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チェンバロ奏者の日記です。音楽のこと、美味しいもののこと、素敵な人のこと。日々のぶつぶつを書こうかな?
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2024年8月の記事一覧

博多のお菓子

博多のお菓子

ちょっと前のことですが、頂いたお菓子の事を書き忘れていました。

博多駅のDOCOREで博多の「美味しい」を選んでくれたんですね。

知らない場所の知らない味を知る事はとてもたのしいです。
東京の博多アンテナショップを探してみます。

⚫︎ 大人の抹茶の実 筑後国奥八女 茶の葉堂 原野製茶本舗
⚫︎ ちょこっとようかん 田中羊羹本舗
⚫︎ 筑後博多「黒豆茶」 クレッシェ

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山田耕筰 序曲ニ長調

山田耕筰 序曲ニ長調

山田耕筰は、管弦楽曲、合唱曲、声楽、器楽曲、そして小中高大の校歌や自治体歌、軍歌などなど多岐にわたるしか夥しい数の作品群を作曲した希有な作曲家である。今なお愛されているのは数多くの歌曲であろう。学校教育の中でも取り入れられているし、多くの人に知られている。

 最初の管弦楽曲「序曲ニ長調」(1915年5月23日日本で作曲者の指揮で初演された)を1912年2月から3月22日にかけて作曲した。これは日

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装飾音、これは習慣なのか?

装飾音、これは習慣なのか?

バロック時代のフランスのチェンバロ奏者の作品集。
全4巻出版されましたが、現在はそのうち2巻のみ現存。
出版年不明。1900年代か?
編集者には
Louis Diemer, Paul Dukas, Camille Saint-Saensらが携わっています。

この楽譜についてはまだ調査中です。
分からないことが多すぎます。

まず、Louis Diemer編纂の第2巻をご紹介します。
各20曲収蔵

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エタ・ハーリッヒ=シュナイダー

エタ・ハーリッヒ=シュナイダー

毎年、終戦記念日のこの日、思い返すのが、エタ・ハーリッヒ=シュナイダー女史のことです。戦中戦後に日本に滞在中だった音楽家です。ドイツのチェンバロ奏者です。
私の恩師 山田貢先生はウィーンで一時エタ・ハーリッヒ=シュナイダーに師事しています。先生はその後イゾルデ・アールグリムに師事しました。

私は2018年にエタ・ハーリッヒ=シュナイダーの研究をしていた新潟大学の研究者と一緒に勉強会をしていました

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The Bell Telephone Hour

The Bell Telephone Hour

カサドッシュと古楽器協会について調べようとしてて、大脱線しています。
懐かしいビデオがたくさんありました。
むちゃくちゃ懐かしいのです。

ベル・テレフォン・アワー(The Bell Telephone Hour)は、1940年4月29日から1958年6月30日までNBCラジオネットワークで放送されたコンサートシリーズである。名前が示すようにベル電話会社がスポンサーとなり、クラシック音楽とブロード

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2つの古楽器協会

2つの古楽器協会

Société des Instruments Anciens

Louis Diemerが古楽器協会を設立したのが、1895年。

Louis Diemerは1889 年の万国博覧会でチェンバロを演奏するなど、当時ほとんど知られていなかったチェンバロのレパートリーの再発見に参加しました。1887 年に音楽院の教授となり、1882年にトマシー二によって修復されたタスカンのオリジナル楽器を演奏する上

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Louis Diemer plays・・・・・・・

Louis Diemer plays・・・・・・・

Louis Diemerについては今までに何度も取り上げてきました。
チェンバロの復興に大変重要な人物です。
また、蓄音機で録音を行なった最初のピアニストと言われています。

つづく。

映画の話 2

映画の話 2

2013年のスタジオコンサートでプロジェクターを使って演奏しました。
Jean Absilの易しいピアノ曲集を順番も変えず、そのまま弾いてピッタリ終わる。
映像に合わせてみました。

A Tript the Moon
Le Voyage dans la Lune 1902

Jean Absil
Du rythme a l'expression より

モダンチェンバロで音楽をつけ

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映画の話 1

映画の話 1

10年ほど前から1900年頃の音楽や娯楽のことを調べています。私が長年弾いてきたモダンチェンバロがいつ出来たのか、その頃の人々はどんな音楽を聴き、どんな娯楽を楽しんでいたのか、ついでにどんなものを食べていたのかも興味があります。

1900年頃の街の様子を見て、音楽をつけてみようと思い、10年ほど前にyoutubeにあげてみました。
もちろん、全然関係ない音楽なのですが、ピッタリな気がします。無理

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ペネロープ   ガブリエル・フォーレ

ペネロープ ガブリエル・フォーレ

サン=サーンスに献呈されたオペラです。
ガブリエル・フォーレはサン=サーンスの愛弟子です。
サン=サーンスが唯一教師として約5年間務めたのがニデルメイエール音楽学校だった。
ここでフォーレは1854年から11年の間音楽教育を受ける。(サン=サーンスは1861年からでそれまではニデルメイエール)
サン=サーンスは1861年(ニデルメイエール死後)ピアノ科の教授となる。フォーレとはそこで知り合っている

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ジョルジュ・ド・ローネ  ピアニスト

ジョルジュ・ド・ローネ ピアニスト

まず、ここ数日の流れから。
ロン・ティボー国際コンクールは、1943年に創設されました。
ヴァイオリン奏者のジャック・ティボーとピアニストのマルグリット・ロンが共同でロン=ティボー財団を創設しました。
今日はジャック・ティボーと演奏しているピアニストを調べました。
1930年の録音が見つかりました。

たまたまサン=サーンスを調べていて、マルグリット・ロンとジャック・ティボーの演奏を見つけて興奮し

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死の舞踏 カミーユ・サン=サーンス

死の舞踏 カミーユ・サン=サーンス

1874年

フランスの詩人アンリ・カザリスの奇怪で幻想的な詩に霊感を得て、1872年にまずは歌曲として作曲され、1874年に管弦楽曲としてまとめられた。午前0時の時計の音とともに骸骨が現れて不気味に踊り始め、次第に激しさを増してゆくが、夜明けを告げる雄鶏の声が響きわたるや墓に逃げ帰り、辺りが再び静寂に包まれるまでを描写的に描いている。

初演は1875年1月24日
パリ シャトレ座
エドゥアー

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