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最後の審判、怒りの日

 アリスは夢を見た。Grim Reaperだ。黒衣を纏い、大きな漆黒の鎌を持っている。そいつは、鎌を振りかぶると、チョコレート色の肌をしたスカート姿の人物の首を刎ねた。白い歯を光らせ、笑顔のまま、その人物の首が、更衣室の床に転がった。血は流れていない。
 よく意味が分からなかった。アレは誰だ?そしてなぜGrim Reaperが現れる?
 アリスは目を覚ますと、夢の事は一旦、横に置いた。ちょっと意味不明だったからだ。
 朝食はフルーツだけ食べる。大学のミスコンに出るため、日々ダイエットをしている。美しくなるためだ。多少の苦行も止むを得ない。美とは、涙の向こう側にあるものだ。
 美とは何か?それは内面から溢れて来るものだと聞いた事がある。それは知性でもなければ、理性でもない。ましては感性でもないもの。まだよく掴めないが、美というものはあると、アリスは考えていた。だから肉体だけでなく、心も鍛える。だがどうやって心を鍛えるのか?
 アリスは大学に行く前、フルーツを食べながら、部屋でネットの記事を読んでいた。
 とある教会の牧師が叩かれていた。読んでみると中々面白かった。この牧師は、明晰夢を見たと主張していた。そこは地獄で、悪魔たちがいた。その悪魔たちは、アンプに繋いだエレキギターで、地獄の音楽を演奏して、地上の人々を狂わせているという内容だった。
 それだけだったら、誰も何も言わないで、そっとページを閉じたかも知れない。だがこの牧師は、そのアーティストたちの実名や、演奏されていた具体的な曲名まで挙げて、訴えていた。これらは悪魔の歌なので、聞いてはならないと牧師は訴えていた。大問題となった。
 当然、アーティストたちは怒り出すし、ファンも怒った。学者まで登場して批判した。
 「謝罪より先に、まず心療内科に行って、お薬でも出してもらう事が先決でしょう」
 ネットで動画を見ていると、炎上している動画を発見した。コメ欄がかなり荒れている。
 見ると、短い動画だが、若い白人女性二人が路上で、性的な抱擁とキスを繰り返し、それを見つけたお婆さんシスターが、十字を切りながら、止めに入るという内容だった。Oh My God!とかソドムとゴモラとか言っている。だが sexual minorityから猛烈に叩かれていた。
 曰く、この婆さんは、ポリコレを全く理解していない。間違っている。古い人間だと。
 お婆さんシスターは、悪魔よ!立ち去れ!と十字を切ってエクソシズムまでやっていた。悪魔祓いをやったらしい。効果はあるのか?動画が大炎上するという効果はあったようだが。
 ――悪魔ねぇ。いるのかな?Grim Reaperなら見かけたけど。アリスは大学に行った。カルフォルニア州にある。その日の講義は哲学だった。講義名は『19世紀の西欧思想』だ。
 その老教授は、ニーチェ(注47)とマルクス(注48)とダーウィン(注49)を取り上げて、19世紀の三大偉人としていた。ところが、一部の学生たちからはかなり不評で、むしろ人類を惑わした19世紀の三大悪魔ではないかと言っていた。当然、その講義は荒れた。
 「神は存在しない!神は死んだ。これが学問だ。真理と言ってもいい!」
 その老教授は言った。だが学生たちは抗議した。なぜか日本のスマホゲームをやっている。
 「……じゃあ、悪魔は?悪魔は存在するんじゃないか?」
 「神も悪魔も存在しない!全て比喩表現だ。世界には人間しかいない!」
 「……じゃあ、ドラゴンは?」
 「ドラゴンも存在しない。霊も存在しない。あの世もない」
 「……じゃあ、宇宙人は?」
 老教授はその学生を見ると、静かに答えた。
 「宇宙人は存在するかも知れない」
 アリスは思わず笑ってしまった。あ、そこは否定しないんだと。
 老教授が、宇宙人の存在を信じる理由は以下だった。物理的な存在である事。宇宙は広いので、人類以外の知的生命体も、他の星で誕生して、進化したかもしれない。また近年、議会でも、安全保障問題として、UFOがよく議論されている。だからリアリティを感じるらしい。
 つまり、ダーウィンの進化論を信じているから、宇宙人の存在も信じるという理屈だった。
 「逆に問おう。君はダーウィンの進化論を正しいと思わないのかね?」
 「……ホントに進化なんてするのかな?そもそも人類は最初から人類なんじゃね?」
 その学生はあっさり否定した。老教授は衝撃を受けていた。
 「では君は、聖書にあるアダムとイブの伝説を信じるのかね?」
 「……いや、特に信じていない」
 老教授は更に衝撃を受けた。どちらも信じないという選択肢は、考えていなかったらしい。
 「では、どうやって地球で人類は誕生したのかね?君はどう説明する?」
 「……いや、よく知らないけど、宇宙船に乗って、他所の星から来たとか?」
 その学生は第三説として、テキトーな説を唱えた。スマホさえ掲げる。ゲーム画面だ。
 「それこそファンタジーだ。アニメやゲームの設定だ」
 「……でも教授も宇宙人の存在は信じているんでしょう?移住は在り得ない話じゃない」
 これには、老教授もうめいた。学生に一本取られた形となった。
 論争は続いた。だがこの教授は、神を信じないと宣言しなければ、単位を出さないとか、そんな意地悪をする人ではなかったので、皆は安心した。見解の相違も学問だ。それがトレランスだと言っていた。宇宙人の存在だけ、どちらも信じていたため、議論は白熱した。
 議題は、最近話題になった牧師の明晰夢になった。例のギターを弾く悪魔たちだ。
 「……もし悪魔が存在するなら、逆に神もいないとダメじゃね?」
 ある学生が言っていた。ゲーム的にも、善悪の対立がないと、物語が成り立たないと言っていた。だから、神もいるし、悪魔もいないと、世界が成り立たないんじゃないかと言った。
 「ゲームと現実世界は異なる」
 老教授は自明の理だと指摘した。だが学生たちは首を傾げていた。
 「……物語は世界の鏡じゃね?ゲームも物語の範疇だ。シナリオがある。そしてそこには必ず善悪の対立がある。だから盛り上るし、善悪のラスト・バトルにこそ真実が隠されている」
 学生は自分たちが熱中しているゲームの話をしていた。アリスは、Grim Reaperの話をしたかったが、言い出せないまま、授業を過ごしてしまった。残念。勇気が足りなかった。
 その後、アリスは大学のミスコンに出た。だが1位は取れなかった。2位だった。1位は、チョコレート色の肌をしたスカート姿の人物だった。白い歯が眩しい。カレンと言う。最近、暴露マスコミの潜入捜査員として活躍し、その知性が高く評価された。だから1位らしい。
 アリスは不満だった。なぜカレンが1位なのか?だが大学の審査委員会はカレンを選んだ。他の女性たちも、心からの乾いた拍手でカレンを祝福した。だがその目はお魚のようだ。しかし会場には批判・抗議は一切許されない雰囲気があった。無論、political correctnessだ。
 カレンが大学生でありながら、全米に一石を投じるジャーナリズムを発表した事は、確かに評価されるべき事かも知れない。だがアレは一種の騙し討ちであり、少なくとも、美しくない。あの騙し討ちが、高い知性によってもたらされたのなら、それはミスコンと関係がない。
 アリスはミスコンの審査基準をもう一回見た。intelligenceとかそういう言葉はある。だが不思議な事に、beautifulとかそういう言葉は見つからなかった。ああ、自分はそもそも間違っていたんだと彼女は悟った。カレンはどこに行っても勝つだろう。全米が泣いた。
 アリスはシャワーを浴びて、更衣室に行くと、ロッカールームにカレンがいた。反射的に更衣室に隠れた。怖い。カレンは、心は女性だと言うが、怖いものは怖い。アリスは本能の部分で恐怖を感じたので、カレンが立ち去るまで、隠れるつもりだった。やり過ごすしかない。
 カレンは電話で誰かと話していた。そして時折、爆笑していた。その姿は、バーガースタンドで見る長距離トラックの運ちゃんと変わらない。ドラッグストア、999ドル、初犯釈放という言葉が断片的に聞こえた。商品のバーコードを、スマホのリーダーで読むとか話している。
 「法律だよ。法律。1000ドルまではOKだ。頭のいい奴がこの州では勝つんだよ」
 カレンは男言葉で吐き散らしていた。アリスは、ドラッグストアのチェーンが、この州から撤退したという記事をネットで読んだ事を思い出した。かなり迷惑な話だったので覚えている。
 「カードを上限一杯まで使うのと同じだ。気にする事はない。ルールさ。ただのルール」
 カレンはそう言って、大爆笑していた。これは明らかに犯罪を示唆させる。アリスはこっそり移動して、分からないようにロッカールームに戻ろうとした。だがその時、異変が起きた。カレンが犬のように大声で吠えている。ロッカールームに二人の人物が対峙していた。
 チョコレート色の肌をした大柄な人物と、全身黒衣を纏った深紅の大鎌を持つ人物だ。
 アリスは夢を思い出した。鎌の色が異なるが、これは夢のシーンと同じだ。一体何が起きる?いや、何が起きた。これは現実なのか。夢なのか。Grim Reaperの断罪が今始まる?
 「……醜き者よ」
 とても深くて、渋い男性の声だった。アリスは心底、痺れた。何だ?この声は?
 「私はミスコンで優勝した。どこが醜い?」
 心なしか、カレンの黒い影が動いていた。
 「……その心だ。お前は涙の向こう側を見たのか?涙の川を渡ったのか?」
 アリスは食い入るように、物陰から二人の対決を見詰めた。善悪、いや、美醜の対決か。
 「醜いですって?肉体は男性でも、私は女性よ!心は女性なんだから!」
 カレンは訴えた。だがGrim Reaperが深紅の鎌を振るうと、「ぎゃあああ!」という女性の絶叫と共に、カレンの影が分離し、赤毛の女が転がり出て、そのまま姿を消した。何だ?今の。
 「……お前は女性霊に憑依されただけだ。だからそんな事を言っている。ただの変態だ」
 カレンは全身怒りでブルブル震えている。Grim Reaperは大鎌を返すと、色が黒くなった。
 「いや、俺はsexual minorityだ。political correctnessを行使できる」
 「……何だ?それは?典拠を示せ。それはギリシャか?ローマか?ユダヤか?スコラか?」
 カレンは口をパクパクさせている。ポリコレとかそんな歴史のあるものではない。
 「……お前の言っている事は、旧約のソドムとゴモラと同じだ。決まったな」
 Grim Reaperに、ポリコレもLGBTQも通じないらしい。カレンはたじろいだ。
 「待ってくれ!俺はジャーナリストだ!全米を震撼させる真実を暴いた」
 「……騙し討ちだがな。とても善行とは言えん。動機が悪だ」
 「だが結果は善だ。皆は真実を知る権利がある」
 カレンは訴えた。Grim Reaperはフードの下で微笑んだようだった。
 「……では最後の審判を受けてみるか?怒りの日だ。全ての悪は裁かれる」
 アリスの脳裡にミケランジェロ(注50)の絵画が過った。『最後の審判』、怒りの日だ。
 「待ってくれ。俺がどうして悪なんだ?俺は法律を守っている!」
 カレンは後退りした。Grim Reaperは動かない。静かに鎌を構える。
 「……お前はウソに満ちている。人間が定めたルールを上手く渡っているだけだ。本当の善悪はそんなものを超えている。法律というものは、善悪の模倣に過ぎない。形だけの善悪だ」
 「そんなバカな!形だけでも評価されないのか?」
 「……動機に悪意がある。結果が形だけ、善に見えるだけだ。覚悟しろ。醜悪な者」
 気が付くと、ロッカールームにカレンが倒れていた。死んでいる。アリスは悲鳴を上げた。
 
注47 Friedrich Wilhelm Nietzsche 西暦1844~1900年 古典文献学者 プロイセン
注48 Karl Marx 西暦1818~1883年 社会思想家 プロイセン
注49 Charles Robert Darwin 西暦1809~1882年 自然科学者 イギリス
注50 Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni 西暦1475~1564年 彫刻家 イタリア

          『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード84

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