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どんなに決意したとしても、答えのない問いを続けてしまう

ときどき、思う。
あまりにも泣くので、自分は泣くことがすきなのだろうか。

考えなくても答えは明白で、かなしいから泣くのだ。
泣くと小さな自分が泣き出して、あれもこれもと、消化できなかった思いたちが止めどなく溢れ出す。

そうなるともう手遅れで、溢れ出たものを止める術がないまま、静かに泣くことしかできなくなってしまう。

置いていかれたあの日から、10年以上が経った。
例えどんな事情があったとしても、確かにあのときひとりぼっちになった。
家族が住んでいた家で、帰ってくるはずもない家族をずっと待っていた。
いつか、一緒に住める日がくるんじゃないかと、淡い期待を抱いて小さく泣いていた。

置いていかれた前後の日のことは、ぼんやりとしか覚えていない。
でも確か、最後に別れた場所はスターバックスだった。
ぼんやりとした気持ちと泣かない強がりを抱えて、いつも通り家族と話をして、姉がお土産にするように、甘いデザートをたくさん頼んでくれた。
買ってくれたのは母だったと思う。

朝に冷蔵庫の包みを開けたら、見たことがないような、外国の色をしたデザートが入っていた。
馴染みのない甘さが、昨日を思い出させて余計に悲しくて、泣きながら食べたように思う。

わたしにとっては強い記憶であったはずだけど、その記憶が確かであったかどうかさえ分からないぐらい、月日は過ぎ去った。

10年の間に、二十歳になった。
一生付き合っていく友人との出会いがあって、仲間ができた。
大学を卒業して社会人になって、自分のすべてを使った、遮二無二なる仕事との出会いがあった。
青春と大人への過渡期を共有してきた彼との別離があって、祖母との今生の別れがあった。

がむしゃらに生きることを手放して、自分の気持ちに寄り添うことを知って、夫と家族になった。


もうすぐ、結婚して2年になる。
夫と家族になると同時に、母に会わなくなったから、母に会わなくなって2年が経つ。

きょうだいでさえも、自分の気持ちが正しく伝わることはなかった。
母にとって、それぞれの役割が違っていたから、それは仕方のないことかもしれない。


自分が苦しまなくていいようにと母から離れたけれど、本当にこれで良かったのか、老いていく母を思い、すべてを引き受けてくれた夫を横目に、葛藤しつづけた。

何ひとつ普通が分からないから、母に相談ができる友人が、あたたかい家庭で育った夫のことさえも、うらやましかった。


きっと会っても会わなくても、苦しい。
会ったとしても、求められるだけだ。

ずっと伝わらなかった言葉たちも、罪悪感から母に寄り添ってきた日々も、渡せるすべてのお金を振り込んだ日のことも、結婚の話に鬱陶しいと吐き捨てられたあの夜の日も、何もかも忘れられずにいる。

苦しい努力をして、傷つけられた記憶がまだ鮮やかによみがえるから、わたしはわたしだと、覚悟を持てるまでは、会わない。

会わないと決めている。

だけど、今日もまた泣いて、答えのない問いを続けてしまう。

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