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山田耕筰 序曲ニ長調


山田耕筰は、管弦楽曲、合唱曲、声楽、器楽曲、そして小中高大の校歌や自治体歌、軍歌などなど多岐にわたるしか夥しい数の作品群を作曲した希有な作曲家である。今なお愛されているのは数多くの歌曲であろう。学校教育の中でも取り入れられているし、多くの人に知られている。



 最初の管弦楽曲「序曲ニ長調」(1915年5月23日日本で作曲者の指揮で初演された)を1912年2月から3月22日にかけて作曲した。これは日本人が作曲し初の管弦楽曲でもあった。リヒャルト・シュトラウスに影響を受け、1912年卒業作品として日本人の手になる最初の交響曲となる「交響曲かちどき(勝鬨)と平和」を作曲(1914年日本で作曲者の指揮で初演)。これは彼の2曲目の管弦楽曲で、日本の音楽史における交響曲の事始めだった。


1924年

1925年



先日の「心の糧」の記事にある文化学院の創設者、西村伊作に関わりがあります。

1921年、文化学院(1921~)音楽科主任となる。

話は飛びますが、山田耕筰はベルリンで幸田延に教えを受けています。幸田延は幸田露伴の3歳年下の妹です。

わが国の最初の作曲家といわれる幸田 延(1870-1946)は、妹のヴァイオリニスト幸田 幸(1878-1963)とともに日本における本格的音楽家の草分けである。

幸田延


今日のところまとまりませんが、
私の一番知りたい時代です。
倉知緑郎先生にお会いしてとても大切な宿題を頂いています。
暫くこの時代もウロウロ致します。

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