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『ふたこビール醸造所』ービールを飲んで、街を知る②

夕暮れの時間が好き。刻々と色が変わり少しずつあたりが薄暗くなる頃。
昔の人は、その時間帯、道ゆく人の見分けがつかなくなって
「誰ぞ彼?(たれそかれ)」=あなたは誰ですか?と語りかけたことから、
たれそかれ→たそがれ→黄昏という言葉になったと言います。

二子玉川から遠くない場所で育った私は、学校帰り、黄昏時に川辺で友人と「語って」帰るのが好きでした。多摩川べりでマック片手に「語る」のが、ちょっと贅沢な時間。そういえばあの頃、「語る」という言葉に特別な魅力があったな。
生活のそばにあった多摩川。
大人になった今は、片手にビールがあれば、なお最高。。

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実は、これ、二子玉川で生まれたクラフトビール 「FUTAKO ALE」です。
コロナウィルスの影響で、私はどうも広い空を探すようになって、黄昏時に多摩川へビール片手に行きました。

こちらのビールを作っているのは「ふたこビール醸造所」。
世田谷の中心で、ビールを作っている人がいる!そして、その人が、なにやら「川」で「ビール」と「人」を結びつけるコミュニティを作っている!
そんな噂を聞きつけて出会ったのがこのビールなんです。

ということで、夕暮れから前置きが長くなりましたが、
世田谷の中心でビールが作られたそのストーリーをご紹介します。

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二子玉川の駅から徒歩5分。玉川高島屋の裏手に飲食店が立ち並ぶエリアの一角「柳小路」にお店があります。
木をふんだんに使った店内に、川にちなんだ本や絵本が並び、居心地良い空気感。そして、カウンターの奥に煌めくのは、ビールの醸造タンク。ビールタップ7口から、黄金色のビールが注がれます。
こちらのお店を運営するのは「ふたこ麦麦公社」代表の市原尚子さん。
まずは、二子玉川でクラフトビールを作り始めた経緯からお話を伺いました。

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きっかけは夕暮れ女子会

「もともと、ビールを作りたいと思っていた訳でもないんです。仕事帰りにママ友たちと、ビールを飲んで晩御飯の買い物をして帰る「夕暮れ女子会」と言うのを日々の楽しみにしていました。その中の友人の一人から、『住民の夢を叶えるプレゼン大会』に出るけれど何か案はないかと相談されて、そう言えば二子玉川ってクラフトビールってないよね?と何気ない話から始まりました。」
プレゼン大会は街づくりの一環で、住民の夢が叶えられる街作りをしようと言う企画。友人と一緒に参加することになり、特に凝ったパワーポイントでもなく、手作り感いっぱいの発表に。すると、審査員の街の人たちからの「いいね!」という反応が想像以上に多く、具体的に進めて行くということになったと言います。

プレゼンに参加するという目的で出場したので、まさか本当にビールを作ることになるとは思っていなかったと言う市原さん。
ビールは好きだけど、作り方も分からないため0からのスタートとなりました。休日にビアパブや醸造所巡りを始めると、「ビールがあると、知らない人同士も仲良くなるんだ」ということに気がつきます。
ビールで人が繋がるコミュニケーションに魅力を感じるようになりました。

市原さんは、それまでの仕事を続けながら、休日は醸造所でアルバイトをしてビール作りを学び、また、突然思い立って、ホップ栽培日本No1の里、遠野に行って収穫の手伝いをするなどして、自分の手足で経験を増やし、ビール作りの知識を深めていきました。

ブリュワリーをオープンさせる

クラフトビール作りには、「ファントムブリュワリー」と言って特定の醸造所を持たず、他所の醸造所に委託する製造方法があります。初期の設備費用がかからず、醸造免許がなくても作ることができるので、この方法でクラフトビール作りを始める醸造所は多くあります。
ふたこビールも初めはこの方法でクラフトビールを作り始めました。
ところが実際に作り始めて、市原さんが感じたことは「この街」のクラフトビールを作ろうということで始めた計画が、違う場所で作っていては思いが伝わりにくいということ。

「クラフトビールを作って行くことは、『誰が』『どこで』作っているかのストーリーが大切だと思ったんです。」

そこで、市原さんは自分たちのビールを作ることができる場所を探し始めます。ただ、当時はまだクラフトビール に対する認知度が低く、物件探しは難航することに。
とうとう出会ったのが、柳小路にある今の物件。クラフトビール 計画が始まってから5年の歳月が経ち、2018年に「ふたこビール醸造所」をオープンすることができました。

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お店で出しているのは、世田谷産ホップのクラフトビール 。「フタコエール」や二子玉川のシンボルツリーにちなんだ「ハナミズキホワイト」、近隣のコーヒー焙煎所とコラボした「コーヒースタウト」など。
ハナミズキホワイトのラベルは、地域の障害児童が描いた絵。売り上げの一部が障害者アート支援に寄付されています。

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こちらは3種の飲み比べセット。

地産にこだわって、ホップを栽培する

市原さんはストーリーを大切にする人。次々とでるアイディアからは、本人が楽しんでいることがよく分かる。クラフトビール を作るなら、地産にこだわりたい!と始めたのが、「世田谷ホッププロジェクト」。
市原さん曰く、二子玉川という世田谷の高級住宅街で「世界一地代が高く、世界一狭い」ホップ圃場。
近隣の方に協力して頂いて、自宅のお庭や空いてる敷地を使ってホップを栽培しています。瀬田の高級住宅街の20坪の畑に、半分はホップ、半分は麦と大豆の二毛作を栽培しています。大豆は「味噌のわプロジェクト」と名付けて、タネから大豆を作り、味噌に仕立てて地域で振る舞いをするのが夢だと言います。
「おばあちゃんになったら、みんなで店番をしながら、半分はビール、半分は味噌汁を売りたい。」と話す市原さん。
麦は、ビールの原料となる麦芽にする作業が難しいので、子供が飲めるように麦茶として利用。小さな畑ながら、街の人たちを巻き込み大きな輪となりながら、自分たちの手で作るビール。小さなきっかけから始まったビールづくりは、次々と仲間を巻き込んで街の風景に溶け込んでいきます。

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ビール+α 「ビールと何か」を掛け合わせて、街に新たな景色を作りたい

市原さんから湧き出るアイディアの数々。
コトダマという言葉通り、「こういうことをしたいのよね」という思いが言葉に乗って、沢山の人を巻き込んで命を吹き込んで行く。
「英語で醸造はbrew(ブリュー)というのだけど、ビールを作る醸造という意味の他に『お茶を淹れる、混ざり合う、悪巧みする』っていう意味もあるんです。だから、多摩川ブリューと名付けて『多摩川を企もう』というプロジェクトを始めました。
それも、大々的にイベントをするというよりは、たまたまその場所にいた家族連れが、何か面白そうなことをしてるな、と気軽に参加できるようなイベント。それがこの玉川の風景に合ってると思ってます。」

今はSNSの時代。派手なものが好まれる風潮はあるし、大きくPRして人を沢山呼ぼうとすることはできる。でも、それでは多摩川が今まで作り上げて来た風景と変わってしまう。
二子玉川の街らしさを壊さない、「新しい風景」を作りながら、多摩川を企む

今まで行ったイベントは、多摩川で焚き木を燃やしながら、その周りでビールで乾杯するイベント。また、このコロナの影響で直接人と会って乾杯することが出来なくなってしまった時には、「2020年の乾杯の風景」を残したいと、みんなが川に沿って一列に並び、川に向かって乾杯するというもの。
そこに、「ビールと+α」でできる、一期一会の風景を作り出していきたいと言います。

「ビールって、色々なものに繋がるんです。何でも合う、それがビール。
料理にも合うし、風景にも合う。ビールと何かを掛け合わせると、新しい風景が出来ます。私が辞めたら終わり、ということではなくて、私が最初の形を作る役目で、それを後の人に引き継いでいきたい。街にずっと残るものを作っていきたいと思います。」

市原さんのお話を聞いていたら、女性の生き方・セカンドキャリアの築き方としても学びになるようなお話。最後に、どうやって、夢を実現してきたのですか?と聞いてみました。

「20代は、あれがやりたい、これがやりたいと、道がないところに夢があり、追いかけるようなこともありました。それが30代になると、自分が選んだ訳ではなくても、目の前にポンと置かれることがあって、とにかく今あることを楽しんでやろうと思うようになりました。」

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市原さんと会うと、「こういうことがしたいの」「これ、素敵でしょ?」と、とにかく市原さんが思い浮かべる素敵な景色を見せてくれて、こちらも一緒に夢見る力がつくような気がしてきます。
ビールと何かを組み合わせると、人を幸せにする何かが生まれる。
ビールがきっかけになって、沢山の人を巻き込んで地域のコミュニティが出来上がっている街の風景。

今日も街のどこかで出会った人が乾杯をしている。
そんな日常の風景が全国で見られたら、それも一つの幸せの形のような気がしました。

街に出て、美味しいビールを飲みに行こう。

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