見出し画像

丁寧に、ほうっておく

ちょっと疲れると、ふっと足をとられる。
いましがた、昔の癖が顔をだして
あーなるほどと思った。

自分で捏造した架空の現実に
きずついて囚われて被害者を選んできたんだ。

あの人は、こう思ってるに違いない。
きっと私のことを悪く言っているだろう。
そうに違いない。どうせ私は…って。
相手の嫌な表情まで、くっきり捏造して。

ただ傷つく。
ということを許せなかった。
だから、対になる理由を確定してしまわないと
終わらなかった。
理由を固定してしまえば、私は被害者として
傷ついたり責めたり出来るから。
これは、加害者バージョンも同じこと。
自分を加害者に固定することで、
傷ついたり、悔いたり出来る。

落ち着かなさに、耐えられなかったんだな。

今の私は、落ち着かなさに落ち着く
ということが出来るようになってきた。
ただ傷つく、ということを見ていられる。
“丁寧に ほうっておく”
ってことが出来るようになってきたんだと思う。

捏造した現実に落ち着く方が簡単だから
ついそっちに流れそうになる。

でも、この傷つきというアイデンティティーを
ありのままの形で見ててあげたいなと思う。
そしたらいつしか、ぽふっ…って
安心したように、ほどけていく。

そうしていくと、私の中のわだかまりも
一緒にほどけていく。

ほどき合いなんだろうなと思った。

傷つきや痛み、喜びとか全部。
私達と、感情感覚、起こってくる全てとの関係は
ほどけていくという流れの中で
協力関係にあるんだなと。
これを相互依存と呼ぶのかも。

適切な距離感を保ちながら、
出来事や感情と出合っていくには
けっこう力がいる。

胆力を養う。
一朝一夕に身に付くことではないから
日々日々…。

でも、この日々日々が、
なんかとっても豊かなんだよな。
易きに逃げてただけのときには
わからなかった豊かさが見えてくるんだよ。

ただ傷つくを見る、という豊かさ。

痛みは、わたし。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?