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私たちはなぜヨンシクに惹かれるのかー「椿の花咲く頃」の魅力


※このnoteはドラマ「椿の花咲く頃」の内容のネタバレを含みます。ドラマ未視聴の方にはおすすめしません。

0.ヨンシクの魅力について語る時がきた

 Netflixで「椿の花咲く頃」という素晴らしいドラマに出会った。ドラマ全体の感想については、ネタバレなしで前回のnoteに(比較的)短くまとめているので、もしよければそちらからどうぞ。
 ドラマを見終わって、おそらく多くの人がこう思ったはず。「あんなに序盤はダサかったのに、私いまヨンシクとめちゃくちゃ結婚したくなってない…?」

 そう。主人公ドンベクに思いを寄せる田舎の青年ファン・ヨンシクが、なぜだか見る人の心を掴んで離さない。今こそ私たちは、ヨンシクの魅力を徹底的に語るべきではないか。このnoteではヨンシクがいかにドンベクと私たちの心をかっさらって行ってしまったのか、私なりの解釈を述べてみたい。
 ただし、ここでは涙を飲んで俳優の魅力は傍に置こう。ヨンシクを演じるカン・ハヌルが可愛いとか歯並びが良すぎるとかおでこが見えるとイケメンだとかダサく見せておいていきなりセクシーだとかドンベクを引き寄せる時の上腕二頭筋がタマラナイとか、これらはもう間違いなく1200%真実ではあるが、ここはぐっと堪えてカン・ハヌルの魅力語りはすまい(キリがないので)。俳優カン・ハヌルとドラマ制作陣が作り上げたファン・ヨンシクというキャラクターが、日本と韓国という背景や言葉の壁があってもなお、なぜ私たち(日本人視聴者)の心に直接響くのかを考えてみたい。

1.はじめにー物語の背景にあるもの

 私は韓国ドラマや韓国文化をずっと追ってきたわけではなく、ステイホームで初めて韓国ドラマに出会った「にわか韓ドラファン」なので、韓国社会の背景とドラマの繋がりを十分に考察できていない。しかし、にわかながらここ数ヶ月で勉強した韓国の社会背景を書き記すことは、ドラマを理解する補助線になるかもしれない。

 特筆すべき背景として、2016年のソウル江南駅での殺人事件をあげることができるだろう。女子トイレに潜んでいた男性が「女性に無視された経験があり、女性が憎かった」という理由で無作為に選んだ女性を殺害した事件だ。この事件は女性を狙った無差別殺人として社会を震撼させると同時に、「女性だというだけでなぜ殺されないといけないのか」と、女性嫌悪(ミソジニー)に抗う全国的なフェミニズム運動の契機となった(※1)。映画化された『82年生まれ、キム・ジヨン』(2018年)など、性差別を題材とする文学作品も話題となり、Twitter上の#MeeToo運動やフラワーデモなど、国際的な性差別反対運動との相乗効果もあり、韓国では女性たちの連帯が盛り上がっていた(※2)。私の実感としても、日本より韓国の方が#MeToo運動が大きなムーブメントになっていた。韓国でドラマを見ていた人たちにとって、ジョーカーによる連続殺人は多少なりともこの殺人事件を想起させるものだったのでは、と想像する。

 ドラマの中で、シングルマザーであるドンベクが女性であることによって軽んじられたり、未婚の母だと後ろ指をさされたりする描写に、私たちは自分の心がすり減っていくのを感じる。しかしこのドラマは、「女」が真正面から「男」に立ち向かい、悪者をやっつけて大団円、という話ではない。性差別の問題は、男と女の二項対立に落とし込めるほど単純ではないのだ。「椿の花咲く頃」は性差別だけではなく、親子関係、自尊心、嫉妬と劣等感、虚栄を張ってしまうこと、地域社会で暮らすことなど、複雑で一筋縄ではいかない問題を「複雑で一筋縄ではいかない」ままに取り上げている。

 ドンベクとヨンシクの関係も行きつ戻りつ、問題が一気に解決したりもしない。しかしゆっくりと確実に、まるで螺旋階段を上るようにドンベクは変化し、前に進んでいく。そのドンベクの変化の鍵となるのが、「純朴セクシー」(と呼ばれているらしい)ファン・ヨンシクなのだ(※3)。

2.女性らしさではなく強さを肯定する

 港町オンサンの巡査ヨンシクは、いわゆる既存のヒーロー像の対極にいる。物語序盤のヨンシクは、とにかくダサい。まず見た目がダサい。改めて1話を見直してみると愕然とするが、もともとはあんなにカッコいいカン・ハヌルがとことんダサい。実家の食堂で昼食後に爪楊枝をくわえる姿はまるで両津勘吉。襟元と裾がよれよれの私服を着ていると、さらに冴えない見た目である。シャツをズボンに入れればもう少し足の長さが分かるのに…。ヨンシクの母ドクスンと一緒に、何度シャツの裾を入れてあげたくなったことか。
 ちなみにこのヨンシクのダサさは、俳優の徹底した役作りの賜物である。もともと「カッコいいふりをする自分に耐えられない」というカン・ハヌル(注:イケメン)は、監督がヨンシクをカッコ良く描こうとする一方で、自分はあえてヨンシクをダサく演じようと決めていた。ヨンシクがドローンを持って登場するめちゃくちゃかっこいいシチュエーションでは、自らジャージにサングラスという絶妙にイケてない衣装を身にまとったりしたという(※4)。いやあ、写真だとどうしてもカッコよくなってしまいますが…

 このドラマの前半は、オンサンの人々や男性陣からドンベクに対する偏見、蔑視、差別の視線、あらゆるレベルでのセクシズム(性差別)がふんだんに描かれる。未婚の母であること、水商売をしていること、女性であることで、ドンベクが罪悪感を持たされる描写がちくちくと見る人の心を刺激する。
 特に序盤のポイントになっていたのは、ピーナッツをサービスしろ、とドンベクに執拗に迫るカメリアの大家ノ・ギュテ。ギュテは自尊心が低く、期待したように相手が動かないと「なぜ自分を特別扱いしないんだ」と傷ついてしまう。正直、最初に見た時、私は「もうピーナッツぐらいサービスしてあげればいいのに」と思ってしまった。うるさいおじさんは、適当にあしらっておけば平和なのに、と。これは私が女性であり、日常的にノ・ギュテのようなおじさんのハラスメントに接しているからだろう。「ギュテにも事情があって可哀想だし」とも思っている。ギュテの自尊心の回復のために、ドンベクが我慢をしてあげる理由はどこにもないはずなのに。

 別に笑いたくもないのに笑顔を浮かべ、おじさんの喜ぶことをしておけば平和が保たれる。そうして私たちは毎日少しずつ我慢を重ね、相手の満足のために自分の自尊心を犠牲にしている。しかしドンベクはこのおじさんに声を上げる

「巻貝や豚肉の甘辛炒めやサザエの代金の中に、私の手首や笑顔の代金は含まれていません。ここは飲食店です。」(1話より)

 酔ってドンベクの腕を掴んだギュテにドンベクが放った一言に、ヨンシクは胸を打たれる(ヨンシクは胸を打たれた時に本当に胸を打たれたポーズをとる)。ヨンシクがドンベクに惹かれたきっかけは、書店での一目ぼれかもしれないが、ヨンシクがドンベクを好きになった理由は「美しさ」や「しおらしさ」ではなく、「声を上げる強さ」であった。ヨンシクはドンベクにこう伝える。

「この町の人は分かってない、あなたのすごさを。
 ドンベクさんは本当はとんだつわものです。
 誰かに守られるような人ではない。」(2話より)

 町の中でのドンベクのイメージは、あくまで「美人なカメリアの店主」「気の毒な未婚の母」だった。ドンベクは「気の毒な女性」と扱われることに慣れていたはずだ。しかしヨンシクだけは、物語の序盤からこの「あなたは誰かに守られるような人ではない」という見方を徹頭徹尾、曲げないのである。彼は最初からドンベクの「強さ」を肯定していたし、最後まで彼女を「守る」存在としては描かれない。ただ、ヨンシクのその一途なメッセージがドンベクを支えるのである。

3.カン・ジョンニョルとファン・ヨンシク

 ヨンシクのキャラクターは、ドンベクの息子ピルグの父であるカン・ジョンニョルとの対比によって効果的に描かれている。ダサくてやかましいヨンシクに比べて、プロ野球のスター選手カン・ジョンニョルはスタイリッシュで子煩悩、マッチョな家父長制の男らしい父親像。
 ジョンニョルは自分の息子ピルグの存在と、ドンベクが未婚の母としてスナックを経営していることを知って心を痛める。ジョンニョルはドンベクに「お前につらい思いをさせたくない」「こんな生活をさせたくない」と言い、つらい人生を送るかわいそうな彼女を「保護」しようとするのだ。守りたい、大事にしたい、というのはきっと彼なりの誠実な気持ちだが、その気持ちに支配欲が含まれることにジョンニョル本人は気付かない。ジョンニョルはドンベクと恋人同士でいた頃も、彼女を支配していたことに気付いていない。
 ミラノに留学したいと言う現妻ジェシカに「母性はないのか?」と怒り、ヨンシクと二人で現れたドンベクに「子どもがいるのに恋愛か?」と嫌味を言う。自分の男らしさに自負があるジョンニョルは、(無意識に)母性を盾にして母親を責める。「子どものために」というマジックワードは無条件に母親の重圧になるが、彼はその言葉を振りかざし、子ども本人の目線にも立とうとしない(ピルグにたくあんの弁当を持たせた罪は重いぞ)。

 ジョンニョルから「こんなつらい人生を送ってほしくない」と言われたドンベクは、これまで一人でピルグを育ててきた8年間を否定され、みじめで泣きたくなってしまう。この時、ヨンシクがドンベクにかける言葉は、彼女自身と彼女の歴史を肯定する言葉である。

「あなたは弱くない
 身寄りのない未婚の母が、
 ピルグを立派に育てながら店を切り盛りしてる
 責任感もあるし道徳的に生きている
 そのうえ誰よりも真面目で一生懸命だ
 それって、称賛に値することですよ
 普通だったらとっくに挫折してます
 だから忘れないで
 あなたは誰よりも強くてすばらしい人です
 誰よりも立派です」(4話より)

ヨンシクは目に涙を浮かべて、ドンベクの属性である「女性」や「母親」という要素ではなく、彼女そのものを尊重し、肯定する。ドンベクの強さやドンベクが築いてきた歴史は、ドンベクしか持っていないものだ。「私が本当にあなたを好きになったらどうしてくれるの」と号泣するドンベクを見て、私たちはまるで自分の存在を肯定してもらったように胸が熱くなる。

4.「毎日」繰り返されるメッセージ

 ヨンシクがドンベクに向けて発するメッセージの中で私が最も重要だと思うのは、「毎日」である。

「あなたが忘れないように毎日でも話してあげます、あなたのすばらしさを。だから僕の気持ちを受け入れてください」
「誕生日がわからないなら毎日祝えばいい。僕が毎日あなたを祝福します。あなたの34年の人生は文句なしに立派です。」

 ヨンシクは「あなたが忘れないように、毎日あなたの素晴らしさを話してあげる」と言う。私はこの言葉を聞くと涙が出てくる。

 あなたが好きだ、あなたは僕の誇りだ、あなたは素晴らしい。それは僕には当たり前のことだけど、あなたは一生懸命毎日を生きていると自信をなくして忘れてしまうかもしれない。だから毎日繰り返し言います、あなたは素晴らしい。そんな、大胆なようでとても繊細なヨンシクのメッセージ。ヨンシクという人は、声が大きくて鈍そうだし、自己肯定感がやたらと高くて人の心の機微なんて分からないように見えるけれど、実はすべてお見通しなのではないか。ドンベクの、強さと紙一重の自信のなさも、わざとヨンシクを遠ざけようとする臆病なところも。

 施設に入所した日、つまり母親に捨てられた日がドンベクにとっては登録上の誕生日である。ドンベクはこの日を呪いながら生きてきた。そんな彼女の誕生日に、ヨンシクは花をいっぱいに飾って「僕が毎日あなたを祝福します」とメッセージを伝える。誕生日を祝うことは、その人の存在を肯定すること。ヨンシクは「生まれてきてくれてありがとう」という言葉がドンベクに一番必要であることを知っているのだ。本能的に、感覚的に、彼女に必要なものがわかるのかもしれない。

 ドンベクはヨンシクの言葉に時に涙し、時に胸を打たれるが、ヨンシクの言葉を信じていきなり自信満々になるわけではない。ドンベクは何度もヨンシクを突き放すが、ヨンシクは諦めずにまた告白する。
 子どもの時に心に傷を負った人は、簡単に人を信じることはできない。好きだと思っても嫌いだと言ったり、自分が傷つく前に離れて行こうとしたり、人の好意を勘ぐって素直に受け取れなかったりする。ドンベクは子どもの頃から何度も人に裏切られてきたので、「どうせいなくなるくせに」「あなたにとって私は気の毒な女でしょう」「もう少しで地雷を踏むところだったと思っているくせに」と、ヨンシクを徹底的に疑ってかかる。
 私たちはたいてい、傷ついている人にどう接するか迷う経験をしたことがある。「どうせいなくなるくせに」と言われた時に、どう答えたら良いのか分からない。何と声をかけてあげたらいいのかと、はたと立ち止まってしまったり、突き放されると腹を立てたり、相手のせいにしたりしてしまう。
 ところがヨンシクは、相手の顔色をうかがうのではなく、「半径400ⅿ以内にこのファン・ヨンシクがいますからね」と、相手を萎縮させずに懐に飛び込んでしまう。ヨンシクの屈託のなさは羨ましくなるほどである。


 この背景には、ヨンシクの母ドクスンがひとり親としてヨンシクを守ってきた軌跡がある。ドクスンはヨンシクが問題を起こすと先回りして、本人も知らないところで彼が傷つかないように守ってきた。ドンベクが常に気をつけている「ピルグを陰のない子に育てたい」を、まさしく実践してきたのがドクスンなのである。母子家庭でありながら、母親からの惜しみない愛情を受けたヨンシクは、人の痛みを想像できる「陰のない子」に育った。
 ピルグと同じように母子家庭に育ったヨンシクにとって、ピルグは昔の自分のように思えるだろう。母親が悪く言われることを嫌うピルグの気持ち、父親をどこか恋しく思うピルグの気持ち、母親につきまとう男がいるのが嫌な気持ち…そういった気持ちが分かるからこそ、ヨンシクは諦めないで待つことができるのだろう。そしてヨンシクは、ドンベクを肯定することが彼女自身のためだけでなく、ピルグを肯定することになるというのも知っているのである

5.私たちはなぜヨンシクに惹かれるのか

 ドラマを最後まで見てみると、このnoteのタイトルにもなっている問いは全く愚問に思える。なぜ惹かれるのかって、ヨンシクに惹かれない人なんています?みんな大好きでしょう、ヨンシク。しかも終盤に入ってくるとヨンシクはずっとカッコいいので、1話や2話でカッコよく見えなかったのが手品のように思えてくる。
 確かにみんな大好きヨンシクであるが、一番大事なポイントは、彼がいわゆる「スーパーヒーロー」ではないところなのだ。ドラマの中では幾度となく、オンサンの人々が「ドンベクは変わった」「強くなった」と口にする。「恋をしたからか?」「ヨンシクのおかげでドンベクは変わったのか?」とも。しかしドラマを終盤まで見ていると、「ヨンシクのおかげでドンベクは変わった」わけではないことが分かってくる。

 ドンベクは、ヨンシクが最初から言っていた通りもともと強い人だったのだ。彼女を弱く見せていたのは、「水商売」「未婚の母」「孤児」「低所得者」「不運な女性」など、彼女の状態を示す言葉とそれに付随する偏見である。この「状態を示す言葉」は怖いもので、「母子家庭」「外国人」「女性」「障害者」「引きこもり」など、色々なカテゴリーと偏見を作り出し、私たちに烙印(スティグマ)を植え付ける。この烙印に縛られると私たちは、自分があたかも弱い人間なんじゃないか、何もできないんじゃないか、価値がないんじゃないかと思ってしまう。でもそれは所詮「状態を示す言葉」でしかなくて、私たちの本質を示すものではない。たまたま、今「引きこもり」の状態にあるからといって、それは私たち自身を表す言葉ではないのだ。
 ドンベクは、「気の毒な女性」「不運な女性」という烙印を無視して自分と向き合うヨンシクがいることで、本来の自分を少しずつ取り戻す。これは、彼女の本来の強さである。ヨンシクという足場を得たドンベクは、町の人たちとの関係性の中でさらに強くなっていくのだ。

 ヨンシクみたいな人が私にもいてくれたら、と思う人もいるかもしれない(私も思う。ヨンシクが家にいたら…すごくいい…)でももしかすると、振る舞い次第であなたが誰かのヨンシクになれるかもしれない。それってすごく素敵なことじゃないだろうか。

<注>

ドラマの写真は、Daumのプレミアムギャラリーからお借りしました。

※1 イ・ミンギョン著(2018)『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』タバブックスなど参照
※2 このあたりについて詳しくこのnoteで言及するスペースがないが、韓国のフェミニズム文化の盛り上がりについては斎藤真理子責任編集(2019)『完全版 韓国・フェミニズム・日本』河出書房新社などが参考になった。※3 「純朴セクシー」「チョンムファタール(田舎臭いが魅力的な男)」など、カン・ハヌル演じるヨンシクについては韓国で様々なキャッチフレーズが生まれたという。Misaさんの記事 「椿の花咲く頃」韓国ドラマ史に残る名作!:韓国視聴者反響・ヒットの理由は?/放送終了後感想① より
※4 『もっと知りたい韓国TVドラマ Vol.101』(2021年)メディアボーイ カン・ハヌルインタビューより

<参考文献・関連文献>

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