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8月、お迎えが近い爺さんの寝言、ドラッガー研修

 会社から研修に行って来いと言われた。
 地方のホテルに一泊する奴だ。
 内容は、ピーター・ドラッガーの経営論だ。
 20代の若いコンサルが講師を務める。
 リーダー向けの研修らしい。よくある話だ。
 ドラッガーの経営論は好きじゃない。廃れないのか?
 巷でも、もしドラッガーが○○をマネジメントしたらとかある。
 流行りだが、いい加減、もう20年くらい続いている。
 自分はそれよりも、ドラッガーのデビュー作が好きだ。
 『The End of Economic Man(経済人の終わり)』だ。
 これはナチス・ドイツと戦うための理論書だ。
 当時チャーチル首相が、イギリス国民の指定図書に定めた。
 結局、これ一冊だけの異色の内容だったが、愛読して止まない。
 全体主義と戦う本だ。アレントやハイエクより分かり易い。
 ヘーゲル以降の法の哲学に興味がある。これこそ目指すべき道だ。
 人類の善悪を構築したい。だが手元のパンフレットはこうだ。
 『ドラッガーが教える経営チーム、最強のリーダー論』
 う~ん。正直、経営論はもういい。飽きた。
 日本には、松下幸之助もいたし、いいじゃないか。
 今更、ドラッガーの経営論から何を学ぶと言うのか?
 自分は経営者にはならない。他の奴がなればいい。
 だが電車の広告とか見ると、そういう本で一杯だ。
 Xのイーロン・マスク、メタのマーク・ザッカーバーグ、アマゾンのジェフ・ベゾスとマイクロソフトのビル・ゲイツの本も合わせて宣伝されている。
 四人に確認したいのだが、死後の世界はあると思っているのか?
 いくらお金を稼いでも、死後の世界には持っていけない。
 そして善悪について、どう思っているのか?
 一体何のために、お金を稼ぐのか?面白いからか?
 ただ生きるためなら、多額のお金は必要ないだろう。
 結局、よく生きるためというソクラテス以来の問いに立ち返る。
 ドラッガーは、経営論を説いたが、人類の善悪についても語っている。
 本当は何か、もっと別のものが、見えていた筈だ。
 90年代に『ポスト資本主義社会』という本を読んで、首を傾げた。
 不明瞭ながら、情報が、次の社会のカギになると述べている。
 当時は分からなかったが、今なら分かる。ITだ。情報社会だ。
 ドラッガーは、旧約の預言者並の力がある。未来を読み解ける。
 この力は正直、凄いと思う。もっと違う方向に生かせなかったのか?
 経営論に使ってしまったのは、人類の知的損失ではないか。
 もっと人類の善悪について、説くべきだったのではないか。
 何で経営者のために、経営論なんか説いたのか。
 正直、経営者なんて、死んだら、大半が迷うだけだろう。
 彼らは、死んだらどうなるかなんて考えていない。
 ただひたすら日々、利益を追求している。
 しかしそれは何のためにやっているのか?
 自分のため?家族のため?社会のため?
 人類の善悪のため、と言った人はドラッガーだ。
 株式会社は、独裁者に対する抑止力になると喝破した。
 経営論に走ったが、まだどこか、法の哲学の香りがする。
 う~ん。勿体ない。ドラッガーの本心が知りたい。
 だがドラッガーも、死後の世界については語っていない。
 お金は死後の世界に持っていけない。
 これではその経営論も、片手落ちではないか。
 結局、現実世界の金も、ゲームのお金みたいなものだ。
 ゲームが終わったら、使えないし、別の世界では使えない。
 お金にあんまり執着するのは、馬鹿らしい。
 人は一体何のためにお金を稼ぐのか?死後の世界は?
 それの説明なくして、何のための経営論か?
 この世とあの世で通用するものはないのか?
 いっその事、プラトンの『国家』でも読むか?
 二週間後に生き返った青年エルの話は面白い。
 もはや神話の領域だが、全て説明ができている。
 でもどうやって、死後の世界を確信するのか。
 お話は沢山ある。だが体験が欲しい。確信だ。
 俺はだらけた気持ちで、研修を受けた。
 ふと見ると、隣に爺さんがいた。
 机に山ほど本を積み、足元の籠にも本を沢山入れている。
 何だ?この爺さんは?と引いたが、爺さんは寝ていた。
 研修中、殆ど寝ていた。だが時折起きて頑張る。
 とにかく、研修には熱心に臨む姿勢は伺えた。
 だが如何せん、高齢のため、お眠の時間が多い。無理だ。
 これでも若い頃は、頑張っていたのかもしれない。
 だが寄る年波に勝てなくて、このザマだ。
 研修費用が勿体ない。一体何のために受けているのか?
 大体、この年齢でリーダーも何もないだろう。
 経営者どころか、引退した老人だろう。
 俺は呆れたが、そのまま寝かしておいた。
 その日の研修が終わると、ホテルの部屋に入った。
 安いコースなので、共同部屋だ。
 何と、あの爺さんと同室になった。
 だがなぜか複数の婆さんたちも現われた。
 早速、ベッドメイキングに取り掛かっている。
 畳に布団を敷くのではなく、簡易ベッドを展開している。
 和室だが、そんな事ができるとは知らなかった。
 爺さんだけ、特別な寝床が展開される。
 柱も四本立って、天蓋付きだ。凄い。
 どっかのお嬢さんが寝るならともかく、爺さんだ。
 よく意味が分からない。これでないと寝れないのか?
 婆さんたちは、爺さんと同室の者に挨拶して立ち去った。
 そして戦慄の夜が訪れた。
 夜中、爺さんは急に誰かと話を始めた。
 最初は電話かと思ったが、それは寝言だった。
 あまりに普通に話しているので、起きているのかと思った。
 だが寝言だった。完全に寝ている。意味が分からない。
 うるさいので、他の人も起きて、部屋を出て行ってしまった。
 俺は立ち上がると、天蓋付きのベッドの傍に立った。
 「……婆さんや、あそこに茶屋がある。一服しよう」
 どこか山の峠のような場所を、移動しているようだった。
 「……ああ、疲れた。ここは眺めがいいな」
 爺さんは口許を、むにゃむにゃ動かしていた。
 「……団子が上手いな。婆さんや。お茶を取ってくれ」
 たわいもない会話だった。だが延々と続いた。
 寝言というのは、誰でもある。通常、一瞬で短いものだ。
 だがこの爺さんは、延々と何時間も喋り続けた。
 婆さんと野山を巡り、海に出て、街を遊覧する。
 時折、急に場所が移動するが、話は連続している。
 夢の中で、ものを食べたり、飲んだりしている。
 いつしか俺は、畳に座って、爺さんを見ていた。
 話は続いている。不思議だ。不思議極まりない。
 人間は夢の中で、こんなに活動しているのか?
 初めて知った。たまたま全部、外に漏れている。
 いや、高齢のせいで、お迎えが近いためだろう。
 理性が壊れかけて、意識が制御できなくなっている。
 だが異常な状態ではなく、これも自然な状態なのだろう。
 そこで語れる内容は、もう一つの世界を予想させる。
 意識が夢に沈んで、声だけ外に漏れている。
 水の底に沈んだような感じだが、他の世界と繋がっている。
 俺は確信した。死後の世界はある。
 夢の世界こそ死後の世界だ。間違いない。
 これこそ本当の世界の入口だ。
 我々は実は知っていたのだ。忘れているだけだ。
 それが8月、お迎えが近い爺さんの寝言、ドラッガー研修だった。
 後日スマホで動画撮っておけば良かったと思ったが、後の祭りだ。
 よくある後悔だが、体験としては間違いない。
 だがこの確信を人に伝えるのは難しい。
 爺さんだって、寝ていたから分からないだろう。
 一晩中、寝言を言っていた爺さんを観察した者にしか分からない。
 我々の意識は、水溜まりのようなものかもしれない。
 昼間、浮かび上り、夜になると、水面下に沈む。
 そして死ぬという事は、潜ったまま、向こうの世界に行く事だ。
 だが誰かの意識の水面に、時折顔を出したりする。霊人だ。
 翌朝、また婆さんたちが来て、ベッドを片付けながら言った。
 「研修はどうでしたか?ドラッガーの本心は分かりましたか?」
 
            『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』補遺014

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