大きな大きな木の下で。
家の近くに、不思議な神社がある。
神社といってもみんなが想像するような、大きな神社ではなく、小さな祠と大木が祀られている神社だ。
私がこの地域に引っ越して来るまで、その存在は全く知らなかった。
その神社の近くを通って、祀られている大木を見上げると、生命力のようなものを感じる。
この大木は、いつからここにあるのだろう。
神様も仏様もいるように感じる時はある。でも、特定の何かを信仰している訳ではない。
幼い頃から、神社もお寺も身近にあるからか、何かを願いに行くというより、どちらかというとお散歩で行くようなところになっている。
昔から神様たちとは適度な距離感で付き合ってきたはずだった。
それなのになんだか、祀られている大木のことを気にしている自分がいる。
何のために小さな祠が置かれ、大木が祀られているのか、全く分からなかったからかもしれない。
もっと近くで見てみたい。
いつも少し離れたところから大木を見上げるだけで、鳥居をくぐったことがなかった。
だから、一歩、足を踏み入れることにした。
鳥居を見上げると、弁財天と書かれた文字を見つけることができた。
黒色のプレートに彫られているような字だったから、近くを通るだけでは全然気がつかなかった。
さらにもう一歩踏み出して、祠に近づいてみる。
どうやら、賽銭箱はない。行き場を失った、たくさんの小銭が祠の前に置かれていた。
そう言えばこの前、見知らぬ男性が神社に向かって手を合わせているのを見た。ここを訪れる人は多いのかもしれない。
それなのに、ゴミが散乱している訳ではなく、むしろ、祠の前にお水が置かれていた。誰かがきっと管理してくれているのだろう。
私も祠の前で、手を合わせてみることにした。
さーっ。
目を閉じると、風の音がした。
すごく穏やかで静かな時間が流れていることに気づいた。
前に、この神社に関する資料を探してみたけど、見つからなかった。でも、手を合わせてみると、不思議と大木が祀られている意味が分かった気がする。
心に感じたまま、昔の人はこの木を祀ることにしたのかもしれない。
心で感じることが、全てだったのかもしれない。
ある日、この辺りに長くいる方と話をする機会があった。だから、少しだけ聞いてみることにした。
「だれがこの神社を管理してくださってるのですか?」と。
私もあまり詳しくないんだけれど…と言いつつ教えてくれた。
数年前までおばあさんが一人でお世話をしていたらしい。
ただ、そのおばあさんは亡くなってしまって、今は誰がその神社を管理しているか分からないとのことだった。
そして、こんなことも教えてくれた。
大木から枝がたくさん落ちてきて危ないので、その昔、木そのものを切ろうと言い出した人がいたらしい。
でも、話しが進むにつれて、そんなことをしようとした人が次々に怪我や病気になって、結局、木を切る話はなくなってしまったとのことだった。
本当かどうかは分からないけど、不思議な話。
なんだか怖くも感じるけど、木からしたら、「いやいや、丸々切るんじゃなくて枝だけでええやろ。」って思ったのかもしれない。
神様のはずだけど、ちょっと人間っぽさも感じた。
話しを伺ってからも、その神社の前を通る時は、大木を見上げるようにしている。
そして、心の中で「おはようございます。」とその木に声をかけてみたりする。
もちろん、向こうから言葉が返ってくることはない。
でも、きっと見守ってくれている。この地域のことを。そして、私のことも。
不思議とそんな気持ちになる。
私は、いつまでこの地域にいるのか分からない。仕事の関係で、いつかここを離れることがあるかもしれない。
たとえそうなったとしても、この木のことを思い出して、心の中で大事にしていけたらいいなと思う。
ずっとずっと大事にされてきた、大きな大きな木。
これからもたくさんの人たちに愛されますように。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
以上、みいちゃろでした!