道草

忘れたいような日々のこと。

道草

忘れたいような日々のこと。

最近の記事

どんなに決意したとしても、答えのない問いを続けてしまう

ときどき、思う。 あまりにも泣くので、自分は泣くことがすきなのだろうか。 考えなくても答えは明白で、かなしいから泣くのだ。 泣くと小さな自分が泣き出して、あれもこれもと、消化できなかった思いたちが止めどなく溢れ出す。 そうなるともう手遅れで、溢れ出たものを止める術がないまま、静かに泣くことしかできなくなってしまう。 置いていかれたあの日から、10年以上が経った。 例えどんな事情があったとしても、確かにあのときひとりぼっちになった。 家族が住んでいた家で、帰ってくるはずも

    • 何でもないことで、またつまづいてしまう

      本当にタイトル通りで。 何でもないことでまたつまづいてしまう。 些細なことで、芋づる式に色々を思い出して、調子を崩す。 こんなことがいつまで続くのだろう。 何年経っても、記憶を辿って涙が止まらなくなる、記憶が定かでないくらいのことを思い出して、私はいつまで泣くのだろう。 そんな自分に嫌気がさして、答えのない問いを幾度も繰り返してしまう。 きっかけは夫の実家でのできごとだった。 よくある家族の光景であったけれど、両親に自分の思いを話す夫を横目に、自分にかつてこんな機会が

      • わたしは、わたしを生きてゆく

        会わなくなって一年が経った。 理由は明白で、心が傷ついたからだった。 繰り返される要求に、幾度となく応えてきたと思う。 だけど、それ以上に大切だったから、罪悪感と言う自己満足でしかなかったのかもしれないけれど、自分のでき得ることをしてきたつもりだった。 離れると、どうしてと訊く。 それは、家族であっても、その人を理解している人であっても。 許せないんじゃない、傷ついて悲しかった。 そして心底疲れてしまった。 私は、私の心を守りたかった。 自分を大切にしてくれる人を大切

        • 家族ができた日のこと

          2019年のいちばんのできごとといえば、自分の家族ができたこと。 特に縁のある日ではないけれど、 夫が山に登るのがすきなこと、そして毎年一緒にお祝いができるようにと、山の日の入籍になった。 家庭に恵まれなかった私にとって、入籍までの紆余曲折は、決してこれでよかったのだと思えるものではないけれど、 それでも大切だと、夫の人生の伴侶に選んでもらったこと、それでもいいと夫の家族に受け入れてもらったこと、 私のすきなミモザの花束を携えて、緊張していたあの日のことを、決して決し

        どんなに決意したとしても、答えのない問いを続けてしまう

          過去をそっと手放すこと

          今の自分の気持ちを正直に表すとしたら、少し苦しくて悲しい。 理由もしっかり分かっているのだけれど、消せない過去が、消えない事実が、今も自分にずっと問いかける。 過去に縛られてるだけなのではと言われれば、きっとそれまでではあるのだけれど、 あのときどうしたらよかったのではなくて、 あのときをどうやったら手放せるのかと。 考えても答えが出るものではないのかもしれないけれど、全てを許して受け容れるには、あの時の私があまりにも泣くから、 悲しまなくていい方法を知りたいのです

          過去をそっと手放すこと

          おわりとはじまり

          3月末に、6年間勤めた会社を退職した。 辞めると告げてからの3ヶ月はとても長かったけれど、6年間はあっという間だった。 最後の日は、私が望んだことでもあるけれど、少し呆気ないくらいのあっさりとした一日だった。 終わった日々の余韻に浸ることのできないほどの、慌ただしい新生活を送る中で思うことは、 何も終わっていないのだということ。 そしてやはり、この仕事がすきだということ。 区切りがつくと、リスタートだというくらいの気持ちでいたけれど、それは6年間をやり切ったという私の自

          おわりとはじまり

          それでも未来を生きたい

          五年ぶりの再会だった。 記憶に残る最後の日は、決してよいものではなかった。 年月を経るたびに、確実にそれは、消えないしこりのようなものになっていた。 再会の日は、突然だった。 長い人生の中で、もう会うことがあるのかと、思っていたぐらいであったから、本当に予期せぬできごとだった。 「よう。」 発せられた平然とした声色に、自分でも分かるぐらいに、顔が強張る。 なぜ。 どうして。 答えの出ない問いかけが、ぐるぐると頭の中を巡る。 流れていく目の前の事実に、ひたすらに戸惑

          それでも未来を生きたい

          まだ道半ばなのかもしれない

          やり切ったと思っていた。 もう思い残すことがないくらいに、一生懸命になったと思っていた。 昼下がりに一本の電話が鳴った。 「先生と話がしたくて。相談したくなって。」 昨年卒業した教え子の母からだった。 電話先の彼女は、とめどなく溢れる不安のように、言葉が止まらなかった。 若くふんわりとした雰囲気の彼女のことを思うと、決して誰かに相談するような感じではなかったと慮る。 結局、電話は30分ほどだった。 彼女の琴線に少し触れたのだろうか、不安をかき消すかのように同じ言葉

          まだ道半ばなのかもしれない

          お誕生日に想いを馳せる

          1月17日は祖母のお誕生日。 生きていれば、90歳のお誕生日だった。 2年前、突然帰らぬ人となった祖母は、88歳の大往生だった。 家庭にあまり恵まれなかった私を、とても大切に思ってくれた、優しい祖母だった。 認知症を患い、私のことをきちんと認識できなくなったとしても、はじまりの会話がいつも同じであったとしても、ホームに行くとぱっと輝く笑顔は、私の生きる標と言っても、過言ではなかった。 祖母が亡くなって半年が経っても、ホームの近くにさえも、近づけずにいた。 もうこの世界

          お誕生日に想いを馳せる

          大人になるということ

          8年前の今日は、雪がちらちら降っていて、とても寒かった。 母も二十歳の時に着たという、祖母にあつらえてもらった振袖を着て、成人式に出席した。 節目の日に家族が側にいない、少しの切なさと悲しさを抱えながら、いつまで甘えた気持ちでいるのだと、こぼれそうになる涙をこらえながら、私の大人への階段は、ほろ苦いものでもあったことを記憶している。 あれからいくばくか時は経ち、社会の中で働き、賃金を得て、自分の力で生活ができるようになった。 社会的には随分と自立できるようになった。

          大人になるということ

          お正月に考えること

          今月の25日を迎えると、また一つ歳を重ねることになる。 歳を一つ重ねるからと言って、大きな心境の変化はないものの、確実に30代に一歩ずつ近づいていることを実感している。 世間で言うとアラサーにあたるわけで、結婚を考えるのか、仕事でのキャリアを重ねるのか、人生のキャリアの重ね方について、考えざるを得ない時期でもあり、かくいう私も、今年の4月から、新たな場所でのスタートを切ることが決まっている。 選択肢は無限にあるとは言っても、何者にもなれるという大きな自信があるわけでもない

          お正月に考えること