かいみちる

かいみちる

最近の記事

丁寧に、ほうっておく

ちょっと疲れると、ふっと足をとられる。 いましがた、昔の癖が顔をだして あーなるほどと思った。 自分で捏造した架空の現実に きずついて囚われて被害者を選んできたんだ。 あの人は、こう思ってるに違いない。 きっと私のことを悪く言っているだろう。 そうに違いない。どうせ私は…って。 相手の嫌な表情まで、くっきり捏造して。 ただ傷つく。 ということを許せなかった。 だから、対になる理由を確定してしまわないと 終わらなかった。 理由を固定してしまえば、私は被害者として 傷ついた

    • この中にある

      まごころとか想いとかは、 伝わってしまうんだろうな。 そうじゃなきゃ説明のつかない感動を 受けとることがあるもんな。 そういうのを軽くみてちゃいかんよな。 同じように無関心や悪意も、筒抜け。 だからとにかく、自分を整えておく。 表面だけ取り繕っても、全部スケスケ。 他人の受け取りかたを責めたくなるときは そこから自分にググッと立ちかえる。 まけるな。 全部、この中にある。

      • 正見

        自分の依存的なあり方が見えた頃 それを認めきれず、人のせいにした頃 もう認めざるを得なくて、落ち込んだ頃 そのあり方を正そうと、もがいた頃 自立的なあり方に可能性を見た頃 可能性を積んで、確信に変わった頃 自立に囚われて、依存を嫌った頃 人に自立を求める、依存的な態度に気づいた頃 依存には、自立への欲求と恐怖が 自立には、依存への欲求と恐怖があるのかな 依存のない世界に、自立はない 自立のない世界に、依存はない 世界には、あってはならないものはない 世界には、なくて

        • 生活の質

          たいして、今までと変わらない 普通の休日だったんだけど、 ここ最近、休日の質が上がった気がしてる。 今日だって、早起きが出来たわけでもなく 何か楽しみな予定があったわけでもなく 普通に、いつものように、仕事をした。 休日でも、こまごまとした作業を片付けた頃には 14時をまわってる。 やろうと思えば、仕事はいくらでもある。 この終わりのなさが、休日の私に いつも微妙に寄りかかっていて どうもリフレッシュしきれなかった。 それを振り切ろうと、 無理矢理どこかへ出掛けてみたり、

        丁寧に、ほうっておく

          豊かさ

          現代の人間は、やりすぎなのかもなと思った。 「天狗の台所」みたいに、その季節に必要なことを 体を使って手を使って段取りをして あとは自然にやってもらう。 分けてもらいながら、力を借りながら生きる。 そうやって自然と共に過ぎてゆく生活は、 その営みすべてが豊かだろうと思う。 今の生活を放り投げて、 一気にそこにジャンプするのは難しいな。 でも、当然のように自然と連動してるこの私。 この豊かさを日々の生活の中で実感していける 在り方っていうものを、知識だけじゃなく 体ごとで

          今さら嫌えない

          ちょっと調子のったかな~?と思うときもある。 でも、まー良いんじゃない? そんなときもあるよ。お互い様じゃない? あなたが、ちっとやそっと調子にのってたって 私はまったく嫌いにはならない。 多分同じように、私にもそう思ってるだろう。 これが別に勘違いでも良いんだけど、 もう、家族みたいなもんだな~と思ってる。 そう思える人とじゃなきゃ、 そんなに一緒にいられるもんじゃない。 もう、頑張って好かれようなんてところは 通りすぎちゃって、今さら大嫌いになんか ならないし、大嫌

          今さら嫌えない

          凛とした落ち着き

          よくぞ、私はここにいるよと思う。 まぁよくぞ、この人達に会えたよと。 自分の人生に、真剣な人達。 マジでかっこいい。 果てしなく、中庸にいようとする人達。 常にどちらかに振れようとするのが人間。 どちらかに預けてしまえば、楽だから 偏ったままの自分を肯定して固定する。 そこから自分を見つめることをやめて、 外を向いて対立する意見がきたら ただ否定して攻撃する。 でもこの人達は、そんなカッコ悪い自分を ちゃんと意識して認めることをする。 そこを無視しない。 諦めたふりして

          凛とした落ち着き

          誰かのためは、少しのバランスで 誰かのせいになるから、 ためが出てきたら、少し気をつける。

          誰かのためは、少しのバランスで 誰かのせいになるから、 ためが出てきたら、少し気をつける。

          静寂

          決まらないときは、決めない。 決まらないまま、そのままでいる。 それでもう、きれいさっぱり!楽チン♪ それは横においといて、今日を楽しめば良い♪ な~んて、そう狙いどおりにはいかない(笑) すっきりしない不快感は、あるときにはある。 でも昔ほど、この感覚を有害には思わない。 いま、これがここにあるな~と思う。 説明のつかない痛みや不快感が、たしかにある。 で、不快なまんま、過ごしてみてる。 この感覚がここにあることで、 選ばれていくものがあって、 ここから、うまれるこ

          自信とは

          だいたいのことは、ちゃんと過ぎ去る。 私が、なにもしなくても 私が、あがきまくろうとも だから、飛び込めるときは飛び込んでみればいい。 手足を震わせながら、痛む胃をおさえながら。 なにも失敗のない大成功の結果だけが、 私に自信をくれるわけじゃないんだな。 色んな経験や感覚や感情が体を通る。 そのときの痛みも、なんとか受けてみよう。 そう決めて、そこに震えながら立ってみる。 そこまで、自分を連れていけた自分との間で 信頼がうまれるんだよな。 やって良かった。 そりゃ

          前例に学ぶな

          私の人生は私の人生らしく、 そんなふうにしすぎなんじゃないかな? 自分の人生の記憶から、前例から あまり大きく外れないように。 いつの間にか、そんな基準で何かを選択して 生きるようになってたな~と。 同じ轍を、二度と踏まないように ソロソロ歩くなんて、窮屈なんだよな。本当は。 それも怖さからくる、逃避行動なんだな。 自分の経験や記憶が足かせになる。 いいや、劣等感や後悔のせいにして しっかり向き合おうとしてないんだよ。 厳しいし、優しくないよな言葉だけど。 今の幸せ

          前例に学ぶな

          それでいいのよ。

          体力が無い。 だから何さ?なんの問題もないよ。 それがもたらすものがある。

          それでいいのよ。

          文章を公開する怖さ

          2020年7月から3年半ほど、 けっこうな数の記事を書いてきて noteに書いたものを、Facebookでシェアするということにもチャレンジした。 感じてることを書くのはとても楽しい。 内側を見つめて感覚を言葉におこしていくことで自分を知り、軸みたいなものがみえてきて 大切にしたいこと、受け入れられないことも 前よりはっきりした。 なのになぜか、長いこと苦しかったんだな。 と、今やっとわかった。 “こんな私”を公開することで、 離れてった人もいただろうし、 少なからず、心

          文章を公開する怖さ

          いつもここから

          もう、全部ここにあるよってことなんだ。 冷たさを感じるのは、 あたたかさを知っているから。 こわばりを感じるのは、 ふわっとゆるんだ体感を知っているから。 できれば感じたくないような体感、感情。 それを感じるのは、 安心の体感がすでにここにあるから。 どちらもあるね。全部、あるね。 そうかぁ~。 今ある体感や感情に蓋をしていては、 見えてこないんだね。 ここから始まる。 ここから始められる。 あって欲しいものがここにない!と 嘆くそのときに、ここにあるもの。 いつも、こ

          いつもここから

          がんばれ!

          今の私なら、やれるかなと。 また、書いてみようかなと思いまして。 私に出来ることはなんだろうと自分に問い。 私も、ちゃんと生きようと。 ちゃんと自分の今を受け入れて、 正直に、正気で、向き合って。 誰かのせいにしたり、諦めたふりして 中途半端で逃げるの、やめる。 なんの力にもなれなくても、 なにかを変えられなくても、 私は私をがんばる。 大切な人に、まっすぐに、 がんばれ!って言えるように。 ちゃんと私も、がんばる。

          白いまな板でキムチを切る

          汚さないように、壊さないように いつも微妙に力加減をして、ちょっと遠慮して。 なにやってんだか!と思って、 なぜかちょっと怒りながら 白いまな板でキムチをザックザク切った。 切ってるうちに、 朝からのイライラが解放されてくのがわかる。 フライパンも思いきりふって。 別にこぼれたって良いじゃないか! なんなんだか。 人生わかってます。こんなもんですよ。って 知ったような顔して、うまくやろうとして。 思いきり汚して好きにやって、 そのあと一生懸命片付ければ良いじゃないか! 何

          白いまな板でキムチを切る