被害者視点を捨てて〇〇視点に

私はメンタルの抑揚が大きく、少しのことで信じられないほど心が沈む。

だけど確実に『自分で決めた、自分の道』を歩き始めていることが分かって来たから
どんなときも、心の深いところで『大丈夫だ』と自分を信じることができた。

過ごしてきた「これまで」の習慣・環境・思考を捨てることは、怖かったけれど
もう必要ないとハッキリ分かったから手を離してサヨナラした。そして本来の自分に戻っていこうと腹を決められた。

先になってみないと分からないことが沢山あって、辛いことや苦しいことが自分を圧迫する夜を数えきれないほど超えた。

合っているのか分からないまま進み続ける暗さから、いっそ人生をやめてしまおうかと思ったことも一度や二度ではないし

全ての感覚を完全に分かち合える人間なんて居ないという事実から、このしんどさを人に分かってもらえないということへの苛立ちや虚無感をどこへ向けていいのか分からず
ただ自分の人生を嫌うことで自虐を繰り返してきた。

人間は、あまりにも苦悩が重なると自分から逃げ出したい衝動から
上手くいかないことを他人のせいにしたくなるという性質を持っていて
親や環境、周りが自分を苦しめている、他人のせいで自分はこんな目にあった、と嘆き始める。

そんな時は決まって、まるで自分が被害者かのような口調になる。まさに被害者としての目線だ。

私も実際にそうやって他人のせいにして散々とっ散らかった末、自分を幸せにしてくれるものは何ひとつ残らずただ虚しい時間だけが流れた。


ここでひとつ、見方を受動から能動に変えてみてほしい。


この不調やトラブルが、実は
自分が幸せになれるように、自分が道をこれ以上逸れて行かないように、自分が敢えて起こして教えてくれていることだとしたら?

そう捉え始めるようになって、ようやく少しだけ
自分の人生の舵を握れている感覚が出てきた。

こういったことが起こらなければ気づけなかった

平凡が続いているだけの日常は穏やかで一見幸せだったろうが
そのままではきっと自分の人生を放棄して、周囲の期待や世間の声が賛同してくれる方向へのみ
歩みを進むようになっていたかもしれない。

一体どれくらいの人が本当に自分の人生を生きているのか?

そう考えると、私に起こった一見不幸なことや苦しみは
私をここまで導き出してくれたサポーターだったということになる。


周囲のせいで〇〇させられた、ではなく
自分が変われるように〇〇を起こした

被害者視点を捨てて、自発視点に変えてみる

苦しさがあったから変えたい変わりたいと思い、出会えた人がいること。
体調を壊したから、離れられた仕事。
これでもかというほどの怒りを感じたから、環境を変えられたこと。

自分の体感や感覚というものの賢さを侮ってはいけないなといま、改めて感じている。


上辺ではなく根底にある問題と向き合うことで、本当の意味で土台から人生を変えていける。
そして自分の人生は自分で築いていたのかと気付くことができる。



◽️ブログ内容についてのご感想やご質問など、ぜひお気軽にメッセージ下さい。


また、ご指導を予約される方は、
『tamuraのブログを読みました』と伝えて頂けますと特別に特典がつきます。

↑こちらDMまでご連絡お待ちしています。tamura

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?