふまえると"あっという間"という表現はあまり合っていないのかもしれない。それでも留学生には帰国日というものがあり、日本に帰る日も刻々と近づいている。旅行などの日程を抜くと、ここにいれるのもあと三ヶ月足らずなのである。

それに気づいた途端、これまでは覚えなかった寂寥感で胸がいっぱいになった。すれ違う人、何度も歩いた道、毎日乗る地下鉄、視界に入るもの全てが、なぜか、どうしようもなく愛おしく感じた。

通学路

北欧はある程度日本でも人気の高い国だと思うが、私の場合、英語が通じて、かつ勉強したいことがあったから北欧に来たというわけで、正直にいうと、留学前はあまり北欧に対する特段の思い入れや愛情はあまりなかった。それほど詳しいわけでもなかった。それでも、住めば都とはこういうことか、徐々に居心地良く思う気持ちが強くなり、他の都市に旅行しても、結局空港に降り立つと安心するし、シナモンロールを口にすると、「ああ帰ってきた〜」となる。

大好きなシナモンロール。何度食べても飽きないし、多い時には週に数回食べてる。日本に帰ったら寂しくなる味ダントツ1位。

とはいえもちろん、最初からこうだったわけではない。
初めての非英語圏での留学。国民の英語のレベルが非常に高いとはいえ、スーパーで買うものや、郵便局からの手紙など、日常的に手にするものは全てフィンランド語。まさに右も左もわからない状態、といっていいかもしれない。家事も全て自分でこなすなど、生活能力も試された(初日、電気コンロの使い方がわからず、フライパンでお肉を焼くのに約1時間かかったのも今ではいい思い出。)あれがない!これがない!となることもしばしば。そして、日本の”当たり前”とは違う点ももちろんあるわけで、それらに適応しようとする中で少しずつ疲労が溜まっていた。

留学が始まって三週間ほど経った頃。体調を崩した。
一人暮らしを始めてここまで具合が悪くなったのは初めてで、メンタル的にもかなり落ちた。
幸い、熱にうなされ動けない私を心配して、ルームメイトがご飯などは買ってきてくれた(ありがたい)。しかし、日本でよく見るような風邪薬がなかなか手に入らず、自力で治すしかないのか。。と途方に暮れた。
日本で入った保険を仲介し、病院を紹介してもらい、渡航わずか三週間でフィンランドの病院を体験した。(余談だが、フィンランドでは滅多なことが起きない限り病院には行かないと聞いたことがある。医療費は基本的には無料だけど成人は別途でかかることがあるらしい。そして基本的に待ち時間は数ヶ月単位で、緊急の場合は診察費が比較的高額な私立病院にいく必要がある。5~10分ほどの診察だったが、私の場合12000円ほどした)

慣れない土地での人間関係の構築についてももがいていた私は、体調を崩したのをきっかけに、少し慢性的に、気分の晴れない状態が続いた。


保険会社に提出するために、診察書のコピーをとりに大学に向かった時のことだった。
日本だと、アプリやLINEなどを利用して、簡単にコンビニでなんでもコピーできる。
私の大学のプリンターは少々手続きは煩雑で、あるWEBサイトに登録し、メールで添付ファイルを添付し、また別のサイトでdepositを払うことでようやく使える、という仕組みだった。コピー機のそばにはなんの説明もなく、私は何もわからず、一時間ほど一人で格闘していた。
今思えば、いや早く誰かにやり方聞きなよ、という話なのだが、その時の私はなぜか自力でやることにこだわっていた。誰かに聞いてもちゃんと教えてくれない、なんてひねくれてたのかもしれない。
若干苛立ちながら格闘していると、近くにいた女性と目があった。今でこそ誰かと目があったら少し微笑みかけるし、助けが欲しかったら求めるけど、その時の私の気分的に、あまり誰かに頼ったり話す気分じゃなかったのか、目を逸らしてしまった。女性はそのまま近くのパソコンで作業をしていた。
数分後、再度挑戦し無惨にも失敗している私が視界に入ったのか、その女性が「大丈夫?」と優しく声をかけてくれた。彼女は丁寧にwebサイトの登録方法や支払いの方法まで教えてくれて、時間をかけてくれた。

感謝を述べた後、留学生で最近引っ越してきたという話になり、日本から来たんだ〜という話の流れで、
「日本ではアプリとコンビニがあればすぐできるんだ。ここのプリンターは違うから、やり方がわからなくて…」と、私は言った。

その瞬間、元いた場所に囚われていた自分に気づいた。長く暮らしている日本のものの方が慣れ親しんだように感じるのは当たり前である。それと同時に、日本のこれはこんなに便利なのに、だとか、これがあったらなあ、と、今ここにないものばかり考えていた。でも今いる場所は日本じゃない。向き合うべきは、目の前のものなのだ。

その後少し世間話をした後、女性は去り際に穏やかな笑みを浮かべながら、
「とにかく、何か困ったら、誰かに聞くんだよ。」
と私に言った。
その瞬間、目が潤んだ。

今いる場所に適応するのに時間がかかって、元いた場所に囚われていた。女性はそんな私に、こんな言葉をくれた。

他者の優しさがいつも以上に沁みる時。それは弱っている時だと思う。

その日の日記に、私はこう綴っている。

一人でやんなきゃ、助け求めてもどうせダメだろうから、と勝手に期待しないようにしてたのに、私の状況を汲み取って助けてくれたこと、ずっと私の様子を伺ってくれてたこと、そして『誰かに聞きな』と私の心を見透かしてるように言ってくれたこと、どれをとってもなんか優しくて泣きそうになった。慣れない環境で生きると全てが初めてで、それらに毎回立ち向かって疲れてたけど、こうやって助けてくれる人もいるんだって思って泣きそうだった。(9/19)
このことは何度か思い出して、今でも少し泣きそうになる。

私のこの半年間でのフィンランド人に対するイメージは、ちょっとシャイだけど親切な方が多いなあという印象。
今仲良くしている友達と仲良くなる最初のきっかけも、私のリュックが開きっぱなしだったのを教えてくれたのが、だった(仮に東京を歩いていて同じような状況になった時でも、私だったらわざわざ声はかけないかもしれない…)

この半年間での内面的変化の一つに、"appreciation" がある。
自分の生活を構成する大切なものをちゃんと認識し、いろんなものに心の中で感謝するようにしたい、と日々思っている。
晴れていること、綺麗な景色が電車から見えたこと、たまたま買った食べ物が美味しかったこと、友達と楽しく話せたこと。
全てが当たり前じゃない、と、あの時期に感じたからだ。

自然に触れられる時間が増えたことも、本当にありがたい


ここにないものより、誰かにしてもらえなかったことより、
ここにあるもの、誰かがしてくれたことを見つめて、感謝したい。


人は、誰かが自分にしてくれたことしか他者にもしてあげられないのだ、と、どこかで聞いたことがある。
逆にいうと、他者がしてくれたことは、その意志さえあれば、私も他の誰かにしてあげられるはずだ、と言えるかもしれない。
誰かが私にくれたやさしさ、してくれたこと。
私もまた、誰かにあげられるような人間になりたい。

コピー機の前で助けてくれた、あの人のように。






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