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富士山の令和噴火と死者ゼロ

 やはり、その日は突然やって来た。富士山の令和噴火だ。
 その日、富士山は噴火し、麓の町まで溶岩を流した。都内にも、火山灰が降下した。灰は4億立方メートル以上に渡って散布され、最初の一時間で0.5mm積もった。だがそれだけで、電車は全て止まった。電線の碍子(がいし)がやられて、都内で大規模停電も起きていた。
 東京の機能は完全にストップした。各自治体で想定していた事とは言え、その被害は尋常ではなかった。またガラス質の火山灰を吸い込む問題が起きていた。人が火山灰を吸い込むと、肺がやられて最悪、死ぬケースがある。だが昨今の感染症対策で、皆マスクを持っていた。
 これは不幸中の幸いだった。だが防塵マスクが推奨された。大きな火山灰はある程度、マスクで遮断できる。問題は車や航空機のエンジンだった。火山灰を吸い込んで、使い物にならなくなった。熱でガラス質の火山灰が溶けて、ガムのようにエンジンに付着するのだ。
 溶岩は静岡県東部を席巻して、麓の町を全て飲み込んだ。経済的被害は甚大だったが、一次災害で死者はゼロだった。これは事前に避難が全て完了していたためだった。奇跡だった。日本の地震・火山予測が、完全に状況を読み切った結果だった。そこには一人の研究者がいた。
 
 その若手地震研究者は、大学の研究室で、大音量で映画『ゴー〇トバ〇ターズ』のテーマをかけていた。気分はマッドサイエンティストだ。いつもこればかりかけている。好きだからだ。
 若手研究者は、バヌアツの地震データを調べていた。南太平洋のバヌアツで地震が起きると、二週間以内に日本でも地震が起きると言われる。所謂、バヌアツの法則が正しいのかどうか検証していた。すでに統計的には、60~70%当たっていると言われている。
 だがもっと正確な予測が欲しかった。パターンを分析して、その当否を区別したい。どのパターンであれば、両者がリンクするのか知りたい。式を構築して、計算できるようにしたい。
 その若手研究者の頭の中では、バヌアツ地震→南海トラフ大地震→富士山噴火という図式が出来上がっていた。これは将来在り得る危機なので、全力で回避したいと彼は考えていた。
 だが問題は、それがいつ起こるのかだ。完璧に正確に予測しないと、神回避は成立しない。
 その若手研究者は、世界中に点在する量子コンピューター群を活用していた。何度も何度も計算をやり直して、シミュレーションの精度を上げていく。彼の頭の中では、量子コンピューター群が弾き出す回答たちが、様々な世界線で起きる、それぞれの事象を見せていた。
 量子コンピューターのお陰で、実験環境が格段に重層化したので、より高い精度で、未来が予測できると考えた。だが毎回、異なる答えを出す揺らぎがあり、研究者たちを悩ませていた。だがこの研究者は、逆に揺らぎを重ねる事で、より正確な数値が出ると考えた。
 これも量子力学の不確定性原理を利用しただけだが、これは人々に説明しやすい。
 具体的に何%と言えるからだ。100回試して、いや1000回試して、いや10000回以上試して、出た数値であれば、人々にも訴える事ができる。無論、こんな大きな計算、大きなシミュレーションは、量子コンピューターでないとできない。古典コンピューターにはできない。
 スーパーコンピューターにも、地震のシミュレーションを依頼してある。だがスパコンも、古典コンピューターなので計算は何か月もかかるし、回答は一つしかでない。入力するデータが同じであれば、毎回回答は同じで、正確だが、答えが出るのが遅くて、揺らぎもない。
 量子コンピューターは、面白い事に、毎回答えが違う。不確定性原理だ。揺らぎがある。これは計算の手順を飛ばすために、サイコロを振って、ランダムに決めているようにも見える。
 現実には、揺らぎがある。量子コンピューターはそれを表現できる。3nmの半導体の上で、電子をワープさせているためそうなるのだ。極薄の壁で構成された半導体は、電子を透過する。
 量子コンピューターは、極小のワープを、3nmの半導体の上で、繰り返して、古典コンピューターより早く答えに辿り着く。電子が半導体の壁をすり抜ける事で、演算を機能させる。
 一種の幽霊現象だ。この電子たちは、この世とあの世を行き来する。いや、未来と過去を行き来する。最初は、半導体が小さ過ぎて、薄過ぎる壁ゆえに起きるただの電子のエラーだったが、逆にこれをコントロールする術を考えついて、半導体極小化の方向にブレイクスルーした。
 量子コンピューターを並列処理するこの台湾製の半導体は、四次元チップだった。
 人類はいつの間にか、初歩的な霊界テクノロジーを手にしていた。ほんの僅かだが、そこには宇宙の扉が開かれていた。今の段階では、殆ど誰もそう思っていないが。話を戻そう。
 ここに一つ問題があった。お金だ。何百万、何千万の人命を左右する重大な計算だと信じたから、大学の許可を取らず、世界中の量子コンピューター群を借りて、計算をやらせた。一頃、世界中の量子コンピューターがこの計算をやっていた。無論、大学の研究室の名前でだ。
 若手研究者は、バレるのが先か、自分の研究が先か、時間との戦いに狂奔した。寝る間も惜しんで、研究に没頭した。だがレンタルした量子コンピューターの計算代は高い。シリンダー内の装置を、絶対零度近くまで冷やす冷却装置の運用コストが凄く、原発並みの施設だからだ。
 頭の中で、計算してみると、軽く大学を二・三個吹き飛ばしそうな金額だった。本来であれば、国が取り組むべきPJだろう。だが頭の固い奴らは、こちらの言う事なんて聞かない。聞く訳がない。だから強行した。その若手の研究者には信念があった。強行突破する。
 バヌアツ式というものを構築し、南海トラフ地震を予測する。さらに南海トラフ地震から富士山の噴火を予測する。二つの連結式から、火山噴火まで予測する。式を連結させる処にこの研究のミソがあり、バヌアツの地震から、富士山噴火までを導き出す離れ業だった。
 研究はどうにか完成した。データは揃った。式も完璧だ。だが論文に纏めている暇はない。先日またバヌアツで地震があった。M7の地震だ。津波の影響はない。だがこの地震は嫌な予感がする。早速計算を依頼した。すぐに出た。南海トラフ地震が来る。結構大きい。
 さらに計算をさせると、見事に富士山の噴火まで導き出した。ビンゴだ。
 南海トラフの地震は12日後、さらに富士山の噴火は18日後、もう一か月しかない。予測される規模は、1707年の宝永大噴火と864年の貞観大噴火の間くらいだ。静岡、神奈川、東京に甚大な被害をもたらす。時間がなかった。世に発表して、避難を開始しないといけない。
 若手研究者は考えた。自分だけでは無理だ。誰か支援者が要る。一人だけ候補者がいた。85歳の老人だが、地震学の権威だ。年齢は60歳差ある。構うものか、研究をぶつけてみた。
 「……君はこの研究で、今すぐ避難を開始しろと言っているのか?」
 論文に纏めている暇がないので、手持ちのデータと式だけで、その場でプレゼンした。
 「そうです。次は12日後に南海トラフ地震が来ます。でもその前に動かないと」
 「……外れた場合は?誰が責任を取るのかね?」
 「私がムショに入るだけです」
 若手研究者は両手を後ろに回す動作をした。すでに追加の計算代でヤバい事になっている。
 「……世に訴えるには第三者検証が必要だ。地震は科学だからな」
 「そんな事をやっている暇はありません」
 85歳の老人は、不快そうな顔をした。だが手元で素早くメモを走らせている。
 「……では君は私に決断を迫っているのかね?」
 「そうです。あなたが指示すれば、世も動く」
 「……断る。もっと慎重であるべきだ。外れた時のリスクが高過ぎる」
 大御所に断られた。若手研究者は諦めず、政治家に当たろうかと考えた。研究室に戻ると、大音量で『ゴース〇バスター〇』のテーマをかけた。気分はマッドサイエンティストだ。
 すぐ警察が来た。逮捕だ。大学が通報したらしい。万事休す?
 略式だが速攻で起訴された。罪状は横領罪等、その他諸々。立派な犯罪者だ。だが犯罪者は獄中で叫んだ。日本に危機が迫っている。富士山噴火だ。事前にこういう事は予想していて、ネット上、様々な動画サイトに投稿済みだった。一斉にプレゼン動画が火を噴いた。
 これにはマスコミも注目した。大学の研究室の名前を悪用して、膨大な借金をこしらえた若手研究者が、決死の訴えをしている。しかも何やら謎の連結式の解説をして、バヌアツ地震→南海トラフ大地震→富士山噴火という図式を立てている。これは本当なのか?
 その犯罪者は、留置所でずっと訴えていた。静岡県議会で発言させて欲しいと。何百万人の人命が掛かっている重大な問題だと。外れたら、死刑でも構わないから、せめて一回プレゼンさせてくれと訴えていた。どの世界線でも、富士山は噴火するのだと。
 留置所を出るには保釈金が要る。だがこの犯罪者に目を付けた東京都知事が言った。
 「……彼はヒーローかもしれない。支援しよう」
 だが都議会で、都の税金を投入する事に反対意見が出た。
 「分かった。じゃあ、クラウドファンディングしよう。僕の名前で集める」
 この都知事は、犯罪者の保釈のために、ネット上で資金援助を呼び掛けた。
 目標金額はあっと言う間に集まった。都知事の宣伝の仕方も巧みだったが、何よりも、この若手研究者の必死の訴えが効いた。その動画は凄まじい再生数を叩き出していた。
 プレゼン動画は世界中で視聴された。独創的だが、危機的な未来を予測する画期的な研究として、受け止められた。世界中で第三者検証も始まっていた。流れが変わりそうだった。
 「先に彼に都議会でプレゼンさせよう。東京都も無関係ではいられない」
 東京都知事は議会に働きかけた。だがこの頃、静岡県議会も動いた。南海トラフで地震があったからだ。M7。場所は海で、震源地は深い。津波は発生した。都内も結構揺れた。震度6を計測した場所さえある。だが何よりも、犯罪者の予想通りの日時に起きた事が衝撃を与えた。
 計算が合っている!世間は大騒ぎになった。富士山は本当に噴火する?
 とうとう犯罪者に静岡県議会から声が掛かった。留置所から保釈される。日本中が、世界中が注目した。まるで一地方自体の議会が、世界の命運を握っているかのようだった。
 その日、保釈者は、大音量で『〇ーストバス〇ーズ』のテーマをかけて、県議会に入場した。まるでプロレスラーの入場みたいだったが、もう誰も止めなかった。議会が熱狂している。日本人らしからぬ反応だったが、流れに敏感な政治家たちは、空気を読む事も長けている。
 今、このビックウェーブに乗らないで、いつ乗るのか?議員たちは興奮した。
 保釈者は、静岡県議会でプレゼンした。どの世界線でも富士山は爆発する。避けられないと。バヌアツ式を解説し、南海トラフ地震から富士山噴火まで、計算の流れを説明する。だが前提となっている基礎理論は地震学ではなく、並行世界を前提とした一種の宇宙論だった。
 「99.95%です」
 保釈者は計算結果を示した。世界中の量子コンピューターで出した揺らぎを重ねた結果だ。第三者検証を行った世界中のもの好きたちも、検証を終えていた。多少の修正はあったが、反対意見は少なかった。とりあえず、やらせてみて、結果を知りたいというのが大半だった。
 「君は一体何者だ?これは最早地震学ではないぞ?だが説得力がある」
 のちに地震学の大御所もそう言った。彼も最終的には動いて、研究を後押しした。
 もうプレゼンする前から、議会の結論は決まっていた。この噴火予測に合わせて、静岡県は避難を開始する。正確な時刻が分かったのだ。正式に住民に避難勧告を出す。
 噴火の日時が来た。運命の日だ。そして富士山は、まるでタイマーでセットされたように噴火した。人々は、それに合わせて避難が完了している。富士山の令和噴火と死者ゼロだ。
 ちょっと考えられない、最高の神回避が成立していた。無論、経済的な被害は大きいが、これだけの自然災害で、人的被害がゼロというのは、むしろ復興の士気を上げた。
 人類の科学の勝利だと、世間では言われた。とうとう人類の叡智は未来さえ予測し始めたと。
 「いや、皆が明るい未来を信じたからこの世界線を引き寄せたんだ。これが未来の科学だ」
 若手研究者はそう答えつつ、獄中に戻って行った。罪は罪だ。贖わなければならない。

          『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード74

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