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短い梅雨と過食の話し




梅雨の終わりの疲弊


どうやら梅雨が終わったらしい。

この前梅雨になったばかりではないか?
神戸は六甲山からの風があるから、梅雨になっても爽やかだなぁ…なんて思っていたのが先々週のこと。神戸の梅雨はこんなもんか、なんて思っていたら、先週はやっと梅雨が本格化してきてものすごい湿度になり、うわぁ、神戸だからとか関係なかったな…と思うことになった。

クーラー付けっぱなしだと冷えて寒いし、かと言って消したら消したで暑い…という日々が始まりましたね。

6月後半の梅雨期間、ものすごく仕事がしんどい。梅雨は短かったが、日々生きている体感としてはとてもとても長くハードだった。
お客様からクレームをいただいたり、顧客の担当件数が増えたことで仕事量がものすごく増えて、元々効率が悪いのに、更に効率が悪くなったように思う。追い討ちをかけるようにミスの発覚。周囲の先輩は仕事がはやいので、定時に帰れないとプレッシャーが凄い。みなし残業代のみなし時間を超えると注意を受ける。何て世知辛いんだろう。おまけに生理前。愚痴も言いたくなるし、正直精神的にも体力的にも限界を感じる。


はぁ。こんなところで愚痴を言っていても仕方ない。

仕事が終わらず深夜にフラフラで帰りながらコンビニに寄った。


マツコ・デラックス氏が「幸せを感じられない人は食に走る」的なことをあるテレビ番組で言っていた、とネットで見かけたのだが、結構その意見には同意している。実際自分がそうだからだ。何かっていえば過食に走ってきた。そんな自分が一番嫌なくせに。幸せを感じない、というか、精神的にしんどい時にだ。

バレエの先生が怖かった時も、
勉強も陸上も何も上手くいかなかった時も、
鬱屈とした高校時代も、
病んでた大学4年の時も、
バイトしか充実感がなかった東京一年目も。

酒でもタバコでもクスリでもなく、偶々モノを口に入れるという選択肢だっただけだ。自分はタバコを吸うようになったら絶対に辞められなくなるとわかっているので、遊び半分で咥えたことはあるけれど、始めないことにしている。何にしても依存症はよろしくない。抜け出せない、怖い。

コンビニに入るとすぐのところに花火が売っていた。最近は公園でも花火禁止なんだよな…。でも線香花火くらいなら家のベランダでやれば良いんじゃね?と、もう限界を迎えた脳みそで考えながら、しばらくぼーっと花火を眺めていた。(その姿、絶対不気味だったと思う…。)



指導と精神的な傷 -バレエ教室での記憶-


(※この先センシティブな内容を含みます)


そんなことをぼんやり書いていた矢先にこんな記事が目に入ってきた。

全然同じではないし、一括りにしたら失礼かもしれない。だけど、似たような経験をしていたので、読んでいて悲しくなったし、未だにこんなことがあるのかと驚いてしまったのも正直なところだ。

とてもセンシティブな話題なので、恐る恐る書く。



私は4歳~11歳までバレエを習っていた。小学2年生くらいになるとクラスが上がって先生も代わった。その先生に対して、幼心にとても怖いと感じていた。
私はバレエがとても下手糞で(ヘッダー画像をご覧いただければ、鎌足ちゃん🍌とターンイン具合でご理解いただけると思う😂)、しかもぽっちゃり気味の幼児体型。幼稚園くらいから「何で自分は他の子よりぽちゃりしてるんだろう?」と思ってはいたが、当時はまだ「痩せる」というワードは私の辞書にはなかった。
(今思えば、ただ普通に健康優良児だっただけ。)


小学校中学年くらいのある日、私ともう一人だけが呼び出されて「もう少し痩せて!」と先生に言われた。
バレエは性質上、太っていたら怪我にも繋がりやすいのかもしれないし(正しい知識かどうかの確証はありません)、衣裳も踊りも美しく見えにくい(という価値観で見られる)。
先生に言われたその日、家に帰ると母が「今日ケーキ買ってきたから一緒に食べよう」と言ってくれたが、「要らない」と言ってただ泣き始めることしかできなかった。(母はその後きちんと話しを聞いてくれたから良かった。)
何をどのようにして痩せれば良いのかは、何の指導も無かった。(当時は栄養学などは今ほど浸透していなかったのだと思う。)

先生からいつも同じ注意を受けて、一つ直そうと心掛けると、もう一つの注意を忘れる。いつも先生が近くに寄ってくるのが嫌だったし、意識しても「それ違う!」と言われて身体を触って直されるだけなのでどうしたら良いかわからなかった。「怖い」が先立ってしまって、肝心な注意が頭に入っていかなかった。

その先生は集中攻撃する人だった。
恐らく多少の上手い下手はあるにせよ、幼い子供なので、同じくらいのレベル感で注意する点はあったのではないだろうか。けれども先生は、ある一定期間、集中的に同じ人を厳しく叱責した。そして一定期間が経過すると、その人への攻撃は終わり、違う人へとターゲットが移る。(客観的に見ていじめだ…。)

その先生のクラスに上がったばかりの頃は、結構私はターゲットにされていたと思う。ただ、最初だったのであまり気づかなかった。その頃は、バレエもとても好きというわけではなかったので、ただ何となくレッスンに行き、よくわからずにやり過ごしていた。

そしてしばらくすると、私よりも酷い攻撃を受ける人が出てきて、見ていてとても心が痛くなった。皆、同じようにされたくないから目を背けてきたし、その人のことを助けることもなかった。皆、「その子が弱かったんだ」と思っているかのように見えた。(私が思っていただけかもしれないが。)気が付くと、攻撃に耐えかねて辞める人も出てきた。「集中攻撃を受けないように」という意識でレッスンを受ける日々が続いた。完全に委縮していた。



ある時、ある役に抜擢された。嬉しかった。

私の通っていたバレエ教室はとあるバレエ団系列の支部教室で、本部の人たちはみっちりバレエ教育を受け、ハイレベルな人だとローザンヌ国際バレエコンクールで上位入賞したり、海外でプロになる人も輩出していた。

本部の人達は凄い人達。レッスン数も違うし、私たちはたいしたことない…。みたいな思考が、生徒たちの間には語らずともあった気がする。(私の勝手な解釈だが。実際生き生きした表情でレッスンしている人は少なかった。)

その役に抜擢されて、本部に合宿に行くことになった。
朝から晩までバレエ漬けの1週間程でとてもしんどかったが、刺激を受け、バレエを踊ること自体が楽しくなっていった。

そして、上手なお姉さんたちと一緒に作品を踊れることが嬉しかった。

合宿を終えて自分の教室に帰ってきてからも、前向きな気持ちで今までよりも積極的にレッスンに臨むようになった。過去の発表会のビデオを家で見て、自分とお姉さんたちとの違いを研究したり、「このヴァリエーションは何て言う作品だろう?」と知っていくのも楽しかった。

バレエが好き。

そう言えるようになっていった。
(正確には、作品を知ったり、表現したり、創り上げる過程が好きだったのかもしれない。)



発表会が終わると基礎練習中心の日々が始まる。

それでも引き続き頑張ろうと思っていたが、またしても集中攻撃が始まった。
発表会の燃え尽き症候群を見抜かれたのか。基礎の足りなさを充分理解していない私にバレエの厳しさをしっかり指導したかったのか。人よりできないなら、その何十倍も努力が必要だということを叩き込みたかったのか。
もう10年以上前なので正確には憶えていないし、記憶を改竄している可能性も大きいので何とも言えない。それでもとにかく先生のご機嫌が悪いのが怖くて、しかも自分ばかりが注意されることが怖くて、精神的に崩壊していった。少しでも基礎力や技術力や表現力が向上することが本質なのに、先生に叱られない事、見つからない事がメインになってしまっていた。
次第にズル休みし始め、送迎してもらってもレッスンに出たくないから車から降りたくないと泣き、そんな自分が嫌で、母と話してちょっとした脚の痛みを理由にバレエを数か月休むことにした。しかし、数か月休んだら身体を戻すのに相当大変なこともわかっていたし、その気力も精神力も私の中に残っていないことは自覚していた。長期的な休みが決まった時点で、私の中ではここで辞めることが決まったも同然。あとはフェードアウトを狙っていた。

もう、先生の顔を見るのも怖かった。

(以前、以下の記事にも記載したことがある。)


自分は逃げたのだ。
他の皆は耐えられていることが、自分にはできなかった。
弱くてダメな人間だ。
努力し切れなかった。
もうバレエの友達にも合わせる顔が無い。
逃げた奴というレッテルを貼られるのが怖い。

もうバレエをやりたくない。


母は「別の教室で習うのも手だよ」と言ってくれたが、「バレエ」というワードに触れるのも嫌になっていた。それに、自分が居た教室がレベルの高い指導と作品創りをしてくれるバレエ教室だという認識があったので、他のところに行っても上手くなれるわけがないし、ここで続けられなかった自分は上には行けないし、努力できる才能が無いならやる意味が無い、と思ってしまった。
一時はあんなに好きになって、頑張りたい!と思ったバレエをもう一度やりたいとは思えなかった。変なプライドだけは一丁前にあって、ただ純粋に「踊ることが楽しいからバレエを続けたい」という気持ちは無かった。

バレエを辞めた後、ストレスや今までの節制の反動なのか、親の目を盗んで物を食べるようになっていた。そのことを母は気に病んでいた。



それでも幼い頃からやってきた為、バレエ音楽にだけは親しみがあり、大好きだった。
辞めた後もなぜかその教室の発表会は観に行ったりしていた。(先生には会いたくなかったけど。)

寧ろその発表会くらいしかバレエに触れる機会はなかったけれど、辞めてから13年経ってバレエ鑑賞にハマったのだから、人生とは何があるかわからない。しかも鑑賞きっかけで自分もやっぱり踊ってみたいと思って、超入門クラスなどを受けたりもした。当時と違ってロジカルにバレエを考えられるようにもなっていたので、基礎の基礎を練習するのは面白かった。(今現在はバレエのレッスンに行っていないのだが…。)

辞めた当時はダンサーとして頑張り切れなかったのだからと挫折感でいっぱいだったが、バレエを習っていなかったらバレエを観て感動できる心も持ち合わせていなかったかもしれない。バレエを習わせてくれた両親には感謝しかない。

それでも悲しいことに、あの幼い時の経験は弊害として今も残ってしまっているように思う。先生が100悪かったかは、曖昧な記憶に頼るしかないからわからない。先生もストレスが沢山あったのかもしれない。私が単純に下手で努力不足だったのだと思う。
しかし、「痩せなきゃ」という恐怖心や、先生の顔色を窺ってきたこと、精神的苦痛は、今もしこりとして残っている。

当時のことから目を背けず、真正面から受け止められるようになったから今こうして書けている。バレエを観ることが好きだと言える日々が今ある。そこには10年以上の年月が要った。また今は、あの頃の自分を成仏させてあげたい気持ちで生きているとも言える。
そして受け止められるようになっても変えられないこともある。過食の癖はあの時についたものだと思う。実際に病院で診てもらったことは無いから、正確に診断をされたわけではないが、恐らく、非嘔吐過食が定期的にある。自制できない弱さに、何度も嫌気が差してきた。
原因はバレエ一つではなく、自分自身や家庭や学校での状況、いろんなことが複雑に絡み合って形成されたと思っている。

だからバレエや他の何かを限定して悪いと言いたいわけではなく、指導の方法一つで人の生きやすさ・生き辛さを左右する可能性があるということに、大人になった私自身も自覚的になっていたいと思う。

某バレリーナ芸人さんが、面白おかしくバレエの先生あるあるを作っていらして、誇張表現とは言え「わかるわー」と思って思わず笑ってしまうことがほとんどなのだけど、それでも冷静に考えるとその状況があるあるなのであれば笑えないよなぁという気持ちもある。実は風刺をしてくれているのだとしたら、唸ります。

記事にあった生徒さんが、精神的にも身体的にも少しでも回復されて、穏やかな毎日が送れることを願います。




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