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ベジタス持論vol.9「一物全体」

こんにちは、まいけるです。

食性の三本柱の二本目、「一物全体」のお話をいたします。
三本柱の中でも意識すれば比較的実現させやすい項目なので、

「何を食べたらいいんだ!?」

と食性迷子wになっている方は一物全体から始めていくといいでしょう。オススメです。

では、今回も持論アクセルベタ踏みwです。よろしくお願いします!


私たちは日々生命をもらって生きている

以前にもお話したことがありますが、私の食性の考え方の根幹には見出しに書いております「生命の原則」なるものがあります。多少、仰々しいですがw。

生命は生命を以て紡がれる。

分かるようで、なんとも分かりにくい表現です。これは私が若い頃アトピーやうつ病の治療を始めたときに、とある先生から教えてもらった言葉です。

この言葉をもう少し噛み砕いて説明すると、私たちは生命をもらって生きている、ということになります。

さらに食養法的に言えば、
「生きたものを食べれば生き長らえ、死んだものを食べれば死に至る」
となります。

私は最初にこの言葉の意味に気付いたとき、なかなかの衝撃を受けました。
一般的な食に対する認識と違うことがお分かりいただけるでしょうか?

「何かを食べれば生き長らえ、何も食べなければ死に至る」
これが一般的な認識だと思います。

そうです。一般的には何も食べないと死んでしまうと思われがちですが、生命の原則からすればそうではなく、たとえ食べたとしてもそれが死んだものだった場合、食べた本人は死んでいくのです。

ここがポイント。

「死んだものを食べたからといって、すぐに死ぬことはない。だが、確実に、徐々に死に向かっていく。その過程として病気があり、その(私の)アトピーやうつの症状もその過程のひとつ、ということだ。」

先生からは当時、このように私の病気を説明していただきました。
続けて、

「過程なので、病気はそれで終わりではない。根本的な改善をせず、対症療法だけでごまかせばより重篤な病状へと変化していく。アトピーやうつでこの事実に気がついたまいけるは運が良い。食べ物は栄養うんぬんではなく、生命力のあるなしで選びなさい。

確かに実際に何も食べなければお腹が空きますし、その状態が長く続けば餓死するかもしれません。
ただ、これは極端に長期間食べなかった場合の話であって、かなり限定的なシチュエーションです。特に日本で餓死は珍しいでしょう。

ところが病気で亡くなる人は圧倒的に多いです。
病気、特に生活習慣病になる理由を一言で言えば、

「死んだものを食べ続けた結果である」

と私は言い切ります。
遺伝や年齢、ましてや運の良し悪しではありません。病気になる理由は上記一択です。

現代において人が死亡する原因のほとんどは食べなかったことではなく、死んだものの過剰摂取なのです。

一物全体食と部分食

さんざん「死んだもの」を連呼wしてしまいましたが、では実際「生きたもの」と「死んだもの」とはどういうものかをお話します。

ざっくりと言えば、その食べ物に生命力が残っているかどうかです。

極端に、食べるものすべて生きたまま「踊り食い」すれば良いのかもしれませんw。野生の動物ならまだしも、現代の人間には少々難しいでしょう。

一時期流行ったローフード(今も実践している人はたくさんいますね)は、まさにこの考え方を踏まえた食べ方ですね。
一般的に植物のほうが動物よりも生命力がはるかに高い(身体を切り離されてもすぐ死なないし、そこから再生も可能!)ので、私がベジィになった理由はここにもあります。

いくら栄養成分に優れていても、動物食は生命力を補うことが難しいのです。

そして、たとえ死んでしまった食べ物でも、まだ全体が揃った状態であれば、「生命の材料」として役に立ちます。

動物なら頭から尻尾まで、植物なら根っこから葉っぱまで。それら全てが揃って、ひとつの生命である、という考え方を「一物全体」といいます。

一物全体に対して食べ物の一部分だけを切り取って食べることを、そのまま「部分食」といいます。

部分食は生命として絶対に成立しないため、死んだ食べ物と言わざるを得ません。
少し悪意がこもってしまいますが、牛肉のロースステーキや魚の切り身が、それ単体で動いたり泳いだりしたら怖いでしょう?w
彼らはもう、生命として成立しないのです。

ただ、ステーキや切り身くらいならまだ、副食として食べるのならいいと思います。
私がいちばん怖いと思うのは、精白されまくったw食品や科学薬品(医療薬品を含む)やサプリなどの、いわゆる人工物です。

「病院の薬やサプリは食べ物じゃないやろ?」

そう思った方がいらっしゃるかもしれません。
特定の作用を狙って服用する薬を「食べ物」として考えるのはおかしいのかもしれませんが、私は口から入れる行為は全て「食べる」と認識しています。
「薬だけ例外」というのは、それこそおかしいですw。医食同源ですから。

一般的な薬やサプリを「食べ物」として考えた場合、これらはもちろん部分食です。それも超がつく「超部分食」と言えますw。

モノによっては化学合成させて自然界に存在しないカタチにしてあるモノもあったりするので、もはや部分食とすら言えないかもしれません。

そんなものが「生きている」私たちの役に立つのか……?
甚だ、はなはなはなはだくらいw疑問です。

また、白米や食塩、白砂糖を代表とする精白物については、これまた底無しの闇深いお話wになりますので別の機会に回します。
ご了承くださいませ〜。

食卓の「生命の数」を数えてみよう!

今回もいろいろな切り口から食べ物の生命力、一物全体のお話をしましたが、いかがだったでしょうか?
なにぶん持論アクセルベタ踏みバージョンwなので、ホンネとはいえ無茶苦茶なところも多々ございました。その自覚はありますw。

「そんなん言ってたら、食べるものが無いやん!」

そう思った方。それ、正解です。

日本に食べ物が溢れているのは幻想です。
フタを開けてよく見てみれば、食べ物は部分食に溢れ、おおよそ食べ物とはいえないモノがほとんどです。
日本人は食べ残しが多い国としても有名ですが、これは人間の本能で、みんなが潜在的にはそれらを食べ物と認めていない証拠だと私は思います。

食べ物じゃないから、ゴミだから、カンタンに捨てられる。由々しき問題ですね。

日本は言うまでもなく、既に食糧途上国です。前回の身土不二でもお話したように食糧自給率も低く、私は50年ほど前から日本は食糧難の時代が始まっていたと思っています。

ただ、その「部分食」のおかげで今の日本の人口を支えてこられたのも、また事実です。
食品加工や保存の技術、食品添加物や医療品が無ければ、今の日本は無かったでしょう。食べ物としては最悪ですが、その「最悪」のおかげで私たちは今、生きていられます。

ここは認めるべきです。特に死肉やゴミを美味しい食べ物に変えてしまう食品添加物の数々は、素晴らしいの一言に尽きます。(ほとんど皮肉にしか聞こえんがな……w)

いや、ホントにすごいと思ってます…。もう、これは魔法です。

だからこそ、です。
だからこそ、部分食をただ非難して終わりにするのではなくて。まずあなた自身の食卓から、「生命力」を取り戻してみませんか?

いきなり一物全体食だけで賄うのはほぼほぼ不可能だと思いますので、まずは生命の数(一物全体が揃っている数)を数えてみるのがオススメです!
私もここから始めました。

肉類は難しいですが、魚なら頭から尻尾まで。野菜なら葉っぱから根っこまで。豆類や果物ならそれひとつで発芽できるかどうか、といった感じです。

意外と野菜が難しかったりしますw。割と部分食が多い…。アレ…?ってなりますw。
ベジィをやってもうまくいかない人がたまにいますが、原因はコレなんじゃねw?と勝手に思ってみたり。

病気治療中に先生に聞いたのですが、ひとつの食卓で10個の生命があれば、それは素晴らしい食卓だそうです。
たった10個?と思いがちですが、いやいや、数えてみると分かります。愕然としますよw。
私がアトピーの頃の食卓は、ほぼ0でした。そりゃ、病気になるわけだw。

魚は小魚であれば実践しやすいですし、豆や果物は数えやすいので実践もしやすいですね。
究極は玄米です。これだけですごい生命の数が稼げ(?)ます!もちろん、白米は部分食なので0です。

こんな感じでやってみると、食事改善も楽しくなってきますw。カロリーだの栄養成分だの、小難しい理論ではなく、直感的に誰でもできますし。
何を食べたらいいのか分からない、食性迷子の方はぜひ、ここからの改善をオススメいたします!

最後に、当時の先生からもらったアドバイスを、そのままお伝えして締めます。

「何でもそうだがな。いい話を聞いた、で終わらせる人と、アドバイスを元に自分で考えて行動を始める人とのその後の差は大きいぞ。まいけるの病気が改善し、またそれが糧となることを願っている。」

先生と病気に感謝!ですね。
次回は三本柱の最後の、「節食・少食」のお話をいたします。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!まいけるでした。

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