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回復の物語としての「椿の花咲く頃」

2020年の百想芸術大賞(韓国のゴールデングローブ賞とも呼ばれる、大衆芸術すべてを対象とした大きな賞)でTVドラマ大賞や最優秀男優演技賞(カン・ハヌル)など多くの賞を受賞をした『椿の花咲く頃』。Netflixで今更(2021年2月)ながら最終回まで見て呆然とした。人間の弱さと愛おしさを、同時にこんなに美しく描くことができるのか…と。

時間が経つとドラマに対する感想が変わるような気がして、今の自分の記録のためにも文章に残そうと考えた。このドラマは、一言で表現しようと思うと難しいので「田舎町に住むシングルマザーの物語」、と説明してしまいたくなるのだが、未婚の母だとかシングルマザーというキーワードだけで矮小化して語ることができない人間の「回復の物語」である。

※このnoteはあくまでもいち視聴者の感想です。ネタバレは極力避けていますが、ドラマの内容を含むので未見の方はご注意ください。

弱くてずるくて共感できない登場人物

舞台はソウルから遠く離れた田舎の港町・オンサン。主役のシングルマザー・ドンベクはここでスナックを経営する。物語の序盤では、主役のドンベクもオンサンの町の人たちも、出てくる人たちみんな、どこか弱かったりずるかったり素直になれなかったり、人の悪口を言ってしまったり…あまり魅力的に見えないのである。ドラマ序盤で「あれ?」と思う視聴者は多いのではないか。登場人物の「嫌な部分」が気になる。
その嫌な部分は人間誰しも自分の中に持っているもので、見ていると居心地が悪くなってくる。自分の悪いところを見せつけられているような、同族嫌悪に近いものではないかと思う。オンサンという田舎町のアジュンマ(おばさん)たちの噂話や意地悪、どこにいても見張られているような閉塞感など、田舎の閉鎖性に辟易させられる描写もある。

最初の5話くらいまで、こうした同族嫌悪に始まり、主人公ドンベクの煮え切らない態度などを見ていてイライラを覚えるかもしれない。登場人物に共感できない…と思うかもしれない。ところが、ドラマ全体の作り方がうまい。たとえ登場人物にあまり魅力を感じられなくても、第1回から散りばめられるサスペンス要素が気になって、視聴者は続きを見ざるを得なくなっていく。

そしてもっとすごいのが、最後まで見ると、この序盤の登場人物の描写が壮大な「前フリ」だったことに気づくところだ。登場人物の嫌なところ、好きになれないキャラクターの行動や反応は、いつの間にかそのキャラクターの魅力になる。視聴者は後になって「あの人は素直になれていないだけだったのか…?」と思わされることになる。「共感できない…」と思っていた登場人物に、いつの間にか「その気持ちよくわかるよ…」と共感するようになっている。なぜそうなるのかは、是非実際に見て味わってほしい。

そんな登場人物の中で、最も「成長する」キャラクターとして描かれるのがシングルマザーのドンベク。もともとドンベクは生い立ちや自分の境遇を悲観し、自信が無く、アジュンマたちのボスである振興会会長の「親友」として彼女に庇護されている。視聴者は後半になるにつれ、ドンベクが自信を取り戻し、開き直り、会長の庇護がなくても立っていられるようになるのを見て、彼女を応援しながら元気をもらっている自分に気づく。

新たな時代のヒーロー(?)像、ヨンシク

そんなドンベクに恋をするのが、カン・ハヌル扮する町の巡査ファン・ヨンシクだ。徹底して従来のヒーロー像を打ち壊す、このヨンシクのキャラクターが見ていて実に心地よい。しかし彼もやはり、序盤では魅力的に見えないのだ。方言全開・声が大きく、ゲップもするし全くカッコよく描かれない。俳優カン・ハヌルは本当は身長181cmで足が長いイケメンなのに、よれよれシャツで足の長さを隠し、田舎の巡査の絶妙なダサさとスタイルの悪さをばっちり表現している。

このドラマでは、ドンベクの息子ピルグの父親であるカン・ジョンニョルとヨンシクの対比が徹底して描かれる。カン・ジョンニョルはお金持ちで、仕事も成功していて、社会の中の「男性的な」魅力を全て持っている。ドンベクはいわゆる「か弱い女性」として生きていけば、不運な目には遭わず、カン・ジョンニョルに養われて暮らしていけたはずなのだ。

ジョンニョルはドンベクを想い「苦労してほしくない」と心配する。子どもを大切に思う父親としての一面も描かれる。かっこいいだけでなく優しい、助けを求めたら保護してくれる「従来の理想の男性像」、朝ドラなら相手役にぴったりである。そしてこれも朝ドラの相手役にありがちだが、彼は「良い母親」を求めている。ジョンニョルが、娘の世話をしない現妻パク・サンミに対して「母親らしくしろ」と言うシーンがある。ドラマの流れ上、視聴者はこのセリフを聞いて「全くその通り」とついつい頷いてしまうのだが、これは無自覚で緩やかなセクシズム(性差別)と言える。

これに対してファン・ヨンシクはというと、ドンベクとピルグそれぞれに想いを馳せ、「ドンベクさんは僕が守りますよ」と言う。しかし「養ってやろう」という態度は絶対に見せない。ドンベクが自分の店を大切に思っていることをよく理解し、彼女の意思を何より尊重しようとする。ドンベクに「良い母親であれ」なんて絶対に言わない。ドンベクを支配しようとしないのだ。このヨンシクの徹底的な「ドンベクし中心主義」に、私たち視聴者はただならぬ愛を感じて涙が出てくる。

ヨンシクがドンベクに言うセリフはいつも胸に響くのだが、特に印象的だったものがある。自分に自信が持てなくて、ヨンシクを試すように「じゃあ他の女にすれば」と言ってしまったドンベクに対して、ヨンシクは
「僕の方がドンベクさんを好きだからってそんなに威張らないで。別れ話を武器にしないで。」と応答する。

きっと誰もが、相手からの愛が本当に自分に向いているか不安に思って試すような言動を取ってしまう、という経験があるだろう。ドンベクは、自分の自信のなさは幼少期からの愛情不足であることを自覚しているし、嫌われるかもしれないと思いながらヨンシクを試してしまう。試されていると分かったとき、人は大抵落胆して、コミュニケーションを諦めたり、突き放したりしてしまうのではないだろうか。「そっちがそういう態度ならもういい」と。ところがヨンシクの回答は、愛され慣れていないドンベクの不安を払拭する、最も素直で誠実な答えだった。「あなたを好きだ。だからといって僕が尊重されなくていいわけではない。尊重してほしい。」という、一番単純で、一番伝えるのが難しい気持ちを、こんなに素直に誠実に言葉にすることができる人はどれだけいるだろう。

ヨンシクは、ドンベクを「傷ついた不幸な女性」として扱うのではなく、徹底して「自分の愛する人」として扱っている。彼がそばにいることで、ドンベクは「力を与えられ」て回復するのではない。自分が愛される場所を得て、そこで安心して「力を取り戻し」て回復することができるのだ

8歳の人生

私がこのドラマがすごいと思う一番の理由は、ドンベクの子どもであるピルグ(8歳)の目線の「人生」をきちんと描き切っているところだ。子どもは大人が思っているほど単純ではない。母子家庭の子どもの気持ちを連続ドラマの中で表現するのはすごく勇気のいることだったのではないか。しかし『椿の花咲く頃』は最初からピルグの微妙な心境をきちんと表現しつつ、終盤に「8歳の人生」というエピソードを入れて、子どもから見る母親の恋愛というテーマに立ち向かった。

8歳の子どもは鋭い。母親のちょっとした言動や町の人の態度を見て、うちにはお金があまりないこと、シングルマザーでお店をやっているからと母をいじめる人がいること、自分だけが母の味方だということを感じ取っている。そして、決して素直に自分の気持ちを大人に伝えたりしない。泣いて喚いて自分の気持ちと真逆のことを言ったりする。言葉にできないからこそ、子どもの意思や気持ちは尊重され、優先されなければならないのである。

表面上の言葉だけで子どもの気持ちを推し量ろうとする大人を描き、決して大人の都合の良いようにピルグの気持ちをねじ曲げたりしなかったこのドラマの脚本に、お礼を言いたくなってしまう。父親のいない少年が初めて「高い高い」をしてもらって思わず笑顔になってしまう気持ち、母親は自分より彼氏を優先させているんじゃないかと膨らんでいく不安、決して一枚岩ではない8歳の心象風景を、気づいてくれない周りの大人も含めて見事に描いてくれた。本当にありがとうございます。

ドンベクの「回復」があなたの奇跡に

子どもの物語、母親たちの物語、町の物語を通して、ドンベクの回復の過程がつぶさに描かれる。それを目の当たりにして、視聴者は気づく。「ドンベクが力を取り戻すことで私たちは元気になっている」と。

そう、誰かが回復して人生を取り戻していくのを見ることは「気持ちがいい」ことなのだ。誰かの幸せは嫉妬や羨望の的になることもあるが、ドンベクの物語を目の当たりにした私たちは、嫉妬や羨望ではなく「幸せ」を共有した。そして、「成長」するのはドンベクだけではない。このドラマが伝えるのは、全ての人が自分の人生の主人公だというメッセージである。自尊心のなさから権力をかさに着てセクハラ・パワハラをしてしまうおじさんだって、年収12億ウォンのくせに家族と仕事のプレッシャーに押しつぶされそうな野球選手だって、もちろん8歳の子どもだって、誰にだって自分の言葉を聞いてもらう権利がある。蔑ろにされて、消費されるいわれはない。

私たちはみんな自分の人生を、それぞれに影響し合って生きている。ドンベクを応援するように、私たちが身近な人を応援して回復の連鎖をつなげていくことができるとしたら…それこそが、このドラマのテーマである「奇跡」といえるのではないだろうか。

※ヨンシクの魅力を語るnote第2弾はこちら



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