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478/1096 その弱さ、謳歌してみない?

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で478日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

478日目、今日は朝から有名人に対する批判記事を目にして、思うところいろいろだった。批判を生業としている人もいるし、それもまた新たな考えを刺激してくれたり勉強になったりもしてありがたいのだけれど、ただどうにも、批判記事を読んでいながら、怒りのような悲しみのようなものが湧いてきてしまった。

批判に触れると、否が応にも読後感に悲しい気持ちが伴ってしまうものなのだと思った。

批判をするのが良い、悪いということではなくて、批判をする人とされる人はある意味でのコラボレーションだということや、その時々に必要悪的なものもあるだろうし、悪役を買って出る人もいることなどなどなど・・・にも思いが及んだ。

それらが自分の在り方を問いただしてくれる。では自分は、どうなんだろう、と。それで、自分のことを思ってみると、自分は弱いし愚かだと思った・・たくさんの恐れがあって、たくさんの迷いがある。

ネットに氾濫している情報は玉石混交だけれど、それぞれの場面から、人の恐怖も愛も悲しみも感じられて、読んで心揺れながら、ひとつの思いが残った。

それは、人は人と人が仲良くしているのを見ることに気分の良さを覚えて、攻撃していることや、対立しているのを見ることに悲しさを覚えるものなのだろうということ。性善説にまで思いを馳せてしまった。どんな他人事も、皆にとってどこか自分事なのだろうなと思う。

社会のことを考えると、とても複雑で自分にはわからないこともたくさんある。でも、もしかしたら、社会全体のことや、優しさ、愛、思いやり、などなどを考えることよりもまず、自分がシンプルになることを考えるとよいのではないかな。わたしも、攻撃される人も、自分の名を隠して他者を名指しで批判する人も。

シンプルになっていくことで、濾過されるように、人には自然と思いやりが残るのではないかな。思いやりというのは、無理にひねり出すものでもなく、頭で考えて持っているように見せるべきことなのでもなくて、自然と出たものでないと本末転倒な性質のものなのだと思うから・・

わたしはあやふやでだらしなくてスッキリしていないところが多いから、どんどんシンプルになりたい。とにかく、余計なものを脱ぎ捨てて、自分が愉快でいられるようにしよう。というところに、ちょっとインスタントに着地した。ファストアイデア的に。

だってさ、まだ複雑な思いを引きずっていたのだけれど、この毎日投稿もあるし、今日はオンラインサロンのメンバーさんと大切な個人セッションの日なのだ。それが楽しみすぎて、サクッと気分を切り替えたかったからさ!

よし、今日も真剣に今日の分の更新をしよう!
大きなことを考える前に、まずは自分の気分をよくしよう。
さて、書こう書こう!

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わたしの「人間」に対するイメージとはこうだ・・・

その多くが、なにかしら問題を持っていて、なにかしら辛い過去を持っていて、なにかしら満たされていないものがあって、なにかしら黒いことを考えやすくて、自分の残酷さを知っていて、そこに対して嫌な気持ちを持っていて、自責の念があり、罪悪感があり、なのに誰かが助かったという優しい話には涙するし、ハッピーエンドの話に喜びを感じ、誰かしらこだわりを持ってしまう相手がいて、執着が簡単には挙げきれないほどあって、人からはやっぱりどうしたって良く思われると嬉しくて、愛し愛されたくて、弱くて悲しいところがある、そんな霊長類、そんな知的生命体、宇宙の太陽系に生きる宇宙人・・

わたしもそのうちの一人だ。
もちろん上のイメージは、わたしが自分を投影したもの。自分のイメージとも言えるのかもしれない。
いろんなところに書きすぎてもはやどの記事だと挙げることもできないけれど、わたしには少しも立派なところがない。

子供を連れて遊園地に行って、乗りたいアトラクションに並んでいて、誰かが列にズルく横入りするたびに、「チッ・・・!あいつめ。。」と子供に言ってしまう。そうして、子供に「まあ、まあ・・」となだめられている始末だ。同じことを、スーパーのレジでもやってしまう。

以前日本に住んでいた頃、同じ家に8年も住んだのに、その自治体のゴミの収集日も、近所の人達の職業もお勤め先も、噂になっていることも、自治会に入ったらやらなくてはならないことも、なにひとつ最後まで知らないままだった。

若いころに付き合っていた彼氏に死ぬほど執着していて、ストーカーのようにバイト先まで見に行ったり、部屋に落ちていた彼あての女性からの手紙を勝手に読んだりしていた・・・・

ウエットスーツを作る工房にバイトが決まったのに、一日で幻滅して辞めてしまったこともある。

家事も全然ダメ。家中をツルピカに保って、ちゃんと季節の食材を使ったバランスの良い食事を作って、アイロンがけも繕い物も完璧で、、という人を目指していたこともあったけれど、料理が好きで気が向くとすごい勢いでやる以外はてんでダメで、今は洗濯しかしていない。(洗濯物を分けてコースを考えて洗濯機のボタンを押すのがやりたくて、それだけは誰にも譲らない

子育てだってそう。学校関係の書類を忘れずに出したり、宿題を手伝ったり進路についての導きをするということもできなくて、ただの応援係、ただの味方、それしかできない。

でも、とても勝手なことなのだけど、自分がそうだから、わたしはわたしと似たような人もたくさんいるのではないかと思っているのだ。ほんとうにキッチリしていてなんでもそつなくこなせて、社会の規範に沿っていて、間違わなくて優しくて立派な人もいるのだろうけれど、それはそんなに多数派ではないのだろうと・・・

おめーみたいにだらしなくてダメな人間ばっかりいねーよ!!って怒られちゃうかも知れないことを書いているのに、さらに図々しいことを書くと、人ってだからこそ愛し合えるんじゃないかな、とも思う。

わたしがもし今、完璧な人間たちのいる世界に行ったとする・・そこでは誰もが精神的にも経済的にもきちんと自立していて、生活全般の作業を完璧にこなし、失敗モナク、間違イモナク、人二頼ルコトモナク、考えることも常に正しく、強くて、人の道に外れることもなくて、心も聖人のように清くて、怒ることもなく根に持つこともなく、神のように尊いとする。わたしはその中の誰かを愛せるのだろうか。

これはわたしの性癖寄りな?話になってしまうのかも知れないけれど、たとえばわたしはお釈迦さまに恋することができない気がする。
お釈迦くんのことが気になって、お寺に会いに行ってみる。すると縁側に座禅を組んでいるのだ・・・半眼で、すべてを悟ったお釈迦さまが。(タイトル写真を参照)
その、解脱した心の醸し出す賢者のオーラを浴びて、「きゃー釈迦くんマジカッコいい!セクシ~~~❤」と思うだろうか。

思えない・・・思えない気がするんだよ・・・
勝手に撮影することすらバチが当たりそうでできなくて、たとえ撮影したとしても光りすぎてお姿が写っていない気がするんだ・・・そう、神さまにも恋できない。神仏には恋愛感情が湧かない気がするのだ。

それから、完璧な女性にも近寄りがたいと言うか、菩薩観音さまやマリアさまのような女性とは、友達になれない気がしてならない。「マリア、今日スタバでお茶しないっ?」って、ラインで送れない気がしてならない。

「いいわよ・・互いに心からの憐れみをもってお話しましょうね」と返事が来ても、「はいは~~い、先についたら中入っててね」って返せない気がしてならない。会えたとしても、なにを話せばいいのだろう。神々しくてひと言も出てこない。「ねえねえ、処女懐妊ってどんな感じだった?!」などと聞いたら、ただ愛と憐れみの微笑みだけが返ってくる気が・・・・

ましてや、「ごめんなさいね、あなたに会いに行くことはできません・・」などというお断りの返事が来たら、もうなんかなんだろ、死にたくなる気がする。

ちょっと話は横道にそれてしまったけれど、あまりに完璧で立派な人の中にいたら、きっと自分がいかにダメなのかを思い知りながら暮らすのだろうなと思う。弱いもの同士の情けない愛しさや、困っている者同士、愚かな者同士の助け合いやら慰め合いをあまり体験できない気がする。

恋人を作ったり夫婦になったり、七転びながら八起きながら、喧嘩しながら、反省したり謝ったり気づきを得たり、怒ったり泣いたりしながらの、人間らしい人生を生きることができない気がする。

だから、できるかぎり、自分が完璧でないことを謳歌して生きたいと思う。
「弱い」って、なかなか素敵な体験だ。
他の人の弱さが理解できたり、そこに涙したり、自分にできないことをしてもらって嬉しくなったり、感謝したり、「すごーい!」と思って恋したりできるって、生きる喜びそのものだものね!!

弱いことも、できないことも、不得意分野も、ぜんぶが喜びのためにあったんだね。強いところやできることや得意なことと同じくらいのギフトなんだね。なんだかそう思うと、ここまでダメな自分は、宝の山だなあ(笑)

自分の弱さをどんどん発見するのも、人として生きる上での面白みかも知れません。

というわけで今日は、完璧でないことを、そのまま謳歌してみないかい!という弱者からのお誘いでありました。いいともー!って言ってくれる人、いるといいなあ(笑)それではまた、明日ね~!

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